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お嬢様、その恋はコンプライアンス違反です。  作者: 汐瀬うに


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2/20

02.どうして嘘をついたの?

「ママ、それはいくらなんでもかわいそうなんじゃ……」


「そうだよ?! 私、パパと倫ちゃん以外の男の人なんて絶対に無理!」


 パパと二人でママの方へ詰め寄っても、ママはダージリンの香りを燻らせたカップをソーサーへ戻しただけだった。


「でも、倫太郎は当事者ではないと、ふたりとも聞いたでしょう?」


「それは、倫ちゃんが強がってるだけで……」

 

 ママは推理もののヒーロー役をやっていた時のように、フレアスカートの下でさっと足を組んだ。リビングには、19世紀後半のイギリス・ロンドンのように鬱屈とした空気が流れる。着ているはずのないマントとパイプが、そこに見えた気がした。


「強がっているというなら、雪奈自身が確かめないと」


 微笑んでいるのに、恐ろしい。目の奥に、ほのかな怒りの炎が燃える。このモードのままになってしまったら、とりつく島もない。私はパパに一度頬を膨らませた顔を見せた後、肩を落として自分の部屋へと引き上げた。


 窓の外では、ちょうど離れの書斎に明かりがついたところだった。


「……何が『私当事者ではありませんので。お気になさらず』よ」


 倫ちゃんがうちに来た時から使っている、ピンクのパッチワークのベッドカバーに腰を下ろす。ママが私の生まれる日までの間に作ったというベッドカバー。何度も勢いよく飛び込んだせいでところどころ擦れているところ、毛玉になってしまった縁取りに触れる。


 窓越しに睨んでみても、離れは静かなままだった。


 本当は今すぐ駆けて行って、嘘だよね? と聞きたい。でもきっと、「嘘ではありません」と逃げられるだけだから。


 もどかしさに負けて枕へ倒れ込んだその時、廊下の向こうからパパの大きなくしゃみが聞こえた。


「雪奈? もう寝たかな?」


 いつもなら起きてるよとドアを開けて笑顔で話しかけるけれど、今日ばかりはそんな元気もない。黙って布団に潜り込むと、スリッパを擦って歩くパパの足音も次第に遠ざかっていった。


「…………パパのバカ」


 お見合い話が本当だったとしても、あんな試し方をするなんて。真面目でパパに恩義を感じてる倫ちゃんが、急に私の恋愛市場に台頭してくるはずがないのだ。そんなことくらいは私にもわかっている。だからこそ、年単位でじわじわと攻め込んでいたのに。


 枕元で微笑んでいるうさぎのぬいぐるみに顔を埋める。何も解決はしていない。けれど、そこから漂う柔軟剤の香りに爪の先くらいは落ち着いた。


「見てなさいよね、倫ちゃん……。私、絶対に好きだって認めさせるんだから」


 今日の倫ちゃんには、何を言っても暖簾に腕押し状態だった。

 けれど、暖簾だって毎日押されていれば、そのうち、押されているという自覚を持つかもしれない。


 そう。

 私はもともと、かなりしつこいのだ。


 一度横になった体を起こして、ぬいぐるみを抱きしめたまま。あぐらをかく。思考回路をフル回転させて、脳内作戦会議を始める。


 倫ちゃんは、私の恋愛市場において当事者じゃないという自覚がある。

 私は、倫ちゃん以外の男の人と恋愛する気がない。

 パパは、私と倫ちゃんの関係性が進展するように消しかけた。


 事実だけを並べて事態を整理する。


「…………え、待って」


 倫ちゃんは当事者ではないと言った。私と結婚するつもりがない、とも。


 でも。


「私を好きじゃないとは……言ってない!!」


 声に出した途端、胸の奥が熱く燃えだす。さっきまでは雨に濡れた新聞紙のようにじっとりベタベタした気分だったのに。


 今すぐ行こう、と窓の外を確認すると書斎の電気は消えていて、庭の照明だけが窓の外をほんのりと明るく照らしていた。


 おそらく倫ちゃんは明日も仕事だ。こんな時間に押しかけたところで、間違いなく部屋へ戻される。話は当然聞いてもらえない。下手をしたら、本当に風邪を引いてそれを治すまで、相手してくれなくなるかもしれない。

