表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
婚約破棄された悪役令嬢ですが、処刑台の上で敵国皇帝に求婚されました 〜私を捨てた王国は滅びかけていますが、もう知りません〜  作者: 碓氷さゆ


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
22/57

第22話 はじめての加護訓練

 翌日の朝、国境砦の中庭には薄い霧が降りていた。

 黒灰色の石壁は冷気を帯び、見張り塔の上では黒狼の旗が静かに揺れている。王国の庭園のような華やかさはない。けれど、その厳しい景色の中に、リリアーナは少しずつ落ち着きを覚えるようになっていた。

 ここは、彼女を断罪するための場所ではない。

 監視するための場所でも、役目を押しつけるための場所でもない。

 少なくとも今は、彼女が自分の力を知るために用意された場所だった。


 中庭の一角には、簡易の訓練場が整えられていた。

 魔術師たちが結界を張り、地面には小さな魔石が円形に並べられている。その中央に置かれているのは、手のひらほどの大きさの黒ずんだ結界石だった。

 砦の外壁に使われていた古い石で、長年、魔物の瘴気を受けて弱っていたものだという。

 今日の訓練は、それに宿ったわずかな穢れを、リリアーナの星霜の加護で鎮められるか確認するものだった。


「無理に完全に浄化する必要はございません」


 老魔術師が、穏やかに言った。


「本日は、リリアーナ様がご自身の加護を感じること。そして、どこで疲労を覚えるかを確認することが目的です」

「はい」

「力が揺らいだら、すぐに中止いたします。気分が悪くなった場合も同じです」

「分かりました」


 リリアーナは頷いた。

 返事は落ち着いている。

 けれど、指先にはかすかな緊張があった。

 今日は、誰かが傷ついたから助けるのではない。魔物に襲われて、とっさに光が出るのでもない。

 自分の意思で、加護に触れようとしている。

 それが、思っていた以上に怖かった。


 そばにはクララがいる。

 少し離れて、オルガが控えている。

 カイゼルは訓練場の外側、けれど何かあればすぐ届く距離に立っていた。

 彼は朝からずっと、無言でリリアーナを見ている。

 その視線に圧はない。だが、心配は隠しきれていなかった。


「陛下」


 リリアーナが声をかけると、カイゼルはすぐに反応した。


「何だ」

「そのように見つめられると、少し緊張します」

「……そうか」


 カイゼルは一歩下がった。

 本当に一歩だけだった。

 ラウルが横で肩を震わせている。


「陛下、それではほとんど変わっておりません」

「黙れ」

「はい」


 ラウルは即座に黙った。

 だが顔は笑っている。

 リリアーナは思わず口元を緩めた。

 その笑みを見て、カイゼルの眉間の皺が少しだけ薄くなる。


「無理をする必要はない」

「はい」

「少しでも異変があれば言え」

「はい」

「大丈夫と言うな」

「……はい」


 先回りされた。

 クララが小さく頷き、オルガも当然のように頷いている。

 リリアーナは苦笑した。


「皆様に、私の癖を覚えられてしまいましたね」

「覚えなければ、あなた様はすぐ無理をなさいますので」


 オルガの返答は容赦がなかった。


「今日は、無理はしません」


 リリアーナはそう言ってから、少し考え、言い直した。


「無理をしそうになったら、止めてください」

「もちろんです」


 クララが力強く答えた。

 その真剣さに、リリアーナの胸が少し温かくなる。

 頼る。

 止めてもらう。

 それは、今までのリリアーナにとって苦手なことだった。

 けれど、いまは少しずつ、それを覚えようとしている。


 老魔術師が結界石を示した。


「では、リリアーナ様。結界石へ手をかざしてください。ただし、触れなくて構いません」

「分かりました」


 リリアーナは、ゆっくりと結界石の前へ進んだ。

 黒ずんだ石は、近くで見ると細かな傷がいくつも入っていた。石の奥には、黒い糸のようなものが絡みついている。目に見えているのか、それとも加護が感じ取っているのかは分からない。

