第6話:王都図書館の怪物
パーティを追放されてから、俺はまず王都の図書館へと足をむけた。
これからの予定など、なにも決まってはいない。しかし、辺境の地に移り住むにしても、少しばかりの知識を身につけておいたほうが役立つだろう。そんな理由からだった。
「薬草学を学んだ方が良さそうだ」
馬車の車輪が石畳を叩く音にまぎれて、ふと、そんな言葉が口をついてでる。
通りには、肉を焼く露店がならび、商人たちの声が響き渡っている。しかし、俺の耳にはそれらの喧騒が届いてはこなかった。心ここにあらずといった足取りで、ただ石畳の上をすすんでいく。自分の生きる目的が、ぽっかりと抜け落ちてしまったかのような迷子の気持ちだった。
しかし前向きに考えるようにした。魔物を討ち倒す力がないのなら、剣をにぎらない生き方を探せばいい。
薬草の知識でも、なにか一つでも武器になるものを身につけていれば、辺境の町でひっそりと息をひそめて暮らしていくことができる。そう考えた時、真っ先に足がむいたのは、王都の中央にそびえ立つ大図書館だった。
「うわ……」
空を覆い隠すほどの石の壁を前にして、思わず声がもれた。
王都の歴史をそのまま形にしたような、天を突くかとおもうほどの建造物。柱には緻密な彫刻がほどこされ、入り口に立つ騎士たちの鎧が、陽の光を反射して輝きを放っている。
重みのある木の扉を押し開けて中にはいると、紙とインクの匂いが鼻をかすめた。床に敷かれた絨毯が、足音を吸い込んでいく。受付に立つ司書に軽く頭を下げ、俺は光の届かない書架の奥へとすすんでいった。
「まず辞書、次に薬草学、法律、それから……ん、待て、何でそんなに読み解けそうな気がするんだ?」
しかし俺の直感が出来ると判断している。試しに目についた本を、かたっぱしから手に取っていく。とくに筋道だった考えがあったわけではない。ただ、これから生きていく上で役に立ちそうなものを、手当たり次第に頭の中へ詰め込んでみようと企てた、そしてそれが可能だと自分自身が不思議と、言ってる気がしたからだ。
最初の一冊を開き、頁に印字された文字へ視線を落とした瞬間、これまでに経験したことのない感覚が俺をおそった。
まるで頭の中に直接、意味が流れ込んでくる。乾いた砂に水が染み込むように、言葉が、知識となって、俺の中で確かな形をつくっていく。
指先が頁に触れるたび、インクの匂いが脳を刺激し、文字列が意味の束となって、俺の頭の中にある引き出しへ次々としまわれていく。
辞書は読んだ、次は薬草学の本だ。
視線をすべらせるだけで、著者の意図や背景までが、手にとるように理解できてしまう。毒を持つ草の分類も、葉の脈の走り方も、根の張り方も、さらには薬効成分を抽出する手順まで、図解のない頁からでもありありと映像がうかびあがってくる。まるで、昨日まで実践していたかのように、知識が頭に根をおろすのだ。
「……あれ」
二冊の最後の頁をめくり終えるのに、体感ではほんの数分しか経っていないように思えた。実際時計を見てもその通りだった。夢中になって気づかなかった、だがこれは異常だ。
「まさか、な」
胸の中で渦巻く戸惑いをおし殺し、俺は次の本に手をのばした。今度は法律の書物。片手では持てないほどの厚みがあり、一般の人間には縁のない専門の用語がならぶそれを、なぜか水が流れるように理解できてしまう。権利と義務の複雑な絡み合いが、ほどけた糸のように整理され、判例の矛盾点すら、瞬時に頭の中で紐解かれていく。
さらに手に取った魔法理論の書物すら、まるで最初から知っていたことを思いだしているかのように、次々と頁がめくられていく。魔力の流れ、術式の構築、詠唱について。それらが、ごく当たり前の事実として、俺の脳裏に刻み込まれていく。見えない魔力の粒が、手をとるように空間へ配置されていく光景が、まぶたの裏に浮かんでいた。
「お客様」
不意に、背後から声をかけられた。振り返ると、白髪を後ろで束ねた司書が、目を見開いてこちらをみていた。手には、整理するための書物の束を抱えている。
「さきほどから、尋常ではない速度で頁をめくっていらっしゃいますが……失礼、なにかご専門で?」
「いえ、まったく。……ただの、元荷物持ちです」
事実をそのまま口にすると、司書の眉間によった皺が、さらに深みを増した。
「その本、初級魔法理論と侮るなかれ、王都の魔法学院でも一年をかけて学ぶ内容にございます。それを、これほどの短時間で読み解くなど……」
「え……そうなんですか」
自分でも、顔にうかぶ戸惑いを隠すことができなかった。
その日から数日間、俺は日が昇ると同時に図書館へとかよい詰めた。
食事をとる時間すら惜しみ、ひたすら活字を追いかける。夜になり宿屋のベッドに横たわっても、頭の中ではその日読んだ内容が渦を巻き、組み合わさり、未知の理論を構築していく。夜が明けて図書館の扉が開く瞬間を、ひたすらに待ちわびていた。
経済、さらにはより高度な魔法理論まで。王国の貨幣が流通する仕組みも、商会が裏で操る帳簿の手口も、数字の羅列が意味を持つ連なりとなって脳裏に刻み込まれる。手に取る本すべてが、抵抗なく頭の中へと収まっていく。知識の海に溺れることなく、むしろその波を乗りこなしているような感覚。
「またあの若者か」
「ええ、司書長も首をかしげていらっしゃいましたよ。あの読解の速度は、人間の限界を超えていると」
書架の陰で、学者とおぼしき二人が小声で言葉をかわしているのが聞こえた。彼らに悪気はないのだろう。だが、その声には、理解の及ばぬものに対する恐れのような響きが混じっていた。
七年間、「要領がわるい」「足手まといだ」と吐き捨てられ続けてきた自分が、まさかこのような形で人を驚かせるとは、夢にも思っていなかった。
戦いの場では、俺は剣を振るうこともできず、ただ荷物をまもって息をひそめているだけの存在。仲間たちが魔物を切り伏せる姿を、見上げるしかなかった。その記憶が、俺という人間を形づけていた。
胸の奥で、熱をおびた何かがうごめく。しかし、それと同時に、足元が揺らぐような落ち着かなさも感じていた。他者から目をむけられることに、俺自身が慣れていないのだ。
「――そろそろ、いいかな」
一週間ほど図書館にかよい詰めた頃、俺はふと、息を吐きだすようにそう呟いた。
必要な知識は、ある程度、自分の中に蓄えることができた。後は、実際にどこかの町へおもむき、相談所でも開いて、日々の糧を得ていくだけだ。これ以上ここにいても、居場所のなさを痛感するだけのような気がした。
最後の一冊を書架の隙間へと戻そうとした、その時だった。
ふと、背中に刺さるような視線を感じて振り返ると、司書長とおぼしき壮年の男が、じっとこちらを見つめていた。その瞳は、値踏みするように細められている。銀色の刺繍がほどこされた上質の服をまとい、威厳をともなった立ち姿に、思わず足が一歩後ろへと下がった。
「あの……なにか?」
「いや……失礼。少し、伺いたいことがありまして」
司書長は、俺の足元から頭のてっぺんまでをなめるように観察しながら、静かに口を開いた。
「貴方は一体、何者なのですか」
その問いに対して、俺は返す言葉を持ち合わせてはいなかった。ただ、本を握る手になぜか力がこもっていくのを感じていた。




