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婚約破棄された悪役令嬢ですが、処刑台の上で敵国皇帝に求婚されました 〜私を捨てた王国は滅びかけていますが、もう知りません〜  作者: 碓氷さゆ


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第24話 私の言葉で

 声明を書くための机は、国境砦の客室に用意された。

 白百合の花が窓辺に飾られ、淡紫の小花が小さな花瓶に生けられている。黒灰色の石壁に囲まれた部屋は、王国の令嬢部屋のような華やかさはない。けれど今のリリアーナには、その静けさがありがたかった。

 机の上には、上質な紙とインク壺、羽根ペンが置かれている。

 その横に、星飾りを入れていた小箱。

 さらに少し離れて、温かい香草茶。

 クララが用意してくれたものだった。


「お嬢様、本当にお一人で書かれますか?」


 クララが心配そうに尋ねる。

 リリアーナは椅子に座ったまま、白紙を見つめていた。


「まずは、一人で考えたいの」

「では、私は隣の部屋におります。何かあればすぐ呼んでください」

「ええ。ありがとう」


 クララはまだ心配そうだったが、リリアーナの意思を尊重して部屋を出ていった。

 扉が静かに閉まる。

 部屋には、リリアーナ一人になった。

 白紙。

 インク。

 羽根ペン。

 それだけを前にして、胸が重くなる。

 王国へ向けた声明。

 自分は冤罪を認めない。

 神殿の所有物ではない。

 星霜の加護は自分の意思に従う。

 王国へ戻るつもりはない。

 言うべきことは分かっている。

 けれど、いざ自分の言葉で書こうとすると、指が動かなかった。


 王国にいた頃、リリアーナは多くの文書を書いてきた。

 王太子府の予算修正案。

 神殿修復費の再配分。

 地方補助の進言書。

 貴族院へ提出する説明文。

 どれも、書こうと思えば書けた。

 正しい言葉を選び、礼を尽くし、相手が受け取りやすい形に整えればよかった。

 けれどこれは違う。

 これは誰かの顔を立てるための文ではない。

 誰かの機嫌を損ねないように整える文でもない。

 これは、リリアーナ自身の言葉だった。


「……私の言葉」


 呟く。

 それだけで、胸の奥が震えた。

 リリアーナは羽根ペンを手に取る。

 だが、紙に触れる前に手が止まる。

 何から書けばいいのだろう。

 私は無実です。

 私は戻りません。

 私は神殿のものではありません。

 どれも正しい。

 けれど、紙に書こうとすると、途端に怖くなる。

 王国の人々がこれを読む。

 アルヴィスが読む。

 父が読む。

 神殿が読む。

 ミリアも読むかもしれない。

 また冷たいと言われるのではないか。

 また見苦しいと言われるのではないか。

 また悪役令嬢の言い訳だと笑われるのではないか。


 その時、扉が控えめに叩かれた。


「リリアーナ。私だ」


 カイゼルの声だった。

 リリアーナは羽根ペンを置き、少しだけ息を吐く。


「どうぞ」


 扉が開き、カイゼルが入ってくる。

 黒い軍装ではなく、今日は少し柔らかい黒の上衣をまとっていた。それでも、彼の纏う空気は変わらない。静かで、強く、リリアーナを守る場所を作るような気配。

 彼は机の上の白紙を見た。


「進まないか」

「はい」


 リリアーナは正直に答えた。


「何を書けばよいかは分かっています。けれど、どう書けばよいのか分からなくて」

「代筆はしない」

「分かっています」

「だが、聞くことはできる」


 カイゼルは、机の向かいではなく、少し横の椅子に腰を下ろした。

 正面から向き合うのではなく、隣に近い位置。

 それが、尋問ではなく寄り添うための距離なのだと分かった。


「まず、何を一番伝えたい」

「一番……」


 リリアーナは白紙を見る。

 言葉が喉の奥でつかえる。