 ただ、胸の奥が少しざわついた。

 これは、よくないものだ。

 そう直感する。


「これが、瘴気ですか」

「はい。ごく薄いものですが、長く蓄積しております」

「苦しそうに見えます」

「石が、でございますか」

「ええ」


 老魔術師は目を見開いた。

 だが、すぐに何かを書き留め始める。


「やはり、リリアーナ様の加護は土地や結界の状態を感覚的に捉えるようです」

「感覚的に……」


 リリアーナは結界石を見つめた。

 苦しそう。

 そう思ったのは、石そのものが生きているように感じたからではない。

 もっと近い言葉を探すなら、重荷を背負い続けているものを見た時の感覚に似ていた。

 誰にも気づかれず、ただ耐え続けているもの。

 その黒い糸を、ほどいてあげたいと思った。


 その瞬間、指先に淡い光が灯る。


「お嬢様」


 クララが息を呑んだ。

 リリアーナは、手をかざしたまま静かに息を吸う。

 無理に出そうとしているわけではない。

 ただ、黒い糸が絡まっている場所へ、そっと意識を向ける。

 ほどく。

 断ち切るのではなく。

 焼くのでもなく。

 ほどいて、元の流れへ戻す。


 星の光が、結界石の周りにふわりと広がった。

 白く淡い光の粒が、黒い糸に触れる。

 糸は抵抗するように揺れたが、やがて少しずつ薄くなっていった。

 結界石の表面に走っていた黒ずみが、ほんのわずかに薄れる。


「反応あり。瘴気濃度、低下しています」


 若い魔術師が声を上げた。

 老魔術師も、驚きと興奮を抑えきれない様子で測定器具を覗き込む。


「すばらしい……力の出力は小さい。それなのに、瘴気の構造そのものが緩んでいる」

「構造?」

「黒炎や通常の浄化魔法は、瘴気を削る、焼く、押し流す形が多いのです。ですがリリアーナ様の光は、瘴気が絡みついている場所をほどいているように見える」

「ほどく……」


 自分が感じた言葉と同じだった。

 リリアーナは少し驚く。

 だが、その直後、胸の奥に小さな疲労が広がった。

 息が少し浅くなる。

 手の光が揺れた。


「中止だ」


 カイゼルの声が飛んだ。

 リリアーナははっとする。


「まだ、少しなら」

「中止だ」

「ですが」

「リリアーナ」


 名前を呼ばれ、リリアーナは口をつぐんだ。

 カイゼルの声は厳しい。

 けれど、怒っているわけではない。

 心配しているのだと、今は分かる。


 リリアーナは手を下ろした。

 光が消える。

 結界石に残っていた黒ずみは、完全には消えていない。だが最初よりは明らかに薄くなっていた。


「……途中で止めるのは、少し落ち着きませんね」


 リリアーナがそう言うと、オルガが静かに答えた。


「途中で止める練習も必要でございます」

「止める練習」

「はい。リリアーナ様は、最後までやりきろうとなさいます。たとえご自身が削れても」

「……」

「ですから今日は、できることを確認する日であると同時に、やめることを覚える日でもございます」


 やめることを覚える。

 リリアーナは、その言葉を胸の中で繰り返した。

 王国では、やめることなど許されなかった。

 王太子妃候補として。

 公爵令嬢として。

 王国を支える者として。

 どれほど疲れていても、やめるという選択肢はなかった。


 けれど今、ここでは違う。


「分かりました」


 リリアーナは、結界石から一歩下がった。


「今日は、ここまでにします」


 その瞬間、クララがあからさまにほっとした顔をした。

 カイゼルも、わずかに息を吐いたように見える。

 ラウルが小声で言った。


「陛下の寿命が少し延びましたね」

「ラウル」

「はい、黙ります」


 また即座に黙る。

 リリアーナは、今度は少し笑ってしまった。

 緊張がほどける。

 それと同時に、膝に力が入りにくくなった。


「お嬢様!」


 クララが駆け寄る。

 カイゼルもすぐに手を伸ばした。

 リリアーナは倒れる前に、カイゼルの腕に支えられる。


「申し訳……」


 言いかけて、止めた。

 カイゼルがじっと見ている。

 クララも見ている。

 オルガも、見ている。


 リリアーナは、ゆっくりと言い直した。


「少し、疲れました」

「よく言えた」


 カイゼルが短く言った。

 その言葉に、なぜか胸が詰まった。

 倒れなかったことでも、加護を使えたことでもなく。

 疲れたと言えたことを、褒められた。

 それが、ひどく不思議で、少しだけ泣きたくなる。


「座れ」


