49話 安堵
戻ってきた。
アイリスが息を吹き返した。
「嘘。信じられない」
俺は、自分がやっていた事ながら、アイリスが息を吹き返した事にとても驚いて息を呑んだ。
アイリスの顔に血の気が戻り、弱々しくも呼吸をしているのが、目で見ただけで分かる。
俺は気が抜けたのだろうか、安心しきってしまったのだろうか。
勝手に涙が溢れ出る涙に驚き、その状況が不思議でたまらなく、混乱している。
流れ出る涙を必死に拭っているが、止まる気がしない。
「信じられない。息、してる」
心臓が激しく胸を叩いて、今にも口から飛び出してきそうだ。
「よ、良が、った」
肩の力を抜き、気を抜いた次の瞬間、視界がぶれた。
気づけば地面に倒れ込んでいた。
「死んじゃったの? 死んでないよね?」
「……生きてるって」
「今やってたのって、蘇生魔法……? なんなのよ、あんた」
「いや、違うから」
良かった。本当に良かった。
体中に疲労感が満ちていて、このまま死んでしまいそうな気分だ。
こんな疲労感、生前含め味わったことなんて無い。
しかも、脳がこれ以上起きていることを拒否しているのだと思うのだが、恐ろしいほどの睡魔が押し寄せてきた。
もう寝てしまいたい。
「どうする。これ以上続けるのか」
怒気を孕んだ、低く、威圧感のある声が森に響いて、思わず身を竦めた。
声のする方へ目をやった時、獣達の姿が見えた。
恐怖のあまり、身体が硬直した。
さっきの光景がフラッシュバックしている。
震える身体を抑え込もうと、両腕で肩を抱いたが、恐怖は収まりそうにない。
恐怖へ必死に対抗していると、頭にふわっと何かが置かれた。
「セリニス、もう大丈夫」
「え。あ、ああ」
イオの手だった。
驚きの余り、反応で体が跳ね上がったものの、その言葉と気遣いのお陰で、少しばかり恐怖が薄れた気がする。
男達と獣達はお互いは距離を取っており、目を離さずとも、武器を下ろしている。
戦闘態勢はとっておらず、お互い、これ以上戦う必要は無いと言っているかの様だった。
戦いの終わりが、近づいてきているのが分かった。
獣達はお互いの顔を見合っており、何か話しているようだった。
カメ型の方が盾を使って、イヌ型を制している様にも見えるが――実際、話している言葉が全く理解できないから分からない――
話が終わったのだろう、しばらくすると獣達が武器を収めたのが見た。
これ以上、戦闘が行われない事が分かり、心から安心た。
自然と大きなため息が出て、体中の筋肉に張り詰めていた緊張がほどけてゆく。
運が良かった、カイル達が来なければ、間違いなく全滅していただろう。
ふと、戦闘が行われていた辺りから視線を感じた。
獣達は俺がいる辺りを見ているようだった。
二言三言会話を交わしていたが、カメ型の方がイヌ型の方の肩を掴んで動きを止めているようだった。
お願いだから、これ以上、恐怖を煽らないでくれないだろうか。
今にも昏倒してしまいそうになるから。
獣達はしばらくこちらを睨みつけたあと、身を翻し、森の奥へと歩いていった。
呆然と、森の奥へ消えていく奴らの後ろ姿を見ていた。
時折、獣たちが草木を乱暴にかき分ける音が聞こえる。
心が落ち着かず、自然と近くに見えた何かを掴んでいた。
その音が聞こえなくなるまでずっと。
手に伝わる、柔らかく温かい感触が震える体を落ち着かせてくれた。
「終わったわね、っと」
「ああ。なんとなかって良かったさ」
金属が地面に落ちるような音がした。
音の方を見ると、カイルとアニーが使っていた武器が地面に転がっているが分かった。
二人はそれをじっと見つめていて、俺はその光景が不思議でじっと眺めている。
武器をぞんざいに扱うふたりを、とても不思議に思った。
