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48話 混濁

「あれ、いたの?」


懐かしい人が、そこに佇んでいた。

けど、意識がはっきりとせず、そこにいるのが誰なのか。

顔ははっきりと見えず、知っているはずなのに名前が思い出せない。


匂い、雰囲気、声。

ただ、懐かしいといった気分になるだけで、誰だったのか、名前が思い出せない。


「後悔してる」


後悔? ああ、そうだ。俺とあなた。

良い終わり方をしていなかった。

結局、僕は間に合わなかったから。


「別に怒ってないけど」


あの時から、僕はこの人のことを忘れることは出来なかった。

喜んでいる顔、怒っている顔、泣いている顔。

どの表情も喉元まで出てくるのだが、どのような顔だったか思い出せない。


ねとっする生暖かい液体のようなものが、顔にまとわりついて気持ちが悪く、思わず目を閉じた。


何かに舐め回されているような感覚に襲われ、直後、犬のような鳴き声が聞こえた。

不思議に思いながらも、少しずつ目を開ける。


力強くも大きな瞳、ぴんと立つ三角の耳、ふわふわの毛並み。

生前飼っていた愛犬。コタロウがいた。

どうやらコタロウに舐め回されていたようだ。


挨拶代わりに、顔をわしわしと撫で回してやると、耳がぐにぐに、目がぐにゃぐにゃと、顔の皮の動きに合わせて動いて、ついついニヤついてしまう。

いつも、俺の心を気持ちよく動かしてくれる。

けれど、こいつはもうこの世にはいないはずだ。

中学だか、高校だか忘れてしまったが、かなり前にお別れをしたはずだ。


しかし、顔に纏わりつく、生暖かいねとねととした感覚がどうしても拭い去らない。


ひゅんひゅんと、何かが力強く風を切る音がする。

その何かが地面に勢いよく落ちたのだろうか、甲高い音が耳元で聞こえた。

落ちるというよりも、突き刺さるといった表現が正しい気がする。


「僕だよ!」


うぜぇ。


というか、コタロウが喋ったのだろうか。

まさかと思い、コタロウの方を見た。やはりコタロウしかいない。


しかし何だろう、どこかで聞いたような聞き覚えのある声。


「嘘、何なのよこれ」


女の子の声がする。こちらも何処かで聞いた事がある声だ。


「なんで? こんな所にいる種族じゃないでしょ?」

「お前ら、あんま近づくんじゃねぇぞ」

「酷いわね……こっちは私に任せて」


ふわっと頭に何かが触れる。なんとなく分かる。これは人の掌だろう。

ぶつぶつと何か言っているけど、良く聞き取れない。

けれど、敵意を感じなかったから、抵抗する気が全く沸かず、頭に触れている感覚に委ねることにした。

直後、ずくずくと響いていた頭の痛みが引いて驚いた。


「これで大丈夫だとは思うけど」


痛みは殆ど感じられず、生命の危機を感じるほどの恐怖が薄れるのが分かった。


「こっち見える?」


意識がはっきりせず、頭がぼうっとする。

目を開けたはずなのに、視界もぼやけて前が見えない。

顔が濡れている感覚がして、思わず手を持ってくると、ねとっとした嫌な感覚が手に伝わってきて、身体の芯からにぞっとする感覚が湧いた。


「傷は塞がったけど、あまり無理して動かないで」


身を起こそうと体をよじった直後、激痛が体を駆け巡った。頭に鈍い痛みが響く。

体を起こすのは諦めて、体の力を抜いて地面に横たわる。


「セリニス、こっちが見えるかい?」

「え? ああ、少しだけ」


声がする方を見ると、そこには見覚えのある顔があって何が起こっているのか理解が出来なかった。

確か、獣のような、人ような化物に襲われた記憶はあるのだが、その後がどうなったのか全く思い出せない。

いや、思い出すような記憶が無いのだ。

だって、俺は化物に負けてしまい、死んだはずなのだから。

けれど、目の前には知っている顔があって、俺は死に体ながらも、かろうじて生きているようだった。


「あれ? カイル? 何で?」

「助けに来たのさ。だけど、こんな事になってるとは思わなかったな」

「こんな事?」


辺りを見渡すと、久しぶりに見る顔があった。

カイル、アニー、イオの3人の顔が。


「みんな、どうして」

「セリニスの村からギルドへ依頼が出ててさ、皆で来たって訳さ」

「ああ、そうなんだ」


ギルドに依頼が出てたんだ。

確か、肉屋のおっちゃんが依頼を出すとか言っていた気がするけど、いつの間に依頼していたのだろうか。


「悠長に話す時間は無いからな」