 一番伝えたいこと。

 王国へ。

 神殿へ。

 自分を悪役令嬢と呼んだ人たちへ。


「私は、やっていません」


 ぽつりと、言葉が落ちた。

 カイゼルは黙って聞いている。

 リリアーナは続けた。


「ミリア様を階段から突き落としていません。毒入り菓子も贈っていません。聖堂を侮辱してもいません。王太子殿下に反逆するつもりもありませんでした」


 王国で何度も言おうとした言葉だった。

 けれどあの時は、誰も聞かなかった。

 アルヴィスはミリアの涙を見ていた。

 父は公爵家の未来を見ていた。

 貴族たちは自分の保身を見ていた。

 誰も、リリアーナ自身を見ていなかった。


「私は、やっていない罪を認めません」


 声が少し震えた。

 だが、リリアーナは止まらなかった。


「それを、まず書きたいです」

「書け」


 カイゼルは短く言った。

 リリアーナは羽根ペンを取る。

 今度は、紙に文字を落とせた。


『私は、ミリア・ロゼット様へ危害を加えておりません。階段からの突き落とし、毒入り菓子による殺害未遂、聖堂への不敬、王太子殿下への反逆、いずれの罪も認めません』


 書き終えると、手が震えていた。

 けれど、少しだけ息がしやすい。

 カイゼルが尋ねる。


「次は」

「次は……私は、調査を求めます」

「王国へ」

「はい。私を信じてほしいと願うだけではなく、証拠を見てほしい。手続きを踏んでほしい。私が悪くないと泣いて訴えるのではなく、事実を調べてほしいです」


 カイゼルの目がわずかに柔らかくなる。


「君らしい」

「冷たいでしょうか」

「いいや」

「王国では、そう言われました」

「王国が間違っている」


 あまりにも迷いなく言われ、リリアーナは少しだけ目を瞬かせた。

 カイゼルは当然のように続ける。


「証拠を求めるのは冷たさではない。公正さだ」

「公正さ……」

「ああ」


 その言葉を、リリアーナは胸の中で繰り返した。

 自分は冷たかったのではない。

 公正であろうとしていた。

 そう考えるだけで、王国で浴びた言葉が少しだけ遠ざかる気がした。


 リリアーナは次の文を書いた。


『私は、正式な再調査を求めます。証拠、証言、記録、関係者の行動を明らかにし、感情や噂ではなく事実に基づいて判断されることを望みます』


 書いてから、リリアーナは息を吐いた。

 次に書くべきことは、もっと怖かった。

 星霜の加護。

 神殿。

 王国へ戻らないという意思。


「怖いか」


 カイゼルが尋ねる。

 リリアーナは頷いた。


「はい」

「どれが」

「加護について書くことです」


 胸元の星飾りへ触れる。


「この力を私のものだと言うのが、まだ少し怖いのです。星霜の加護は、王国の土地を守っていたかもしれない。なら、王国のために使うべきだと言われる気がして」

「言われるだろうな」

「はい」

「だが、言われた通りにする必要はない」

「分かっています」


 リリアーナは小さく頷く。


「でも、分かっていることと、怖くないことは違います」

「それでいい」

「いいのですか」

「怖いまま書けばいい」


 カイゼルは静かに言った。


「怖くないふりをする必要はない」

「……はい」


 リリアーナは、目を伏せる。

 怖いまま。

 それでも書く。

 それは、今の自分にとても合っている気がした。


『星霜の加護について、私はまだすべてを理解しているわけではありません。ですが、この力は王冠に属さず、祭壇に縛られず、宿り手の心に従うものだと、古い記録にあります』


 そこで、手が止まる。

 次の一文を書くには、勇気が必要だった。

 カイゼルは何も急かさない。

 リリアーナは、深く息を吸った。


『ゆえに、私は宣言します。星霜の加護は、王国神殿の所有物ではありません。王家の命令によって使われるものでもありません。私の意思に反して、祭壇、術具、儀式に接続されることを拒みます』


