第16話:誰も見たことのない全力
「……ノアさん? どうしました、急に黙り込んで」
ケインの呼びかけに、俺は首を横に振った。
「いえ……少し、思考の整理を」
土に腰を下ろし、酸素を求めて肺を上下させるケインを視界の隅に置きながら、俺は脳内で事象の欠片を並べ替えていた。先ほどの戦闘で得た検証結果を、一つずつ机の上に広げるように。
第一の事象。誰にも感覚を渡していない状態の、俺自身の肉体。剣の刃が巨木の幹を通過し、変異種の肉を裂いたあの感触。筋肉の連動、足裏が大地を掴む反動、空気の抵抗すら味方につけるような、身体の躍動。それは今も脳裏に焼き付いて離れない。
第二の事象。他者に感覚を繋いだまま、俺自身が剣を振るう際の肉体の重り。手足に膜を張られたような動作の遅延。力が一方的に付与された側に集中し、無力になっていく感覚。
第三の事象。そして今、目の当たりにした事実。受け手の体力と精神が底をついた時の、感覚があってもそれを実行できない。器が限界を迎えれば、どれほど精度を高めた感覚を流し込んでも、彼らの肉体はそれに追いつくことができない。
三つの事象が、頭の中で火花を散らし、一本の鎖となって連結していく。
「……そうか」
息と共に、小さく短い言葉が口からぼそりと自然に零れ落ちる。
「ノアさん?」
彼女の斥候としての耳の良さが、俺の声を拾ったらしい。
「いえ……。少し、点と点が繋がっただけです」
俺は声帯の震えを抑え、しかし確固たる確信を胸の奥底で反芻していた。
冒険者パーティで過ごした七年の歳月。俺は常に、かつての仲間たちに自分の感覚を分け与え続けていた。彼らは依頼を立て続けにこなし、睡眠を削り、剣を振り、魔法の杖を掲げ続けていた。息をつく間もなく血を流し、極限の環境を渡り歩いていた。
つまり、彼らが俺から受け取っていたのは、常に疲弊しきった肉体で受け取る、形を歪めた感覚でしかなかったのだ。
一切の欠損を持たない、本来の俺の感覚を、彼らはただの一度も体験したことがなかった。水瓶に泥水が溜まっているところに清水を注いでも、結局は濁ってしまう。その事実に、俺も、彼らも気づくことがなかった。
そしてそれは、俺自身に対しても同じだった。
「俺も、見たことがなかったんだ」
漏れ出た独り言に、リナが眉根を寄せた。
「何を、ですか?」
「……俺自身の、全力を」
七年間、自分は才能に見放されていると思い込んでいた。剣の軌道を見切る目も、魔法の理を読み解く力も、凡人の域に達しないと。荷物を背負い、指示に従い、仲間の背中を見つめるだけの存在。それが自分の立ち位置だと。
だが、現実は違った。パーティに所属していた期間、俺は常に自分の感覚のほとんどをパーティメンバーに明け渡し、足枷をはめた状態でしか動いたことがなかったのだ。
今日、初めて目にした。誰とも繋がらず、全ての制限を取り払った状態で、巨木を斬ったり、変異種を一撃で仕留めたあの光景を。
あれこそが、生まれてから今まで、誰も――俺自身すらも、一度も目にすることのなかった、俺の実力だった。
ただ今回の検証だけでは自分の全力がわからない。
自分の中で眠り続けていた可能性。それを引き出す機会はこれまで存在しなかった。だが、焦る必要はどこにもない。これから時間をかけ、一つずつ紐解いていけばいい話だ。
「ノアさん」
しばらくの間を置いた後、ケインが呼吸を整え、口を開いた。
「俺、剣の型は一通り身体に染み込ませてもらったつもりでいました。でも、今日みたいなこと、初めて知りました。体力が底を突いたら、せっかく繋いでもらった感覚も、体に反映されなくなるなんて」
瞬きを忘れ、視線を真っ直ぐに向けるケインに、俺は言葉を探した。
「そうですね……。自分の限界を知ることは、命に関わることだと思います」
「ノアさん、俺たちに、もっと色々教えてもらえませんか」
「教えると言っても、俺自身、まだ自分の力についてすら手探りの状態ですよ」
「それでもいいです。一緒に検証していけば、きっと辿り着く答えがあると思うんです」
フィンも身を乗り出し、首を縦に振った。
「俺も、この現象――感覚付与の仕組みも気になりますが、ノアさんの力をもっと見てみたいです。」
「私も」
リナが声のトーンを落とし、しかし輪郭のはっきりとした発音で告げた。
「今日ケインにしたみたいに、斥候としての能力をノアさんが何か知っていれば教えて頂きたいんです。」
「斥候ですか……それならちょうどいい能力がいくつかありますよ」
「あるんですか!?」
「もしかして魔法も!?」
三人の放つ熱気にあてられながら、俺の胸の奥で、何かが形を成し始めていた。彼らと一緒に、この能力を伸ばしていくことへの渇望。
これまでの七年で、誰かに教えを乞われることなど皆無だった。ただ言われたことをこなし、野営の準備をし、黙って後ろを歩くだけの日々。
だが今、目の前にいる三人は、瞳に逃げ場を与えず、俺の次の言葉を待っている。
「……分かりました」
肺の空気を吐き出し、俺は答えた。
「一度きりの依頼、のはずだったんですけどね」
口元を緩めながら告げると、ケインが表情を崩し、顔を上げた。
「じゃあ、正式に――」
その言葉を遮るように、林道の方から枯れ枝を踏み折る音が連続して響いた。
土を蹴り上げ、草をかき分ける足音が近づいてくる。
「相談所のノアさんは、こちらにいらっしゃいますか」
ギルドの制服を着た職員が、肩で息をしながら駆け込んでくる。肺が限界を超えて息も絶え絶えといった感じだ。
「オーウェン様が、至急お会いしたいと……。王都から、急ぎの書状が届いたそうです」