 カイゼルはそう言って、近くに用意されていた椅子へリリアーナを導いた。

 クララがすぐに膝掛けをかけ、オルガが温かい飲み物を差し出す。

 甘い香草茶だった。

 リリアーナは両手でカップを包み、少しずつ飲む。

 温かさが喉を通り、胸の奥へ落ちていく。


「おいしいです」

「よかったです」


 クララが嬉しそうに笑った。

 カイゼルは老魔術師へ視線を向ける。


「結果は」

「非常に良好です。ただ、やはり負担がございます。今日はこれ以上の訓練は避けるべきです」

「当然だ」

「加護の性質としては、瘴気を直接消すというより、絡みついた穢れをほどくものに近いようです。攻撃魔法ではなく、安定化と浄化に特化しています」

「危険は」

「本人の消耗が最も大きな危険です。外部から強制的に力を引き出せば、心身への負担はさらに増えるでしょう」

「神殿の術具で縛ればどうなる」

「最悪の場合、加護は暴走するか、逆に沈黙します。記録にある“星は沈み、地は怒る”とは、その状態かもしれません」


 カイゼルの瞳が冷えた。

 リリアーナはカップを握る手に力を込める。

 神殿が自分を縛ろうとしている。

 それは、ただ自分が怖い思いをするだけでは済まないのかもしれない。

 土地が乱れる。

 穢れが広がる。

 魔物が増える。

 王国がそれを知らずに加護を管理しようとしているなら、あまりにも危うい。


「陛下」


 リリアーナは声を上げた。


「神殿に、この危険を知らせることはできないのでしょうか」

「知らせたところで、聞くと思うか」

「……分かりません」

「上層部は知っていて隠している可能性が高い」

「はい」


 リリアーナは目を伏せた。

 それでも、心のどこかで考えてしまう。

 もし何も伝えなければ、王国の民が巻き込まれるのではないか。

 自分を処刑しようとした王国。

 それでも、そこに暮らす民すべてが悪いわけではない。

 その迷いを、カイゼルは見逃さなかった。


「リリアーナ」

「はい」

「王国へ戻る必要はない」

「分かっています」

「だが、情報を渡すかどうかは別の話だ」

「え?」


 リリアーナは顔を上げた。

 カイゼルは静かに続ける。


「君が望むなら、皇国から王国の宰相、またはエルフェルト公へ、神殿術具の危険性について通達することはできる」

「よろしいのですか」

「君を差し出す話ではない。情報を渡すだけだ」

「でも、王国を助けることに」

「助けたいのか」

「……」


 リリアーナはすぐには答えられなかった。

 助けたい。

 その言葉は、まだ危うい。

 けれど、見捨てたいわけでもない。

 彼女はしばらく考え、正直に言った。


「民が苦しむのは、嫌です」

「ああ」

「でも、そのために私が戻るのは嫌です」

「ああ」

「神殿に利用されるのも嫌です」

「当然だ」

「それでも、危険を知らせることだけなら……したいです」


 カイゼルは、ほんの少し目を細めた。


「なら、そうしよう」

「よいのですか」

「君の選択だ」


 その言葉に、リリアーナは胸が熱くなった。

 王国を心配すること。

 けれど戻らないこと。

 情報だけを渡し、自分自身は守ること。

 そんな選択肢があるのだと、今まで考えたこともなかった。


「ありがとうございます」


 リリアーナはそう言った。


「私、少し分かった気がします」

「何を」

「優しさと、自己犠牲は違うのですね」


 カイゼルは黙った。

 クララが目を潤ませる。

 オルガは静かに微笑んだ。


「まだ、すぐには間違えそうです」

「その時は止める」

「はい」


 リリアーナは頷いた。

 その表情は、昨日よりも少しだけ穏やかだった。


 同じ頃、王国神殿では、聖女認定式の準備が進められていた。

 白い布が祭壇にかけられ、金の燭台が磨かれ、女神像の前には新しい花が飾られる。

 その中心で、ミリアは白い聖女候補の衣装をまとって立っていた。

 鏡に映る姿は、誰が見ても可憐だった。

 淡い金髪。

 潤んだ瞳。

 細い肩。

 清らかな白。

 これこそ、人々が望む聖女の姿だ。

 そう思うのに、ミリアの心は落ち着かなかった。


「ミリア様、本当にお美しいです」

「まるで女神様の使いのよう」

「明日の認定式では、皆がミリア様の光に感動することでしょう」


 侍女たちが口々に褒める。

 ミリアは微笑んだ。


「ありがとう。私、皆様のために頑張りますね」


 声は、いつも通り儚げに出せた。

 けれど心の中では、黒い不安が渦巻いている。

 前回の祈り。