 

「……明日の朝にしよ」


 悔しいけれど、恋には勢いだけではなく、適切なタイミングも関係している……多分。

 そう自分に言い聞かせて、私はようやくベッドへ入った。


 目を閉じても、夕食後の倫ちゃんの声が何度も蘇る。


 ——私は当事者ではありませんので、どうかお気になさらず


 思い出すたびに腹が立ち、ベッドの中で右へ左へと転がり続ける。洗い立てのシーツはいつだってパリパリで、摩擦力で私の移動を阻む。


 当事者じゃないのなら、どうしてあんなに黙ったのだろう。なぜ、好きか嫌いか教えてくれなかったんだろう。考えれば考えるほど、眠気は遠ざかっていく。


「…………やっぱり、嘘なんじゃないの」


 小さく呟くと、胸元のリズムはほんの少しだけ早く、強くなった。


 ***


 翌朝。

 私はいつもより1時間も早く目を覚ました。


 というより、疑問が頭から離れなくなり、気づいたら外は明るくなっていた。だから、いてもいられなくなったという方が正しいかもしれない。


 顔を洗い、髪を整え、服を着替える。離れまで行くというだけなのに、前髪は3回も直した。リップもツヤツヤ、チークも健康的に見えるコーラルピンクで、完璧。


 こういうところは、我ながら大変わかりやすい。でも、アピールしているとわかるくらいがちょうどいい時だってあるのだ。


 窓から離れを覗くと、玄関脇の部屋に灯りがついている。あの部屋は離れのリビングだから、もうすぐ出てくるはずだ。


 私はキャメルのウールコートを羽織り、音を立てないように裏口から家を抜け出す。

 降り続く雪は庭の植木たちを大きなマシュマロに変えている。じゃり道のはずの足元は踏むたびにキュッキュッと高い音がした。


 離れの玄関前へついたとことで、ちょうど扉が開く。


 「雪奈さん?」


 声の主は怪訝そうな顔で私を見る。


 いつものチェックのマフラーにベージュのコート。ポケットからは黒革の手袋が飛び出していて、分厚いブリーフケースを持った手は少しカサついていた。見慣れた黒い髪は今日もきちんとまとめられていて、ツヤツヤに輝いていた。


「おはよう、倫ちゃん」


「おはようございます。……こんな時間にどうしたんです?」

 

「えっ? 待ち伏せ!」


 堂々と笑顔を見せると、倫ちゃんは腕時計へ目を落とした。鮮やかな紺色のベルトは倫ちゃんの就職祝いでパパがプレゼントしたもの。色は私が選んだということを、倫ちゃんは知らずにつけている。その事実が、毎日私の心をくすぐっているとも知らずに。


「大学は?」


「午後からだよ」


「朝食は?」


「これから」


 では戻って食べてください、と背中を押したがる倫ちゃんの力を利用して、勢いをつけて振り向く。


 「わかった! でもその前に話があるの!」


 「私は仕事があります」


「3分でいいから! ねっお願い!」


 私のお願いに、倫ちゃんは弱い。わかっているからこそ、これはここで使うしかない。


「……雪奈さんがわざわざ部屋を出てきて話したことで、3分で終わった試しがないんですが」


「じゃあ、5分くれる?」


「いえ増やさないでください」


 いつものように淡々と返される。でも、今日は引き下がれない。


 呆れた顔の倫ちゃんが私の横を通り過ぎようとしたので、私も一歩ずれて道を塞ぐ。右へ行けば右へ、左へ行けば左へ。それを2度ほど繰り返したところ、倫ちゃんは私の作戦通り、深く息を吐いた。