その言葉で、カイルは声のする方へ向かった。

重たい頭を動かしてそちらを見ると、立派な鎧を着た、どこかの国で役職がついている、いかにも偉そうな雰囲気を感じる男の人が立っていた。

呆然と、歩いていくカイルの様子を見ていたら、鎧の男の隣にカイルが並んだ。

目の端に、赤くなびく髪が映る。

カイルの少し後方にアニーが立っている。


「ねぇ、こっちの子、目を覚ましそうにないんだけど。というか息してない」


イオの声がする方を見ると、まるで寝ているかのような、綺麗な顔の女の子が地面に仰向けで横たわっていた。


「息って、え、何」


痛みに堪えながらも、重たい身体を起こして、アイリスの頬を触れる。人形を触ったかと錯覚するほどにひんやりとした感覚が指先に伝わってきた。


「アイリス?」


後の方で金属がぶつかる音がして、体に電気が走ったような感覚がして体が少し跳ね上がった。


アイリスの口の近くへ、耳を近づけてみたが、一向に息が触れる感覚が伝わってこない。

それがなぜか理解した瞬間に、頭から周りの風景が消えたような感覚、頭が真っ白になる感覚に襲われた。


「アイリス!」


理解が出来たが、現実を受け入れられなかった。

そんなはずが無い。だって、アイリスはここにいるじゃないか。


「イ、イオ。回復魔術を」

「やったわ。傷も塞がったし、怪我は治ったはずだけど――」


そう言ったイオは、握っていたアイリスの手を離した。


「そ、そんな。アイリス……アイリス! もう一回、もう一回だけ試してみてよ!」


イオのは顔を顰めて、どこか悲しそうな表情をしているのが分かった。


「……ヘリオスとティアを診ないといけないから」


力弱くそう言ったイオは立ち上がり、どこかに行ってしまった。

その様子を呆然と眺めていたら、イオが向かっている先に兄さんとティアがいるのが分かった。

駆け寄りたい衝動に駆られたが、目の前にいるアイリスを放っていく訳にはいかない。

心配ながらイオの様子を見ていたら、蹲りながらも動いている二人が見えた。


「姫さんの方は間に合わなかったか」


声をする方を見ると、鎧の男がアイリスを見ているのが分かった。


「使っていいぞ」


その直後、カイルとアニーは鎧の男に向かって頷き、胸の前あたりまで腕をあげ、交差させた。

そして、両腕の手首辺りをぶつけるような仕草をした後、キンッと音が響いた。


「お前らは、ノロそうなあっちの方を相手していろ」


カメ型の獣を方を指さしている。


「俺はこっちをやる」


そう言って、鎧の男はイヌ型の獣の前へ歩み出た。


(主様)


俺はハッとして、アイリスの方を見た。

実は起きているのではないかと、ほんの少し希望を持ってしまったが、そこには、顔に血の気を感じないアイリスが横たわっているだけだった。

口へ近づけた耳は、吐かれる息を感じられない。


以前どこかで見た覚えがある。

人が死ぬ瞬間。

どうすれば良い。

俺は何をすれば良い。


(彼女、まだ生きていますよ)


生きている?


(微弱ですが、魔力を感じますよ。それに、とても弱いですが、心臓も動いているようです)


咄嗟にアイリスの胸に耳を当ててみた。

心音なんて、一切に耳に響いてこない。

本当に、動いているのだろうか。

ケット・シーは、適当なことを言っているのではないのだろうか。


(とにかく呼吸を戻さないと、今にでも心臓が止まってしまいそうです)


ケット・シーを信じるしか無い。

他に信じるための、理由なんて存在しない。

俺は、アイリスに生きていてほしいのだから。

疑ったって、仕様が無いのだから。

ケット・シーの言葉を支えに、最善を尽くすしか無いのだから。


(急いだ方がいいですよ。心臓は、今にも止まってしまいそうです)


息をしていない。

心臓は止まっている。

人はこんな状態になる事なんてあるのだろうか。


生前、目の前で、この様になる直前まで普通に生きていた人間が、何か不運が起こり、呼吸が停止してしまう状態になる。

そして、今にもこの世を去ってしまいそうになっている状況なんて、立ち会ったことなんて無い。


日本にいた頃なんて、そんな状況、殆どありえなかった。

旅をしていた間も、そんな経験なんてした覚えはない。


一瞬で、人が死んでしまったのを、見たことはあるけれど――


しかし、どうすれば良いのか、頭がパニックを起こしてしまい、いい考えが浮かんで来ない。

これだから、俺はだめなヤツなんだ。


(主様、落ち着いてください。人工呼吸を試してみませんか)