 書けた。

 リリアーナは、自分の文字を見つめる。

 拒みます。

 その言葉が紙の上にある。

 自分が書いた。

 自分の意思で。


「書けました」

「ああ」


 カイゼルの声は低く、穏やかだった。


「よく書いた」


 その一言で、胸の奥がじんわり熱くなる。

 褒められるようなことではないのかもしれない。

 ただ自分の意思を書いただけだ。

 それでもリリアーナには、それがとても大きなことだった。


 そこへ、扉の外からクララの声がした。


「お嬢様、お茶のおかわりをお持ちしました」

「入って」

「失礼いたします」


 クララが入ってくる。

 カイゼルがいることに少しだけ驚いたようだが、すぐに微笑んだ。

 机の上の紙を見て、目を輝かせる。


「進んだのですね」

「ええ。少しだけ」

「少しではありません」


 クララは、紙面を覗き込まないようにしながら、きっぱりと言った。


「お嬢様がご自分のために書いているのですから、とても大きな一歩です」

「クララまで、そんなふうに」

「本当のことです」


 クララは温かい茶を置き、リリアーナの手元を見る。


「手が冷えています」

「少し緊張していたから」

「では、休憩です」


 即座に言われ、リリアーナは思わずカイゼルを見る。

 カイゼルも頷いた。


「休め」

「まだ途中です」

「続きは逃げない」

「……はい」


 反論できなかった。

 クララとカイゼルが同じ方向を向くと、かなり強い。

 リリアーナは羽根ペンを置き、茶を飲んだ。

 香草の甘い香りが、緊張で固くなっていた胸を少し緩めてくれる。


「残りは、王国へ戻らないことですね」


 クララが静かに言った。

 リリアーナは頷く。


「ええ」

「怖いですか」

「怖いわ。でも、書きたい」


 カイゼルが、リリアーナを見る。

 リリアーナはカップを置いた。


「王国を憎みきれない自分がいます。民のことは今も心配です。父上のことも、完全に嫌いになれたわけではありません」

「はい」


 クララが優しく頷く。


「でも、それでも戻りたくありません」

「はい」

「王国のために私を差し出すことは、もうしたくありません」

「はい」


 クララの目が潤む。

 リリアーナは、もう一度羽根ペンを手に取った。

 今度は少しだけ手が震えた。

 それでも、書いた。


『私は、グランベルク王国へ戻る意思はありません』


 たった一文。

 けれど、その一文を書くのに、どれほどの時間がかかっただろう。

 処刑台。

 父との対話。

 星飾り。

 神殿の動き。

 皇国の空。

 すべてがこの一文に繋がっていた。


『王国の民を憎んでいるわけではありません。苦しみを望んでいるわけでもありません。必要な知識や危険性について伝えることは、可能な範囲で協力いたします。ですが、私自身を王国へ差し出すことはいたしません』


 リリアーナは、そこで一度息を吸った。

 最後に、どうしても書きたい言葉があった。


『私は、悪役令嬢として処刑台に立たされました。けれど、私の罪はまだ証明されていません。私の言葉は、まだ聞かれていません。だから今、私自身の言葉で申し上げます。私は、やっていない罪を認めません。私は、私の意思に反して使われることを拒みます。そして私は、私自身の未来を、自分で選びます』


