第10話:もしかして、俺は……
「……見られた、よな」
胸の奥を冷気がなでる。だが、いまさら取り乱したところでどうにもならない。夜の底に沈むこの時間に、いきなり扉を蹴破ってくることもないはずだ。
俺は自分にそう言い聞かせ、寝台に体を横たえた。目を閉じても、まぶたの裏には炭の匂いがこびりついている。
ろくに眠れもせず、夜が明けても、頭の中は昨日の出来事であふれていた。
あの一振り。あの魔法。
本当に、あれは自分の体から生み出されたものだったのか。
「……試してみるか」
生きることに手一杯で、ずっと押し殺してきた好奇心が、不安の壁を越えてあふれ出していた。
水とわずかなパンで食事をすませる。味も匂いも存在しないかのように、ただ胃におしこむだけだ。そのまま俺は、ふたたび朝霧の残る裏庭へ足を踏み入れた。東の空に太陽が顔を出し、土の匂いが鼻をつく。
まずは剣からだ。
壁に立てかけてあった使い古しの剣を手に取る。柄の感触が、手に吸いつくようだ。
目の前に敵がいる様子を頭にえがき、一人で型を反復する。地を蹴る足の裏の感覚、刃を返す手首の角度、相手の懐に飛びこむ時の重心の移動――どれも、まるで最初からからだの隅々にまで刻まれていたかのように、水が流れるように体が動く。
「これ、……やっぱりレオンさんの動きに、似ている」
七年間、すぐ後ろで見続けてきた剣の軌道。だが、ただの真似ごとではない。似ている部分をのぞけば、俺の振る剣のほうが、比較するのもためらわれるほどに上をいっている。風を裂く音すらが、それを証明していた。いくら剣を振っても、息はまったくあがらない。
次に、魔法を一つずつたしかめていく。
昨夜のように庭を焼き尽くす事態をさけるため、今度は意識して魔力を抑えこみながら言葉を紡いだ。
「灯りよ、この手に――」
祈るように声をこぼすと、体の奥底から血管をとおって何かが這いあがってくる感覚があった。そして掌の上に、本来あるべき握りこぶしほどの光が浮かびあがった。熱はないが、確かな光の粒がそこにある。
「……なるほど。意識すれば、加減もできるのか」
息を吐き出し、俺は次々と初級の魔法を展開していく。指先から水をこぼれさせる魔法、足元に風を巻かせる魔法、やけどあとをきれいさっぱり消す治癒の魔法――どれも、詠唱の言葉を口にした瞬間、まるで昔から使いこなしていたかのように、魔力の流れと術式の構造が頭の中に浮かびあがってくる。
しかも、その精度は、書物の中に記された初級という枠組みを、あきらかに逸脱していた。水はガラスのように澄みわたり、風は思い通りに渦をまく。
「……理屈があわない」
つぶやいた声が、風の止まった庭に吸いこまれていく。
これまでの俺は、まわりから要領に欠ける、才にはぶかれていると吐き捨てられ続けてきた。剣の間合いも、魔法の構成も、俺にとっては手の届かない場所にあるとばかり思っていた。
だが、こうして一人で体を動かしているかぎり、そんな不甲斐なさは欠片もみあたらない。
「もしかして――」
胸の奥に、泥水のような疑念がひろがっていく。
「俺、実は……無力なんかじゃ、なかったのか?」
その考えが頭をよぎった瞬間、あの戦場の中で全身を支配していた、正体のつかめない虚脱感がよみがえってきた。
剣を振るうわけでもなく、ただ荷物を背負っていただけなのに、体の芯からごっそりと気力が奪い取られていく感覚。立つこともままならないほどの疲労が、いつも俺を襲っていた。
もしかして、あれと、今の状態は。
どこかで線がつながっているのではないか。
考えをめぐらせればめぐらせるほど、頭の中には疑問の種が増えていく。
なぜ、こうして俺一人でいる時に限って、これほどの力を引き出せるのか。
なぜ、仲間とともにいた七年間は、こんな感覚を一度たりとも抱かなかったのか。
「……やっぱり感覚付与だな。でも、それだと昔の自分が説明できない、付与ならば」
俺の力が、仲間の能力を底上げしていたというのか。それとも、自分の力を彼らと共有していたというのか。出口のない思考の迷路に、俺はいったん壁を作ることにした。今すぐに全ての謎を解き明かせるとは思えない。
だが、かわりに別の考えが、頭の中で芽を出していた。
(そういえば、ミリアはヒーラー、キリクは斥候だったな)
治癒の魔法はすでに試した。では、敵を探る力はどうだ。
「そもそも。斥候に必要な力ってなんだ?」
答えは数秒でまとまった。気配を消して、周囲の空気を読み取り、耳をすませ、見えない相手の呼吸を察知する力だ。死地において、いかに彼らの役目が命をつなぐものであったか、今なら底の方まで理解できる。念のため、思いついた能力を開発してみるか。
不思議と、胸の鼓動がリズムを早めていた。七年という月日の間、荷物持ちとして、ただ命じられたことをこなすだけの日々を生きてきた。足手まといだとからかわれ、ただ俯くことしかできなかった。俺には何もないのだと、自分に言い聞かせてきた。
だが今、こうして自分の意思で考え、自分の体で行動を起こしている――その事実に、俺は言葉にする術をもたない熱を帯びた充実感を抱いていた。
気配を消して、意識を周囲の空間へとひろげていく。風が葉を揺らす音。土の下で動く虫の気配。壁のむこうを歩く人の足音。全てが、手に取るように脳裏にえがかれていく。空間そのものを把握するような、この感覚。これは斥候として使えそうだ。
しかしここで気づく、誰かが壁にもたれかかり、こちらの様子をうかがっている。
(嫌な感覚はしないな……賭けてみるか)
気配を消すのを止めた瞬間――気づかれる。
「――なるほどな。やっぱり、お前だったか」
壁の外から声が響いた。




