暁の雫、正式加入依頼
「オーウェン様が、至急お会いしたいと……! 王都から、緊急の書状が届いたそうです!」
息を切らした若い職員の肩が上下に揺れ、額を汗が伝い落ちている。その切羽詰まった声の響きに、俺は思わず意識を集中させる。
「王都から……? 何かあったんですか」
「詳しくは、私の口からは……。とにかく、至急とのことで」
職員は言葉を濁し、何度も周囲へ視線を彷徨わせた。俺は振り返り、さきほどまで検証に付き合ってくれていたケインたちと視線を交わした。彼らも事態が呑み込めない様子で、瞬きを繰り返している。
「すみません、少し行ってきます」
上着を手に取った俺の動きに合わせ、ケインが一歩前に出た。
「あ、俺たちも――」
「いえ、皆さんは休んでてください。今日は本当にお疲れ様でした」
言葉を遮り、手のひらを向けて制する。動きを止めた三人を残し、職員の背を追って通りに出た。
俺たちは無言で歩き続けた。王都からの書状。その言葉の響きだけで、心臓の鼓動がわずかに速度を上げる。
冒険者ギルドの建物に入り、夕方の喧騒を抜けて奥の廊下を進む。重厚な木扉をノックして部屋に入ると、オーウェンが執務机の奥で腕を組んでいた。眉間に深い皺が刻まれ、その視線は机の上に置かれた一通の封筒に落ちている。
「よく来てくれた」
オーウェンの声は低く、部屋の空気が張り詰める。
「王都から、何か……?」
「王都図書館の司書長からの、書状だ」
オーウェンは指先で封筒を押し、こちらへ滑らせた。手触りの良い羊皮紙。封を閉じていた蝋には、王家の紋章が刻印されている。手に取ると、ずっしりとした重みが手のひらに伝わってきた。
中身を引き出し、羊皮紙を広げる。流麗な筆致で文字が綴られていた。社交辞令の連なりを飛ばして文末に目を向けると、そこにはっきりと意図が記されている。
――もし差し支えなければ、貴殿を王都の研究機関にお招きしたい。地位と報酬において、最大限の便宜を図る所存である。
息を吐き出し、羊皮紙を机に戻した。
「お招き、ですか」
「向こうも、本気らしいな」
オーウェンが、顎に手を当てて俺の顔を覗き込んだ。目の奥で、こちらの本心を探ろうとする光が揺れている。
「どうするつもりだ」
「断ります。今の暮らしを手放すつもりはないので」
ためらうことなく答えた。声のトーンがぶれることもなかった。オーウェンは目を瞬かせ、数秒の空白ののち、息を吐き出して肩の力を抜いた。口元がわずかに形を変える。
「そう言うと思ったよ。返事は、こちらで丁重にお断りしておく」
「ありがとうございます」
拍子抜けするほどあっさりと、交渉は終わった。オーウェンが羽根ペンを手に取り、別の羊皮紙の端に何かを書き付け始める。
「……にしても、こんな辺境の相談所主に、王都がここまで固執するとはな」
インクの擦れる音に混じって、オーウェンが独り言のように口にした。俺は何も答えず、ただ曖昧に唇の端を引き上げた。過去の自分を知る者が王都にいるとすれば、彼らの研究の対象は自分だ。恐らくあの異常な読解の速度について調べたいんだろう。
「それより」
オーウェンが手を止め、再びこちらを見据えた。先ほどよりもさらに鋭い視線が、俺の全身を射抜く。
「暁の雫の連中と、何かあったのか。町では、随分な噂になってるぞ」
心臓が跳ねた。平静を装いながら、喉仏を動かして唾を飲み込む。
「いえ、仕事を依頼されたので」
「まあ、いい。せいぜい町を騒がせないでくれよ」
オーウェンは椅子の背もたれに体重を預け、ニヤリと唇を歪めた。それ以上追及してくる気配はない。