 最後の一文字を書き終えた瞬間、胸元の星飾りが淡く光った。

 クララが息を呑む。

 カイゼルは静かに、その光を見つめていた。

 光は強くない。

 けれど、温かい。

 白紙だったものに自分の言葉が刻まれたことを、星が肯定しているようだった。


「……書けました」


 リリアーナの声は震えていた。

 カイゼルは静かに頷く。


「ああ」

「これで、よいのでしょうか」

「君の言葉なら、それでいい」

「整えた方が」

「外交文書として整えるのは、あとでできる」


 カイゼルは紙面を見た。


「だが、このままの言葉も残せ」

「このまま?」

「ああ。整えすぎれば、また誰かのための言葉になる。これは君自身の言葉だ」

「……はい」


 リリアーナは、紙の上に視線を落とした。

 私自身の未来を、自分で選びます。

 その一文が、涙で少し滲みそうになる。

 けれど、今度は泣いても恥ずかしくないと思えた。


「お嬢様」


 クララがハンカチを差し出す。

 リリアーナはそれを受け取り、小さく笑った。


「ありがとう」

「はい」


 クララはもう泣いていた。

 リリアーナも、少しだけ涙をこぼした。

 カイゼルは何も言わず、ただそばにいた。

 その沈黙が、今はとても優しかった。


 同じ頃、グランベルク王国の王宮では、聖女認定式中止の報せが各所へ広がっていた。

 王宮の廊下を、文官や使者たちが慌ただしく行き交う。

 聖堂で瘴気が発生した。

 ミリアの祈りが乱れた。

 神殿の記録に、星霜の加護の名があった。

 リリアーナ・エルフェルトの冤罪について、再調査が始まる。

 噂は、止めようとしても止まらなかった。

 王宮の壁は厚い。

 だが、人の口は扉よりも軽い。


 財務局では、マルセルが報告を聞き、顔を青ざめさせていた。


「聖堂の結界石に亀裂……やはり」


 彼は、リリアーナの記録を開く。

 そこには、はっきりと書かれていた。


『王都正面聖堂。外壁装飾より結界石点検を優先。現状のまま儀式を増やせば、祈りの負荷に耐えられない可能性あり』


 マルセルは、目を閉じた。

 まただ。

 また、リリアーナは見抜いていた。

 そして王国は、見なかった。


「この記録を宰相府へ」

「すでに写しを用意しております」

「急げ。神殿に先に押さえられるな」


 文官たちは頷き、動き出す。

 財務局の空気は、昨日までとは変わっていた。

 混乱はまだある。

 だが、リリアーナの残したものを無駄にしてはならないという焦りと意志が生まれていた。


 一方、王太子宮では、アルヴィスが一人、椅子に座り込んでいた。

 聖女認定式は中止。

 ミリアの祈りは、瘴気を鎮めるどころか乱した。

 宰相は再調査を宣言した。

 ギルベルトは、神殿の記録を読み上げた。

 貴族たちの前で。

 自分の前で。


「違う」


 アルヴィスは呟いた。

 誰もいない部屋で、机の上の書類を見つめる。

 そこには、リリアーナの断罪に関する証言一覧が置かれていた。

 今まで見る必要などないと思っていたものだ。

 ミリアが傷ついた。

 ミリアが泣いた。

 ミリアが怯えていた。

 だから、リリアーナが悪い。

 そう信じていた。

 信じたかった。


「違う……私は、間違っていない」


 けれど、声は弱かった。

 頭の中に、処刑台のリリアーナが浮かぶ。

 背筋を伸ばし、最後まで無実を主張していた姿。

 あの時、彼女は泣かなかった。

 だから冷たいと思った。

 悪女らしいと思った。

 だが今になって、別の考えが浮かぶ。

 泣けなかったのではないか。

 泣いたところで、誰も信じないと分かっていたからではないか。


「黙れ」


 アルヴィスは、自分の頭の中の声に向かって言った。

 しかし、その声は消えない。


『正式な調査を求めます』

『証拠をお示しください』

『私は、やっておりません』


 リリアーナの声。

 あの時は、耳障りだった。

 今は、胸に刺さる。


 扉が叩かれた。


「アルヴィス様……」


 ミリアの声だった。

 アルヴィスは顔を上げる。

 いつもなら、すぐに入れと言っただろう。

 だが今は、言葉が出なかった。

 少し遅れて、ようやく答える。


「入れ」


 扉が開き、ミリアが入ってくる。

 顔色は悪く、目元は赤い。

 可哀想な姿だった。

 守ってやらなければならない姿だった。

 そう思うはずなのに、アルヴィスの目は、無意識に彼女の手元を見た。