 北部の土から立ち上った黒い煙。

 神官たちは、穢れを浮かび上がらせたのだと言った。

 けれど本当にそうなのか。

 もし、自分の光が穢れを乱しただけなら。

 もし、リリアーナの方が本物だったなら。


 ミリアは鏡の中の自分を睨みそうになり、慌てて表情を整えた。

 そんなはずはない。

 リリアーナは悪役令嬢だ。

 冷たくて、偉そうで、可愛げがなくて、みんなに嫌われる役。

 自分は聖女。

 王太子に選ばれ、守られ、愛される役。


 そうでなければならない。


「ミリア様?」


 侍女が心配そうに声をかける。

 ミリアはすぐに、弱々しく微笑んだ。


「少し、緊張してしまって」

「まあ……なんて健気な」

「大丈夫です。王太子殿下もついておられますわ」


 王太子殿下。

 アルヴィス。

 その名を聞いても、ミリアの不安は消えなかった。

 最近のアルヴィスは、どこかおかしい。

 以前なら、ミリアが不安そうにすればすぐに慰めてくれた。リリアーナを責め、君は悪くないと言ってくれた。

 けれど今は、時折、何かを疑うような目をする。

 北部への補助をどう思うかと聞かれた時もそうだった。

 なぜ、そんなことを自分に聞くのか。

 そんな難しいことは、リリアーナの役目だったはずなのに。


 ミリアは、ぎゅっと拳を握った。

 リリアーナ。

 リリアーナ。

 どこへ行っても、その名前ばかり。

 いなくなったのに。

 処刑されるはずだったのに。

 敵国皇帝に救われて、今度は本物の加護持ちだと囁かれ始めている。


「許せない……」


 小さく漏れた声に、侍女が首を傾げた。


「ミリア様?」

「いいえ、何でもありません」


 ミリアはにこりと笑った。


「明日のために、少しお祈りをしてきます」


 侍女たちを下がらせ、ミリアは一人で祭壇の前へ向かった。

 女神像が、白い顔で彼女を見下ろしている。

 その目が、どこか冷たく見えた。


「私は、聖女です」


 ミリアは呟いた。

 返事はない。


「私が選ばれたんです。アルヴィス様に。神殿に。皆に」


 祭壇の燭火が、かすかに揺れる。

 ミリアは両手を組み、目を閉じた。


「だから、力をください。明日、皆の前でちゃんと光れるように」


 祈る。

 祈る。

 どうか、光を。

 リリアーナよりも強い光を。

 誰も疑えないほどの、聖女の奇跡を。


 手のひらに、淡い光が灯った。

 ミリアは安堵しかけた。

 だが次の瞬間、祭壇の下から黒い筋のようなものが伸びる。

 光に触れた黒い筋は、まるで目を覚ました蛇のようにうねった。


「な、に……?」


 ミリアは後ずさった。

 黒い筋はすぐに消えた。

 だが、祭壇の白い布の端に、かすかな黒い染みが残っている。


 ミリアの顔から血の気が引いた。


「違う」


 彼女は震える声で呟いた。


「これは、私のせいじゃない」


 祭壇は沈黙している。

 女神像も何も答えない。

 ミリアは黒い染みを隠すように布を引き寄せた。

 明日の認定式までに、どうにかしなければならない。

 誰にも見られてはいけない。

 自分は聖女なのだから。

 聖女でなければ、何も残らないのだから。


 その夜遅く、皇国から王国宰相府とエルフェルト公爵家へ、同じ内容の通達が届いた。

 差出人は、ヴァレンティス皇帝カイゼル。

 内容は簡潔だった。

 王国神殿に残る古い術具は、星霜の加護へ干渉すれば土地の巡りを乱し、瘴気を拡散させる危険がある。

 加護の宿り手本人の意思に反した使用、固定、召喚、祭壇への接続を禁ずる。

 これを破った場合、皇国はリリアーナ・エルフェルトへの危害とみなし、正式な敵対行為として扱う。


 宰相エドガーは、その文書を読んで沈黙した。

 ギルベルトは、同じ文書を握りしめて目を閉じた。

 そして神殿では。

 神官長が、その写しを前にして顔を歪めていた。


「皇国め……」


 低い声が、祭具室に落ちる。

 だが、その背後の記録書は、また一頁、ひとりでにめくれた。

 そこには、古い文字でこう書かれていた。


『星を鎖に繋ぐ者、いずれ鎖に裁かれる』


 神官長はまだ知らない。

 翌日の聖女認定式が、王国神殿の権威を高める場ではなく、偽りの光が初めて公に揺らぐ場になることを。

お読みいただきありがとうございます。

続きが気になる方は、ブックマーク・評価で応援していただけると嬉しいです。

毎日19時半ごろ更新予定です。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