「雪奈さん、遊んでいる時間はありません」


「奇遇だね、私もだよ」


「……なんなんですか、一体」


 倫ちゃんの眉が、面倒だと言いたげに寄る。その顔を見た瞬間に、昨夜から胸の中で暴れていた言葉が、喉元まで一気に駆け上がってきた。


「私、お見合いしたくないの」


 倫ちゃんの表情は変わらない。ただ、鞄を持つ手には少しだけ、力が入ったように見えた。


「そう、ですか」


「そうですかじゃないよ」


「私に言われても困ります」


「だから倫ちゃんから、ママに言ってほしいの。お見合いさせないでって」


「なぜ私が? どんな理由があって止める必要が?」


 話しながら肩に積もる雪を払って、倫ちゃんはまた私の方へ視線を戻す。返答から真意を探るような、訝しむ目線。

 

「なんでもいいから! まだ早いとか、知らない人と合わせるのはダメだとか、家柄だけで決めるべきじゃないとか!」


「御子柴家は、知らない家ではありません」


 すぐに返ってきた言葉に、喉の奥がチクチクする。いつもなら言い返せる言葉が、今日はうまく出てこない。


「……相手のこと、知ってるの?」


「先生から昨日、簡単に伺いました」


「どんな人?」


「お相手は御子柴 奏多さん、20歳。東央大学法学部の二年生だそうです」


「それだけ?」


 倫ちゃんが何をもって自分とは関係ないと言い放つのか、この人の方がいいと思っているのか、私にはわからない。


「ご実家は代々法律事務所を経営なされています。ご本人も司法試験を目指して学業に励んでいらっしゃると」


 倫ちゃんはまるで患者の情報をカンファレンスで話すように澱みなく話す。会ったこともない人のことを、私よりもよく知っている。それが妙に腹立たしい。


「随分と詳しいんだね」


「必要な情報ですから」


「その人が私に相応しいか、ジャッジしたんだ」


 その質問に返事はなかった。倫ちゃんは視線を外し、塀の外を見る。雪の白さが、肌の白い倫ちゃんの横顔をいつもより冷たく見せる。


「倫ちゃんは、私が本当にお見合いしてもいいの?」


「良いお話なら、お受けするべきだと思います」


 そう答えた直後。

 離れの鍵を持っていた右手がチャリ、と音を立てた。少しかさついた指先が、人差し指の第二関節を弾くようになぞる。


 誤魔化すように再度鍵を握ったその仕草は、私が何度も見てきた、倫ちゃんなりの合図。


 私じゃなかったら、きっと見逃していただろう。


 まだ私が小さかった頃、算数の問題を間違えて泣きそうになった私へ「僕も最初は間違えました」と言ったとき。

 焼きすぎて真っ黒になったクッキーを「食べられないほどではありません」と言って口にしたとき。

 私が初めて贈った、どう見ても倫ちゃんの趣味ではない真っ赤なマフラーを「素敵です」と褒めたとき。


 あの親指はいつも人差し指を弾くようになぞる。


 ガスランプにマッチを近づけた時のように、恋心が燃え上がる。


「……今、どうして嘘をついたの?」


 倫ちゃんの目が、今日初めて、まっすぐ私を見た。


「嘘ではありません」


「嘘だよ」


「根拠は」


「…………指」


 私が倫ちゃんの右手を指すと、手はサッと背中へ隠される。

 その動きがあまりにも早くて、私は笑いを堪えられなかった。


 ***


 「倫ちゃんは、嘘をつくとき、そこを触るんだよ」


「初めて聞きました」


「言ったら直しちゃうと思ったから、黙ってた」


 私は、何年も前から見つめているのだ。倫ちゃんのことなんて、倫ちゃん以上に知っていると胸を張っていえる。


「では今のは偶然です」


「また嘘ついた」


「どうですか? 触っていませんから」


