第8話:相談所、開業
町の近くには、木々が重なりあう森が広がっていた。まだ日は落ちてないというのに、奥のほうは光が届かずに黒く沈んでいる。葉がすれあう音がざわざわと響き、鳥の声ひとつ聞こえない。
「あの……これは?」
俺は足をとめ、門のそばに立っていた男に声をかけた。門番の役目についているらしきその男は、手にした槍を壁にたてかけ、肩を上下に揺らした。
「ああ、そりゃあ何十年も前の話さ。森の奥に得体の知れない竜が出たとかでな。念のため、こうして当時その竜を見たやつが書き残して置いているだけだよ」
「そう、なんですか」
「まあ、あんたみたいなよそから来た人には、縁のない話だ。町の中はあらそいごともなく、人がおだやかに日々をおくっているよ」
門番は喉の奥をならして笑う。こちらが身がまえていた心を、吹きとばしてしまうほどに、のんびりとした態度だった。はりつめていた俺の肩から、すっと力がぬけていく。
少し話をした後、門をくぐりぬけると、足元には石が敷きつめられた道が続いている。道の両側には、木を組みあわせてたてられた家々が、身をよせあうように並んでいた。
通りを歩いていると、すれちがう人たちは、足を止めて言葉をかわし、笑いあっている。子どもたちが道の端をかけぬけ、荷車をひく男が汗をぬぐう。家の屋根からあがる煙が風にながされ、パンが焼ける匂いと、土の匂いが鼻先をかすめた。
「ここなら、あらそいとは無縁の暮らしができそうだ」
口からこぼれ落ちた言葉に、嘘はなかった。俺は町を歩きまわり、月日がめぐる間人が住んでいなかった空き家を見つけた。大家にいくらかの硬貨をわたし、その家を借りうける。
そこからは、休むことなく手を動かし続ける日々だった。床につもった埃を箒ではきだし、窓の枠についている汚れを水でぬらした布でふきとる。森の入り口で手ごろな木を拾い集め、のこぎりを入れて板をきりだした。釘をうって物をのせる台を作り、その前に丸太をけずった椅子をいくつか並べる。木をけずりだすたびに、木の粉が宙を舞い、光をあびてきらきらと光る。額から流れ落ちる汗を袖でぬぐいながら、俺は黙々と手を動かし続けた。
壁には道中で集めた束ねた薬草を紐でつるし、数日かけて形になったのは、歩幅を少し広げれば端から端までとどいてしまうほどの、限られた広さの店だった。目を見張るような作りとは、口がさけても言えない。
「何でも相談してください……か」
表に掲げる看板に筆で墨をのせながら、俺は顔に血がのぼって熱を持つのを感じた。身の丈にあわない言葉をかかげてしまったのではないか。筆をもつ手がわずかに震える。
それでも、これでいいのだと自分に言い聞かせた。俺は剣を振ることができない。前を歩く者たちが、戦いに集中できるようにするために荷物を背負い、管理し、必要とあらば物資を渡す、それしか、いや正確には荷物を持つことしかまともにできなかった。そんな戦う力を持たない俺でも、誰かの助けになる場所を作りたかった。願いは、ただそれだけだったのだ。
店を開けた、はじめての朝。
日がのぼり、通りを歩く人の足音が聞こえ始めても、店の戸が開く気配はなかった。もとより、誰も来ないだろうと、心のどこかで諦めかけていた。
だが、表に板をつるしてから一時間も持たないうちに、戸が勢いよく横にすべった。
「ちょいと、あんた!」
「わっ」
はじかれたように声をあげてしまう。飛びこんできたのは、腰がくの字に曲がった老婆だった。木の節がめだつ手で杖をついているが、俺を見すえる瞳は、獲物をねらう鷹のようにほそめられている。
「相談所ってのは、ここかい」
「はい。そうです」
「ふん。あたしゃ隣にすんでるバーサだ。さっさと教えとくれ、これが口に入れても大丈夫な草かどうかをね」
バーサと名乗った老婆は、手の中ににぎっていた数本の草を、台の上に乱暴にほうりだした。ばさりと音をたてて、土のついた根と葉がちらばる。
「えっと……」
突然のことに戸惑いながらも、俺はその草に指先をのばした。
草の茎にふれた瞬間だった。
頭の中に、ふわりと風が吹きこんだような感覚が走った。続いて、本のページが風にあおられて、めまぐるしくめくられていくような音が耳の奥で鳴る。目の前にある草の形、葉の裏にはしる筋の数、根の太さと色。それらの情報が、砕けたかけらが組みあわさるように、一つの答えをみちびきだす。インクの匂いまでもが鼻の奥によみがえってきた。この草の名前、体にどのような影響をあたえるか、どのような効き目があるか。まるで、ずっと前から知っていたことのように、言葉となって口をついて出る。
「これは……ヨモギダケですね。口に入れることはできますが、火を通さずに食べると舌が痺れてしまいます。鍋で湯をわかして、しっかり茹でてから食べるのが一番です。それから、こっちの葉は――」
「ちょ、ちょっと待ちな」
息継ぎも忘れて言葉をかさねる俺を、バーサが手のひらを突きだして止めた。見開かれた目が、俺の顔をまじまじと見つめている。
「あんた、薬を扱うのを生業にしているのかい?」
「いえ、まったく。ただの、元荷物持ちですよ」
「はァ? もと荷物持ちが、なんでこんなに草の裏の裏まで知ってるのさ」
「王都の図書館で手に入れた知識ですよ、役になったようで良かったです」
「まあ、いいさ。助かったよ」
バーサは鼻をならすと、顔にきざまれた皺をよせて、はじめて口元をほころばせた。
「気に入った。あんた、ここに長く腰を落ち着けるつもりかい」
「はい、そのつもりです」
「なら、頼りにしてるよ。なにせこの町には、まともに薬を扱える人間が一人もいないもんでね」
バーサは台から草を拾い集めると、背をむけた。曲がった背中が、来た時よりも少しだけ伸びているように見える。杖の先が木の床を叩く音を響かせながら、店を出ていく。
はじめての客と無事に向きあえたことに、俺は胸の奥につかえていた息を長く吐きだした。
――悪くない、はじまりだ。




