第9話:一人の食卓、一人の実力
(……初日からお客さんが来るとは)
仕事がうまくいって、安心しつつ俺は夕食のしたくをはじめた。
水桶から水をすくい、鍋にはる。かまどに薪をくべ、火打ち石を打ちならす。火花が燃えうつり、炎が薪を舐めはじめるのを見とどけてから、俺はありあわせの野菜をきざみはじめた。
刃がまな板を叩く音だけが、店内に響く。
切った野菜を鍋に放りこみ、水が煮だっていく音をききながら、俺の視線は、ふと壁のすみにむかった。
そこには、一本の剣が立てかけられている。
空き家だったころから、中に、置いてあったものだ。柄にまかれた皮はすりへって手あかに汚れ、鞘には無数の傷がきざまれている。しかしよく見るとこの剣は生きている。使い手を待っているようだ。
七年の間、俺は戦場のそばに立ち続けてきた。荷物持ちとして、血の匂いと土埃にまみれながら、戦う者たちの背中をながめ続けてきた。
魔物の咆哮、金属がぶつかりあう音、味方が敵を打ち倒した瞬間の歓声。
その全てを一番近くで聞いてきたけれど、俺自身が剣を振るったことは、数えるほどしかない。
実戦では役に立たないからと、いつも決まって後方にさげられていた。俺に実質的に求められていたことは、荷物持ちだけだった。他のことを期待されていたわけではない。
俺に剣は振れない。そう思いこんできた。
(試しに、抜いてみようか。)
誰に見られるわけでもない。食後の運動には良いかと思い、俺は剣を手に取り、店の裏手にある庭へ足をむけた。
太陽はすでに山のむこうに沈み、空には夜の帳がおりはじめている。風が木々の葉を揺らす音だけが、耳に届いていた。
家の大きさからしたら広い庭の真ん中で、俺は剣の柄を握り、ゆっくりと鞘から引きぬく。
金属がこすれる音が響いた。刃の表面には、月明かりがぬらりと反射している。
剣の構えかたなんて、誰かに教わったわけではない。ただ、七年という時間の中で、俺の目の前で剣を振るい続けた男――レオンの背中を、記憶の底からひきずりだしてみる。
足の幅、腰の落としかた、腕の角度。
まぶたの裏に浮かぶ彼の姿に、自分の体をかさねあわせていく。右足に体重を乗せ、剣をななめ下へと構える。
そして、息を吸いこみ、腕を振りおろした。
――風が、爆ぜた。
空気を切りさく音が、耳をつんざく。
手のひらには、柄を伝ってしびれるような衝撃が走りぬけた。地面を踏みしめる足の裏から、腰、肩、そして剣の先まで、まるで一つの線のようにつながり、力がよどみなく伝わっていく。
「……え」
声に出そうとした言葉は、喉の奥につかえて消えた。
俺は自分の手元をみつめたまま、息をとめる。
もう一度、今度は記憶の中の動きを、さらに意識してなぞってみる。
右足を踏み込み、腰をひねりながら、横になぎ払う。
刃が空を裂き、風が渦を巻く。庭のすみに積まれていた落ち葉が、見えない刃に切り裂かれたかのように、空中に舞いあがった。
剣をにぎる手が、かすかに震えている。
「嘘だろ。」
思わず、柄から手を離しそうになった。
こんな一振り、荷物持ちの俺にできるはずがない。レオンの剣筋を見様見真似で、ただ思い描きながら体を動かしただけなのに。それに何だか変だ、これはレオンの剣ではない。まるでこちらがオリジナルと主張しているかのように、体が動いているのを俺には感じた。
「気のせいだ。……気のせい、だよな。」
もはや思い込みを超えた強迫観念だった。口の中でつぶやきながら、今度は自分が振りやすいよう何度も剣を振り続けた。その剣は全てにおいて明らかにレオンを超えていた。
足の踏みこみは大地をえぐり、刃がひるがえるたびに空気が鳴く。
まるで、最初から俺の体に、その戦い方が染みついていたかのように。
戸惑いを抱えながらも剣を鞘におさめ、俺は深呼吸を繰り返した。汗一つ流さず、息を整っている。
そして今度は、図書館で山のように読みあさった魔法書の数々を思いだす。
魔法なんて、これまで一度も使ったことがない。魔力を感じる方法すら、知らなかった。
けれど、あの図書館での知識の吸収を振り返れば、頭の中には魔法の理屈が、根を張るようにしみこんでいる。
初級の灯火術なら、できるかもしれない。
手のひらの上に、小さな火の玉をともすだけの、ありふれた魔法。
俺は右手を前にだし、手のひらを上に向けて、記憶の中にある言葉を口にした。
「灯りよ、この手に――」
その言葉を紡いだ瞬間、体の奥底から、煮えたぎるようなかたまりがせりあがってきた。
それは血液の流れに乗って、腕を伝わり、手のひらへと一気に集まっていく。指先が脈を打ち、皮膚の下をなにかが駆けぬけていく感覚。
目を開けていられないほどの閃光が、夜の闇を食い破った。
「なっ――!?」
手のひらの上に生まれたのは、ささやかな火の玉ではなかった。
とっさに熱を体中から感じから、手を振りあげる。
それは、人の背たけの倍ほどもある、巨大な光の球体。
今まで出会った大抵の魔物を蒸発させるほどの熱が、顔の皮膚を焼くように照りつける。周囲の空気がゆがみ、庭に生えていた草が、一瞬にして炭と化して崩れ落ちた。風が巻き起こり、俺の髪を荒々しく揺らす。
「うわあああ!?」
俺はあわてて空に向けて手を払い、魔法を断ち切ろうとした。
行き場を失った光の球は、夜空にむかって弾けとんだ。
轟音とともに、上空で光が爆発する。
まるで真昼の太陽が落ちてきたかのように、町全体が一瞬だけ、白く染まりあがった。
「……な、なんだ、今の。」
俺はその場にへたりこみ、自分の手のひらをみつめた。
何がおきたのか、理解が追いつかない。
あれは、初級の魔法のはずだ。本に記されていた通りの手順をふんだだけなのに。
遠くの方から、人々の声が風にのって聞こえてくる。
「今の光、なんだ!?」
「空が光ったぞ。星が落ちたのか?」
騒ぎが大きくなっていく気配がする。足音が重なり、窓が次々と開け放たれる音が夜風にまじって耳に届く。
落ち着け、落ち着け俺。なにか、誤魔化さないと。
このままでは、出処がここだとばれてしまう。
俺は立ちあがり、井戸の水を桶にくんで、焦げた地面にぶちまけた。
水が蒸発する音とともに、煙が立ちのぼる。泥だらけになりながら、足跡を消し、炭になった草を土に埋めこむ。
必死に手を動かしながらも、俺の心臓は、これまでにないほど早鐘を打ち続けていた。
戦えないと思っていた自分の体が、剣も、魔法も、ありえないほどの精度で答えてくる。
俺は一体、何者なんだ。
庭のすみの焦げた地面で、へたりこみながら、先ほど光の球が弾けとんだ、空の彼方を見ながらそう思った。




