第27話:小さく大きな成功体験
街を包む空が藍色から墨色へと染まり切り、星々が見える頃、俺たちはギルドの厚みのある木扉を押し開けた。
酒と汗、そして焼いた肉の匂いが入り混じった空気が鼻をつく。一日の仕事を終えた冒険者たちの喧噪が壁に反響する中、受付へと足を進める。
いつもなら書類の山から顔を上げようともしないギルドマスターのオーウェンが、今日は俺たちの姿を認めるなり、腕を組んで待ち構えていた。普段は眉間にくっきりと谷間を刻んでいる男が、今は口角を限界まで引き上げている。
「聞いたぞ」
周囲のざわめきを切り裂くような声だった。
「盗賊の群れを、お前ら三人だけで退けたそうだな」
オーウェンの言葉に、ケインが一歩前に出た。
「はい、なんとか」
視線を床に彷徨わせながら返すケインの横顔には、まだ実感が伴っていないような戸惑いが浮かんでいる。
「なんとか、どころの話ではない」
オーウェンは机の上に一枚の羊皮紙を叩きつけた。
「護衛対象の商人から、先ほど早馬で報告書が届いた。そこには賛辞の言葉がびっしりと書き連ねてある。不測の事態にも焦りを見せない戦況の把握、互いの死角を補い合う連携――お前らの成長の度合いは、俺の想像を遥かに超えていた」
その言葉が落ちた瞬間、三人の息を呑む音が聞こえた。
リナは目を見開き、フィンは手にした杖を握る手に力を込めている。
「本当、ですか」
ケインの声は震えていた。
「ああ。これなら、正式にランクアップの推薦状を書いても文句を言う奴はいない」
オーウェンの断言に、ケインはばね仕掛けの玩具のように勢いよく振り返り、俺の顔を見つめた。
「ノアさん! 聞きましたか、今の!」
「ええ、聞きましたよ」
「俺たちだけで、ここまでやれるなんて……」
ケインは両手で拳を握り締め、天井を見上げた。その目には、涙の膜が張っている。
俺は息を吐き、口元を緩めた。
「皆さんが、汗水流して身体を動かした結果です」
「でも、ノアさんが俺たちに教えてくれた感覚がなかったら、きっと――」
「その感覚を実戦の中で試し、筋肉の動きとして定着させ、自分の血肉に変えたのは、間違いなく皆さん自身です」
俺の言葉に、リナは頬を紅潮させて首を縦に振り、フィンも手帳を胸に抱きしめながら何度も頷いた。
ギルドを出て、相談所へと向かう帰り道。
石畳を叩く三人の靴音は、行きとは比べ物にならないほど弾み、一定のリズムを刻んでいた。夜風がほてった体を撫でていく。
「ノアさん。私、正直に言うと、最初は半信半疑だったんです」
隣を歩くリナが、ぽつりと口を開いた。普段の棘のある態度をすっかり潜め、その声には淀みがない。
「他人から教わった動きや考え方が、本当に自分のものとして機能する日が来るなんて、全く信じていなくて」
「でも、今日の戦闘で確信に変わりました。ノアさんの言ってたこと、何一つ間違っていませんでした」
フィンが夜闇の中で手帳を掲げ、熱を帯びた声で続く。
「休息を挟むこと、疲労を管理すること――全部、ちゃんと意味があったんですね」
彼らの言葉を耳にしながら、俺の胸の奥底で、指先ほどの種が芽吹き、それが全身の血管を這うように広がっていくのを感じていた。
腹の底に重く沈む、岩のように揺るがない手応え。
七年間。
かつてのパーティに身を置いていたあの永遠とも思える時間、俺は「自分が誰かの役に立っている」という感覚を、ただの一度も掴むことができなかった。
何をしても返ってくるのは凍りつくような視線と、嘲笑だけ。自分の存在が空回りし続け、居場所が少しずつ削り取られていく感覚だけが、いつも俺にまとわりついていた。
だが今は違う。
目の前を歩く三人は、間違いなく自分自身の足で立ち、自らの力で立ちはだかる壁を打ち砕いた。
俺の感覚が彼らの背中を押し、彼らが結果で証明してくれた。その事実が、俺の心を底から揺さぶっていた。
相談所の看板が見えてきたところで、ケインが立ち止まり、俺に向かって頭を下げた。
「ノアさん。これからも、俺たちのこと、よろしくお願いします」
リナとフィンも、ケインに倣って腰を折る。
「はい。こちらこそ」
相談所の扉を開けると、中はすでに熱を失った空気に満たされていた。窓の外を見やれば、空は完全に闇に沈み切っている。
「今日は、身体を休めてください。明日以降の予定は、また後日考えましょう」
「はい! ありがとうございました!」
三人は何度も振り返りながら、それぞれの家へと帰っていった。
彼らの背中が路地の角に消えるまで見送った後、俺は一人で店の片付けに取り掛かった。
手を動かしながら、俺はふと、追放されてから今までの出来事を思い返していた。
あのパーティから戦力外通告を受けて、まだ一年も経っていない。
それなのに、俺を取り巻く環境は根底からひっくり返った。空虚だった胸の中には、今、芯のある熱が宿っている。
ふと壁掛け時計の確認した、まさにその瞬間だった。
コン、コン。
静まり返った空間に、木を叩く音が響いた。
「ノアさん、いるかい?」
扉の向こうから聞こえてきたのは、ひび割れたような声。
俺は伸ばした手を引っ込め、扉の鍵を開けた。
隙間から顔を出したのは、なじみの客のバーサ婆さんだった。手にしたランタンの火が、彼女の顔に影を落としている。いつもなら世間話とともに笑い声を上げる彼女が、今は眉を寄せ、口をへの字に引き結んでいた。
「こんな時間に、どうしたんですか。何かトラブルでも?」
「実は……さっき、隣町から戻ってきた行商人から、腑に落ちない噂を耳にしてね」
バーサ婆さんは言葉を切り、視線を宙に彷徨わせた。何かを言い淀むようなその仕草に、俺の背筋を氷塊のようなものが這い上がる。
「あんたの、昔いたパーティのことだよ」
その一言が、夜の静寂の中に響き渡った。