そうだ、人工呼吸だ。

けれど、人呼吸なんて。

何処かで何度か教えてもらったけれど、実体験なんて無い。

だから、どのように行えば良いのか、漠然としか覚えていない。

思い出すんだ。

落ち着いて、考えろ。


まず、とにかく息を吹き込む必要がある。

半開きになったまま全く動かず、鮮やかな色をしていたのに、今となっては青白くなってしまった唇を見て、心臓が跳ね上がった。

急いで処置しなければ、慌てている場合じゃないんだから。


口に近付こうと、上半身を曲げた瞬間、体の軋む感覚がした。

血が昇っていた頭がすっと軽くなり、少しは冷静さを取り戻すことが出来た。


深呼吸をして、顔をアイリスの顔に近づける。

口と口を合わせ、合わせた口から空気がもれないよう、アイリスの口を覆うように、自分の口で蓋をした。


息を吹き込もうとしたのだが、この状態で息を吐くことが思った以上に難しく、上手く吹き込めなくて、また混乱してしまいそうになったが、それでも可能な限り息を吹き込もうと、肺から空気を絞り出すように胸のあたりに力を込める。

しかし、何度か繰り返してみたが、手応えを感じない。


「え、何してるの」


イオがこちらにやって来たのだろうか。けれど、今は相手をする余裕なんて無いし、そんな場合では無い。

無言で心肺蘇生を行う事で、俺はイオの問いかけに答えた。


「死者を冒涜するのは良くないと思うんだけど……」


いや、ケット・シーはまだ死んでないって言っていた。

そんなはずは無いんだ。

無理に息を吐き続けたせいなのか、頭がふらふらとしてきたけれど、止めるわけにはいかないんだ。

まだなのだろうか。アイリス、目を開けてくれ。


(心臓、止まってしまいましたね)


嘘だろ。


(体内魔力まで消えてしまったら、魂が切り離されてしまうので――)


まだ諦める訳には――


魔力。そうだ、魔力。アイリスは普通の人以上に魔力を必要としているんだ。

息を吹き込むために、曲げていた上半身を起こして、

アイリスの胸に両手を当てる。

その手に伝わるはずの、呼吸をしたら上下するはずの胸、微かにだが分かるはずの胸の鼓動が感じられない。


絶望が、少しずつ、自分の体を染めていくのが分かってしまった。


体に残っている少しばかりの魔力を両腕に集める。

いつものように、魔力を操作して、アイリスの胸に当てている両手から魔力を注ぎ込んだ。


体内にある魔力が消えかけ、意識が飛びそうな感覚になって、周囲から魔力を取り込めば良いのだと思い出した。

急いで、魔力を集めないと。

全力で、魔力を取り込むことに集中して――


ふわっと、両の頬に何かが触られる感覚がする。


(だめです。慌てないでください)


後ろから、俺の頭をケット・シーが両手で挟み込んでいたのに気づいた。


(無理をしてはいけませんよ)


ケット・シーの、お陰で冷静になれた。

大量の魔力を、無理やり体内に取り込むと、俺は気を失って倒れてしまうらしい。


以前、ワイルドコックを倒した時、気を失ったのもそのせいだとケット・シーは言っていた。

「身体、弾け飛ばなくて良かったですね」と言われた時、背筋が凍りついて言葉も出なかった。


早る気持ちを落ち着かせ、少しづつ周囲から魔力を体内に集め、両腕に魔力を練り上げる。

そして、アイリスへと魔力を流し込む。


身体が勝手に動いてアイリスの胸を押し込んだ。

自分自身がその行動に驚いているのが分かった。

第三者が見ているような感覚になりながらも、その行為が正しい事なのだと思いだした。


魔力を流し込んだあと、両腕に力を込めて胸を押す。

それを、人工呼吸と交互に行った。

一体どれほど繰り返せばいいのだろう。

もう何度やったか分からない。


「もう、止めたほうが……」


かすかに聞こえるイオの声をきっかけに、全身が絶望で染まり切るような感覚が押し寄せてきた。

そう思いたくないのだけれど、もう無理だと身体が答えているからなのか、気がついたら、アイリスを起こすためのその一連の行動を止め、身体の動きが停止してる事に気がついた。


「気持ちは分かるけどさ……」


イオの声と、動いていない事に気づけた事で現実に戻ってきた。

まだ、まだそんなに時間は経ってないはずなんだから――


「かはっ」


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