第13話:感覚付与OFF
がらん、と地面の土を叩く音が響いた。
ケインの手からこぼれ落ちた剣が、土埃を巻き上げながら転がっている。
「うわっ、な、なんで……」
自分の手を見つめるケインの顔には、驚きだけが張り付いていた。剣を握っていたはずの指先が、まるで急に糸を切られた操り人形のように、小刻みに揺れている。彼自身、今何が起きたのかまったく分かっていないのだろう。まばたきを繰り返し、落ちた剣と自分の手のひらを交互に見比べている。
「ケイン君、今、剣が……」
「わかりません。急に手から力が抜けたというか、指が開かれたというか……」
戸惑いのままに言葉をこぼすケインを見つめながら、俺は胸の奥で心臓が早鐘を打つのを感じていた。
やはり。
さっき、頭の奥で念じた時。そして、ケインの剣が地面に落ちた時。
二つの時間が、まるで重なるように一致していた。偶然で片付けるには、あまりにも出来すぎている。
「……もう一度、剣を拾って、構えてもらえますか」
「は、はい」
俺の声に、ケインはこくりと頷いた。しゃがみ込んで剣の柄を握り直し、ふたたび立ち上がる。その足取りはどこか心もとなく、剣先も定まらずに揺れている。
俺は息をひそめ、さっきとは逆の命令を、頭の中で組み立てた。
(感覚付与、する)
スイッチを切り替えるように、そう念じた。
その途端、ケインの体に変化が起きた。先ほどまではどこか重心が定まらず、関節が引っかかるような構えだったのに、嘘のように形が整っていく。足幅が広がり、腰が落ち、揺れていた切っ先が真っ直ぐに前を向く。
「今度は、振ってみてください」
「は、はい……せいっ!」
息を吐き出す音とともに放たれた一撃は、空気を切り裂きながら弧を描いた。風を切る音が、耳を打つ。さっき剣を落としたばかりの人間が放ったとは思えないほどの太刀筋だった。剣の軌道に迷いがなく、振り抜く速度も相変わらずだった。
「……今の、また変わりましたよね」
リナが、口元に手を当てながらつぶやいた。彼女は疑念を隠そうともせず、じっとケインの動きを見つめている。まばたきすら忘れたかのような視線が、確実に事象の芯を捉えようとしていた。
「もう一度、確かめさせてください」
俺は息を吸い込み、ふたたび頭の奥のスイッチに意識を向けた。
(感覚付与、しない)
「――っ」
念じた途端、ケインの体がぐらりと傾いた。足元がふらつき、慌てて前に足を踏み出して体勢を立て直す。その顔には、隠しきれない焦りが浮かんでいた。
「なんか……急に、体に鉛を背負わされたような……それに、剣の重さも、さっきとは違って……」
「今度は、逆に念じてみます」
(付与する)
俺がそう念じると、ケインの背筋が跳ねるように伸びた。先ほどまでのふらつきが消え去り、ふたたび地面に根を張ったような姿勢に戻る。
「――もしかして」
それまで口を閉ざして様子を見ていたフィンが、ゆっくりと一歩前に出た。眼鏡の奥にある瞳が、光を反射する。
「ノアさん。ケインの太刀筋が変わるたびに、何かをしているんじゃないですか」
逃げ道を塞ぐような言葉だった。物事を理屈で組み立てるフィンだからこそ、この変化を単なる偶然の産物だとは見なさなかったのだろう。彼は俺の表情のわずかな変化すら見逃さないように、まっすぐにこちらを見据えている。
「……その、可能性はありますね」
俺は隠すことをやめ、素直に頷いた。この期に及んで誤魔化す理由もない。
「何度も剣を振ってもらってすみません。……あと数回だけ、付き合ってもらえますか」
「はい、もちろんです!」
訳がわからないままに頷くケインに心の中で頭を下げつつ、俺は何度も頭の中のスイッチを切り替えた。
念じては、剣を振らせる。
ふたたび念じては、剣を振らせる。
そのたびに、ケインの動きは別人になったかのように入れ替わった。ある時は風を断ち切るように刃が動き、またある時は空気に抗うように刃が止まる。足の踏み込みから、腕の振り抜きに至るまで、全ての動作がまるで別物だった。
「……ほんとに、変わってる。俺、自分でもわかるんです。今、剣の重さが紙のように感じる時と、丸太のように感じる時があるって」
ケイン自身も、その変化を体の芯でわかりはじめているようだった。額に汗を滲ませながら、彼は剣を握る自分の手を見つめた。
「ノアさん、何をしているんですか?」
声の端を震わせながら尋ねるケインに、俺はどう返すか迷った。だが、ここまで見せておいて口を噤むのは、誠実とはいえない。
「たぶん、俺のスキルが関係しているんだと思います」
「スキル、ですか?」
「『感覚付与』という、支援のスキルらしいんですけど……七年前の鑑定では、『制御不能な垂れ流し型』だと告げられました。戦闘においては無価値だと」
七年前のあの日の記憶が、ふと脳裏をよぎる。鑑定士の氷のような視線と、周囲の嘲笑。無意識のうちになにかを放出し続けるだけの力など、誰の役にも立たないと突き放された時の、足元が崩れ落ちるようなあのめまい。
「垂れ流し型……」
フィンが、あごに手を当てながら思考の海に沈む。
「では、無意識のうちに、誰かに何かを分け与えている、ということですか?それも、意識すれば、止めることができる?」
「……恐らく、そうだと思います。今、確信が持てました」
俺の言葉が落ちた時、三人は口を閉ざした。風が木々の葉を揺らす音だけが、やけに響く。
「ノアさん」
その静寂を打ち破ったのは、ケインだった。彼は剣を下ろし、ぎゅっと唇を噛み締めていた。
「それってつまり……俺の剣が急に上達したのは、俺自身の実力じゃなくて――」
その先の音を、ケイン自身が喉の奥に飲み込んだ。
言われなくても、ここにいる誰もが同じ答えにたどり着いている。空気が鉛のように沈んでいくのがわかった。
だが俺自身、まだ腑に落ちない部分があった。
もし本当に、俺が無意識に自分の感覚を「与えて」いたのだとしたら――。
かつて肩を並べて戦ったレオンの剣の冴えも、ソレイユの魔法の精度も、世間から「天才」と呼ばれ、もてはやされていたあの力全てが。
俺が彼らのそばにいて、彼らに俺の感覚を分け与えていたからこそ成り立っていたものだったとしたら。
俺がいなくなった今、彼らはどうなっているのだろうか。彼らの手には、まだあの時と同じ力が残っているのだろうか。
声が震えそうになるのを奥歯を噛んでこらえながら、俺は息を吐き出した。
その時、これまで黙って事態の推移を見守っていたリナが、一歩前に出た。
「ノアさん。付与してる時に、自分自身で剣を振ったら、どうなるんですか」
その声が耳に届いた時、俺は息をするのを忘れた。
まだ、一度も試していなかった。
無意識なら以前やったことがある。しかし意識的に誰かに感覚を分け与えたままの状態で、自分自身がどうなるのか。
検証はまだ必要なようだ。