「意識して触らなかったんだろうけど、返事が早すぎるもん」


「……雪奈さん」


 低い声で名前を呼ばれても、今日は怯まない。


「……何よ。倫ちゃんだって、本当は嫌なんでしょう?」


「何がです」


「私がお見合いするの」


「関係ありません」


「嘘」


「雪奈さん」


「倫ちゃんが嫌だって言ってくれたら、私、会わないのに」


 言い切った瞬間、倫ちゃんの顔からわずかな苛立ちが消えた。

 代わりに浮かんだのは、もっと静かで、読み取りにくいものだった。


 倫ちゃんは私を見下ろしたまま、何も言わない。

 

 庭の向こうで、お手伝いさんが竹箒で雪を払う音がはじまる。遠くの方から、迎えの車のエンジン音も近づいてくる。それでも、私たちの間だけは妙に静かだった。


「……私がその人を好きになっても、平気?」


 倫ちゃんの喉が、ゴクリと小さく動いた。

 けれど、答えは返ってこない。


 五秒、十秒。返事を待って十二秒目をカウントしたところで、倫ちゃんは、とうとう私から目を逸らした。


「御子柴さんは、雪奈さんと年齢も近いです。医師より、生活の時間も合わせやすいでしょう」


「そんな条件を聞いてるんじゃない」


「私より、雪奈さんに相応しいのは御子柴さんです」


 胸の奥に戻ったばかりの火へ、冷たい水をかけられたようだった。


「相応しいかどうかは、倫ちゃんが決めることじゃないわ」


「だから、会って確かめるべきだと言っています」


「私が決めるの?」


「もちろんです」


「じゃあ、それでも私が倫ちゃんを選んだら?」


 今度こそ、倫ちゃんは答えなかった。右手も動かない。否定もしない。


 ただ、切れ長の目がわずかに揺れた。


 何の癖も出ないくらい、困っている。そう気づいた途端、傷ついているはずなのに、ほんの少しだけ嬉しくなった。


「時間です」


 倫ちゃんは私の横を通り抜けた。


「待って」


 振り向かない。私はその背中へ向かって声を張る。


「分かった。私、お見合いする」


 倫ちゃんの足が止まった。

 けれど、こちらを向くことはなかった。


「会って、自分で確かめる! 御子柴さんが、私に相応しい人かどうか」


「……そうしてください」


「でもね」


 遠ざかろうとする背中を睨む。ほんのり丸くなった背中は答えをくれない。


「倫ちゃんが平気かどうかも、ちゃんと見てるから……っ!」


 その言葉に返事はない。


 倫ちゃんは振り返らず、新雪の上に大きな足跡を残していく。

 

 私の靴では、歩幅が合いそうになかった。


 ***


 玄関先で少し気持ちを落ち着かせてから、朝食の席へ戻る。

 パパはトーストへたっぷり蜂蜜を垂らしているところだった。


 ママは昨夜と変わらず優雅に紅茶を飲んでいる。私の髪が濡れているのに気づいた二人の視線が、同時にこちらへ向いた。


「雪奈、どこへ行っていたんだい?」


「ちょっと、倫ちゃんのところ」


 パパの手から蜂蜜の瓶が滑りかけた。


「朝から? 二人きりで?」


「離れの前で話しただけだよ」


「何を話したの?」


 私は椅子を引き、できるだけ何でもない顔で座った。


「……私、お見合いする」


 ニコニコしていたパパが息を呑んだかと思う、盛大にむせた。


「ゆ、雪奈、本気か!」


 口元を押さえながら身を乗り出す。ママは驚きもせず、空いたティーカップをソーサーへ戻した。


「倫太郎くんと話したのね」


「うん。良いお話なら、会えばいいって」


「あんの、馬鹿息子!」


 パパがテーブルを叩いた。ティースプーンが小さく跳ねる。


「雪奈を他の男に会わせろなんて、僕はそんなふうに育てた覚えはない!」


「倫ちゃんを育てたのは、倫ちