第3話:「無価値」と言われたスキル
「……おい、ノア? 聞こえてるか?」
レオンの声に、俺はゆっくりとまばたきをした。どうやら気を失っていたらしい。
足元には、ちょっと前まで命を持っていた魔物の亡骸が転がっている。鼻をつく血の匂いと、土ぼこりの舞う空気。戦いの熱がまだ森の中に立ちこめているのに、俺の体の芯は氷をのみこんだように熱を失っていた。
「あ……すみません、平気です。少し、めまいみたいなものがして」
「めまいって。お前、剣も振っていないだろ」
レオンの呆れきったような声が、森の静寂にひびく。もっともな指摘だった。魔物と刃をまじえたのは彼たちであり、俺はその後ろで荷物番をしていただけなのだから。
「お前ってたまにそういうことあるよな」
「そう、ですよね……自分でも、よくわからなくて」
自分の中のなにかを無理やり引きはがされたような。ただ荷物を背負いすぎて息があがるのとはちがう、もっと根源的な部分が空っぽになったような感覚だった。
考えても、答えなど出るはずがない。俺はまたいつものように、それ以上思考をめぐらせることを放棄した。
「ご迷惑をお掛けしました。火の番を続けます」
そう口にして、たき火のそばに座り直す。拾い集めた枝をくべると、火の粉が夜の闇へと舞い上がり、ぱちっと音をたてて消えた。ゆらぐ炎を見つめていると、脳裏にふいに、七年前のあの日の記憶がよみがえってきた。
十五歳の誕生日。
ギルドで行われる鑑定の儀は、農奴の家に生まれた俺にとって、泥にまみれた日々から抜け出すための、ただひとつの希望だった。雨の日も風の日も、地主の顔色をうかがいながら這いつくばるように生きる。物心ついた頃から両親はおらず、まともに誰にも人間扱いされずにいた。そんな生活を終わりにできるかもしれないという期待だけが、俺の足をギルドへと向かわせていた。
「スキル鑑定士のご登場だ、口を閉じろ」
鑑定の間には、息を吸うのさえためらわれるような空気が満ちていた。俺の目の前には、白髪のまじった初老の鑑定士が腰をおろしている。机の上には、人の頭ほどの大きさがある水晶が置かれていた。
「では、右手を水晶に」
うながされるまま、俺は震える手を差し出した。水晶の表面に指が触れると、冬の川の水に手を入れたような感触が肌を刺す。やがて水晶の中心からぼんやりとした光がにじみ出し、鑑定士の目がすっと細められた。まばたきもせず、水晶の奥をのぞきこむ。
「……ほう」
その反応に、俺は思わず身を乗り出した。息を止めて、次の言葉を待つ。
「な、なにか出ましたか」
「スキル名は――『感覚付与』、か」
聞いたことのない名前だった。剣術でもなく、魔法でもない。
「それは、どういう……」
「制御もできず、ただ力を垂れ流すだけの支援スキルだな」
鑑定士はたんたんと、まるで路傍の石をながめるかのように告げた。
「戦闘には、まったく役に立たない。無価値だ」
無価値。
その言葉が、頭の中で何度も反響した。
畑を耕し、薪を割り、水を運ぶだけの日々。そこから抜け出せるかもしれないと、どれほど夢を見ていただろう。剣を振るえなくてもいい。魔法を唱えられなくてもいい。せめて、なにか一つでいい。使える力がほしかった。
それなのに――無価値。
膝から力が抜け、床に崩れ落ちそうになるのを必死にこらえた。言葉にならない落胆が、鉛をのみこんだように胸の底へと沈んでいく。周囲の音が遠のき、ただ自分の荒い息遣いだけが耳の奥で鳴り響いていた。
「おいおい、ひどい顔をしてるな」
肩を落として鑑定の間を出た俺に、聞き覚えのない声がかけられたのは、その直後だった。
ギルドの酒場には、行き交う冒険者たちの笑い声が満ちていた。その中で、俺だけが世界から切り離されたように立ち尽くしていた。振り返ると、まだ十代の後半だろう青年が、腕を組んで壁にもたれかかっていた。彼のまとう空気には、隠しきれない自信がにじみ出ている。腰に下げた剣の装飾が、酒場の灯りを反射して光っていた。
「もしかして、鑑定でろくでもないことを言われたクチか?」
「……はい。制御もできない、役に立たないスキルだと」
「はは、そりゃ災難だったな」
青年――レオンは、面白がるように唇の端をつり上げた。
「なあ、荷物持ちでよければ、うちのパーティに入れてやってもいいぞ。ちょうど探していた所だからな」
なかばからかうような、重さのない誘いだった。
普通の人間なら、自尊心が邪魔をして断っていたかもしれない。だが、その時の俺には、目の前に垂らされた細い糸にすがりつくしか、生きる道が残されていなかった。村に帰れば、ふたたび泥をすする日々が待っているだけだ。
「……よろしく、お願いします」
深く頭を下げた俺に、レオンは軽く肩を叩いてきた。
「おう。せいぜい、役に立ってくれよ」
その言葉に、俺は恩を感じ、七年間自分は働いてきた。
自分は無価値で、要領が悪くて、荷物持ちがせめてもの居場所なのだと。自分に言い聞かせるように、岩のように重い荷物を背負い続けてきたのだ。仲間が戦いについて検討してる間も、野営の準備に奔走し、だれよりも早く起きて火を起こす。そうやってしがみついてきた七年間。
「ノア? また、ぼーっとしてる」
いつの間にかテントから出て来たミリアの声に、俺は意識を現実へと引き戻された。
「あ、すみません。昔のこと、少し思い出していて」
「そういうの、あんまり話さないのに」
ミリアが小首をかしげる。その髪が火の光を受けてゆれた。
「たいした話じゃないですよ」
そう言って笑ってみせながら、俺はふと、さっきの虚脱感を思い出していた。
剣を抜いていない。魔物に向かって走ってもいない。それなのに、体中から力が抜け落ちていくような疲労感。
もしかして、あれは。
あの鑑定士が言った「垂れ流すだけの支援スキル」という言葉が、不意に脳裏をよぎる。
思考の先に、なにか形を持つものが見えかけた。その瞬間だった。
「ノア、お前ちょっとこっちへ来い」
闇の向こうから、レオンの声が響いた。
どうやら彼も起きていたらしい。
いつも人をからかうような声とは、まったくちがう響きだった。石を打ち合わせたような、感情の読み取れない声。
俺は立ち上がり、火のぬくもりから離れて、声のする闇の方へと歩き出した。夜の空気が肌を刺し、たき火の光が届かなくなるにつれて、心臓の鳴る音がやけに大きく耳に届くようになった。