ギルドを出ると、すっかり日が落ちていた。夜風が火照った頬の熱を奪っていく。王都からの誘い。そして、ケインたちとの検証。自分の周りで、歯車が回り始めている音を聞いた気がした。
それから数日が過ぎた。
相談所の扉が開くたびに、視線を向ける自分がいる。暁の雫との一件は、検証の途中で切り上げることになった。彼らはもう一度、ここを訪れるだろうか。
机の上の資料を整理しながら、窓の外を眺める。荷馬車が通り過ぎ、子供たちの足音が遠ざかっていく。平穏な日々。自分が望んだはずの生活。それなのに、胸の奥底に燻る何かがあった。
そんな、ある日の午後だった。
「失礼します!」
勢いよく扉が開かれ、建付けの悪い蝶番が悲鳴を上げた。差し込む日の光を背にして、三つの影が入り口に立っている。
「ケイン君……皆さん、お揃いで」
俺が立ち上がると、ケインが大股でカウンターの前に進み出た。後ろからリナとフィンも続く。その身に纏う装備は手入れが行き届き、彼らの覚悟のほどを示していた。
「はい! 実は、皆で相談してきたんです」
ケインは両手をカウンターにつき、俺の目を真っ直ぐに見据えた。その瞳には、迷いを断ち切った決意の炎が宿っている。
「あの日の検証、まだ全然終わってないと思うんです。もっと、色々知りたいことがあって」
瞬き一つせず訴えかけるケインの気迫に、俺は言葉を失った。
「私は、どうせなら」
リナが一歩前に出て、口を開いた。声に抑揚はない。しかし、纏う雰囲気が、彼女の意思を代弁していた。
「ちゃんと強くなれる方法が知りたいだけです。あの日のケインみたいな、付け焼き刃じゃなくて。自分の力で、斥候としての能力を会得したいんです」
「俺は」
フィンが中指で眼鏡のブリッジを押し上げ、早口で続けた。
「ケインの太刀筋が変わった、あの『感覚』というのを魔法で体験してみたいんです。あんな現象を目の当たりにして、放っておくことなんてできません」
剣、魔法、そして技術。求めるものは三者三様だった。だが、足元から這い上がってくるような熱意だけは、三人とも同じ温度を持っている。
「正式に、ノアさんに指導をお願いしたいんです」
ケインが腰を折り、深く頭を下げた。隣でリナが頭を垂れ、フィンもノートを胸に抱いたままお辞儀をする。
俺は沈黙した。窓から吹き込んだ風が、机の上の羊皮紙をカサリと揺らす。
七年間。誰かに何かを教える立場になったことなど、一度としてなかった。荷物持ちとして、ただ命令に従い、荷を背負ってきただけの自分。ただ才能があっただけの俺に、彼らを導く資格があるのだろうか。
手のひらに視線を落とす。剣だこも杖だこもない、平滑な手。
しかし、自分自身の奥底から湧き上がる衝動を無視することはできなかった。あの日の検証で見えた、この力の可能性。それを、もっと知りたい。もっと深く探求したい。
ゆっくりと息を吸い込み、吐き出す。
「……分かりました」
俺は顔を上げ、三人の頭上に向かって言葉を紡いだ。
「ただ、俺自身、まだ分からないことだらけです。手探りで進むことになります。それでもよければ」
顔を上げた三人の表情が、一瞬で変わった。
「もちろんです!!」
ケインが相好を崩し、拳を天井に突き上げた。リナの口元に微かな笑みが浮かび、フィンが眼鏡の奥の目を輝かせてノートにペンを走らせ始める。
「ありがとうございます、ノアさん!!」
ケインの弾むような声が、相談所の壁に響いた。
彼らの姿を見つめながら、俺は自分の胸に手を当てた。鼓動が、確かにリズムを刻んでいる。これから踏み出す道の先にあるものが何なのか、今はまだ見えない。だが、もう後戻りをするつもりはなかった。