「これ、どうにかならないの?」
「僕らじゃしょうがないって師匠も言ってたからね。待つしか無いさ」
「それに、いつもよりすっごく疲れるしさ」
「お前たち次第でどうにでもならあ。ま、努力しな」
「また、そうやって……」
男は肩を竦めた後、一緒に戦っていただろう二人に近づき、頭をくしゃくしゃと撫で回していた。
アニーはとても嫌そうに、撫で回されている手を払い除けてムスッとしている。
大人と並んでいる所、二人はまだまだ子供なんだなと考えながら見ていた。
俺よりか背が高いから、どこか錯覚していたけど、成人になるまで、もうしばらく時間が必要なのが分かる。
カイルと男は、拳と拳をぶつけ合っていた。
男同士でお互いを称える、称讃の儀式か何かだろう。
その様子をじっと眺めていると、こちらを振り返った男と目が合った。
その瞬間、俺の身体に変化が起こり驚いた。
不思議なことに、身体が震えている。
本能的に感じる恐怖なのだろうか、不思議でたまらない。
その変化に驚いていると、気づけば3人がこちらに近づいて来ていた。
身体は震え続けており、恐怖あまり距離を取りたいが、疲労が原因だと思うのだけれど、どうしても体が動いてくれない。
握っていた何かが、俺の手を強く握り返してきて驚き、ゆっくりとそちらを見た。
握っていたのはイオの手だと分かり、俺はその状況がおかしくて、小さく鼻で笑った。
その俺の様子をみたイオは、眉をしかめて、軽くこちらを睨みつけていいる。
別に、イオの事が可笑しくて笑ったのでは無い。
気まずさから小さく謝ったら、彼女の広角が少し上がったのが分かった。
おかげで緊張がほどけ、震えが収まった。
鎧の男はもすぐ隣に居た。
アイリスの隣にしゃがみ込み、手を握って頭を撫でている。
その仕草はとても柔らかく、思いやりを感じる。
その様子を呆然と見ていると、男は顔をこちらに向けた。
目が合ってしまい、俺は自然と目線をそらした。
直後、男が吐くため息が聞こえた。
少しばかり目線を男の方へ戻すと、男と目が合った。
怪しいものを見るかのような目でこちらを睨んでいる。
その表情は恐ろしいほど訝しげだ。
俺を、この世のものとは思ってい無いような、不気味だと思っているかのような表情でこちらを見ているのが分かった。
心底気味悪がっているように見える。
その目で見られたら不快に感じるほど。
元々こちらの世界の住人ではないし、構わないんのだけれど。
俺が勝手に感じているだけなのかもしれないのだけれど。
(この男、とても不快な気持ちにさせてくれますね。私の権限でぱちんと消し去ってしまっても良いでしょうか)
(ぜひ止めて頂けないでしょうか)
そんな可愛い感じで、人一人を簡単に消し去ってしまわないでもらいたい。
それに権限って何だよ。
そんな恐ろしい権限を行使されてたまるか。
俺はその恐ろしい権限を、主という権限で却下します。
「坊主、お前変わった事をしていたよな。何だ、蘇生魔術は口を合わせないと出来ないのか。どこで習ったんだ。いや、習ったからと言って子供に出来るような魔術でも無いだろ」
「蘇生魔術?」
低く響く声に驚き、再び、体の芯から恐怖が湧いてきたのが分かった。
この男、威圧感が半端ではない。
ただの野生の獣であれば、近づいただけで全力で逃げ出してしまうのでは無いかと思うほどに。
「ん? どうした?」
その言葉で意識が現実に戻ったと同時に、ふっと、先ほどアイリスに行っていた事を思い出た。
イオもそんな事を言っていたが、決して魔術なんて高尚なものでは無い。
「心肺蘇生法と言って、前世で学びました。あれは、人体構造を利用した蘇生法です」なんて言えるわけない。