 あの光。

 あの黒い煙。

 聖堂で揺らいだ、あの祈り。


「アルヴィス様、私……」


 ミリアは涙を浮かべて歩み寄る。


「怖かったんです。急に黒いものが出て、皆が私を見るから……」

「なぜ、ああなった」


 アルヴィスの声は、自分でも驚くほど硬かった。

 ミリアの足が止まる。


「え……?」

「君の祈りは、穢れを鎮めるものではなかったのか」

「そ、それは、穢れが強すぎて」

「本当にそうなのか」


 ミリアの顔が青ざめる。

 アルヴィスは、問いを止められなかった。


「君は、本当に聖女なのか」


 言った瞬間、部屋の空気が凍った。

 ミリアの瞳に、大粒の涙が浮かぶ。


「ひどい……アルヴィス様まで、私を疑うのですか」

「私は」

「リリアーナ様の方がいいのですか? 皆、リリアーナ様、リリアーナ様って……私だって頑張っているのに!」


 その声は、いつもの儚げなものではなかった。

 鋭く、幼く、剥き出しの怒りが混じっていた。

 アルヴィスは言葉を失う。

 ミリアも、自分の声に驚いたように口を押さえた。

 すぐに涙をこぼす。


「違うんです。私、怖くて……ごめんなさい。アルヴィス様に嫌われたら、私……」


 以前なら、アルヴィスはすぐに彼女を抱き寄せただろう。

 君は悪くない。

 怖かっただけだ。

 そう言っただろう。

 だが今は、動けなかった。

 ミリアの涙の奥に、別のものを見てしまった気がしたからだ。

 リリアーナへの嫉妬。

 選ばれたいという執着。

 自分が聖女でなければならないという恐怖。


 それは、本当に守るべき清らかさだったのか。


「今日は下がれ」


 アルヴィスは、低く言った。

 ミリアが目を見開く。


「アルヴィス様」

「一人にしてくれ」


 ミリアは何か言おうとしたが、アルヴィスの表情を見て口を閉ざした。

 泣きながら部屋を出ていく。

 扉が閉まる。

 アルヴィスは、深く息を吐いた。

 部屋に残った静寂が、やけに重かった。


 皇国の国境砦では、リリアーナの声明文が写し取られていた。

 本人の言葉を残した原文。

 外交文書として整えた正式文。

 宰相府、エルフェルト公爵家、王国神殿、王宮へ送る写し。

 それぞれが丁寧に用意されていく。

 リリアーナは少し疲れていたが、倒れるほどではなかった。

 オルガに休むよう言われ、今は長椅子に座って香草茶を飲んでいる。


「私の言葉が、王国へ届くのですね」

「ああ」


 カイゼルが答える。


「改ざんされないよう、皇国印を付ける」

「そこまで」

「必要だ。君の言葉は、王国で一度消された」

「……はい」


 リリアーナはカップを握った。

 王国で消された言葉。

 今度は、皇国の印と共に届く。

 それが不思議だった。

 自分一人では届かなかった声が、今は守られて運ばれる。


「陛下」

「何だ」

「ありがとうございます。私の言葉を、守ってくださって」

「当然だ」


 いつものように短い答え。

 けれど、リリアーナはもうその奥を知っている。

 不器用で、過保護で、少し命令口調。

 でも、彼は決してリリアーナの意思を奪わない。

 守るために隠すのではなく、選ばせてくれる。


「私、少しずつですが、変われているでしょうか」


 リリアーナが尋ねると、カイゼルは迷わず答えた。


「変わっている」

「よい方に?」

「ああ」


 金色の瞳が、まっすぐリリアーナを映す。


「君は、自分を取り戻している」


 胸が、静かに熱くなった。

 自分を取り戻す。

 そう言ってもらえることが、こんなにも嬉しいとは思わなかった。


「まだ、怖いです」

「それでいい」

「まだ、王国のことを考えると胸が痛みます」

「ああ」

「でも、戻りたくありません」

「戻らなくていい」


 その言葉に、リリアーナは小さく頷いた。

 窓の外では、夕暮れの空に最初の星が浮かび始めている。

 胸元の星飾りが、淡く光った。

 リリアーナはその光に触れ、静かに目を閉じる。

 自分の言葉は、もうすぐ王国へ届く。

 処刑台で消されかけた声が、今度は誰にも遮られずに。


 その夜、皇国の使者が国境を越えた。

 黒狼の封蝋が押された文書を携えて。

 王国が悪役令嬢と呼んだ少女の、初めての声明を届けるために。

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