どのように説明するか。しかし、いくら考えても良い考えが浮かんでこない。
この世界に、心肺蘇生法が広まっているとは思え無いし、仮に真実をそのまま説明したとしても、さらに気持ち悪がられるに違いない。
いっその事、蘇生魔法と言い切ってしまうか。いや、どう考えても、その後の説明が難しくなる。
嘘を重ねると辻褄が合わなくなってしまう。
「ええっと……ええっと……」
「ああ、ごめんな。子供相手にキツく言い過ぎたな」
「え、あ、す、すいません」
そう言って、男はアイリスの体の様子を確認し始めた。
アイリスは目を閉じ、すやすやと眠っている。
もう大丈夫だろう。大丈夫だと思いたい。
「ねえ」
声をかけられた方を見ると、いい加減にして欲しいと言っているかのような顔でこちらを見ているイオが居た。
「手、いつまで握ってるの?」
「あ、ごめん」
ぱっと手を離して、深呼吸をすると、先程までの極限の疲労状態からは多少は回復しているのが分かり、安心した。
イオのお陰なのだろう、再起不能になるような怪我は無いらしい。
とても重く感じる体を、力と魔力を込めて立ち上がらせた。
魔力を扱える体質で良かった。その事だけは神様に感謝しよう。
兄さんとティアが二人して木の根元でぐったりとしていたのが見えて、心配になり、二人の元へ向かうために、ふらつく体を必死に動かす。
「ふたりとも、体は大丈夫? 動ける?」
俺の声気づいた二人は、ゆっくりを頭を上げた。
二人の目には、未だ恐怖の色が残っている。
目を凝らさなくても体を震わせているのが分かった。
「こわ、かった」
ひぐひぐとなくティアの手を取り、ぎゅっと握った。
もう片方の手で、とめどなく流れる涙を必死に拭うティアを見て、心がぎゅっと締め付けられる。
兄さんは何も言わない。
その表情は涙をこらえているようで、力が入るが余りしわくちゃで見るに堪えない。
二人が無事で、本当に良かった。
「立てそう?」
「だめ、力が入らない」
ティアを握る手とは反対のもう片方の手で、兄さんの手を握り、ゆっくりと魔力を流し込む。
次第に、手から伝わる体の震えが、少しずつ落ち着いてくいくのが分かった。
「ありがとう。大分良くなったよ」
ティアはこちらを見て弱々しく笑っている。
涙に濡れた顔が痛々しく、どうしても直視できない。
「二人とも、大丈夫かい? って、大丈夫ではないだろうけど……立てるかい?」
カイルとイオがやって来た。
二人は力を振り絞って立ち上がろうとする。
しかし、どうも上手くいかないようだ。
その兄さん達の様子を、二人はとても心配そうに見ていた。
兄さん達は、どう見ても自力で立ち上がれるようには見えない。
「ティア、わたしの肩掴んで」
「ヘリオスは僕が支えるさ」
二人の力を借りてようやく立ち上がった兄さん達は弱々しく、頭を上げるのも困難のようで、俯いたままだ。
二人を立っているとは表現するのは間違っている。
どちらかと言えば、ぶら下がっていると表現するのが正しいと思う。
「とにかく家に帰らないとね。セリニス、案内してほしいさ」
鎧の男がアイリスを担いでいるのが分かった。
これなら、問題なく村に着くだろう。
村への距離は割と短い。比較的すぐ着くはずだ。
この場所は、森の奥と表現するのが間違っているほど村から近い。
皆の帰宅の準備が出来たことを確認して、俺は案内を始める。
「村は……って知ってますね。家まで案内――」
茂みががさごそと音を立てた。
その音で俺の心臓が大きく波打つ。
嘘だろ、あいつらが帰ってきたのか。
その場の空気がピンと張り詰める。
皆、いつでも戦闘が始められるよう武器を手に添えている。
先ほどとは同様に動けないだろうけど、体内へ魔力を集め武器に手を添えた。




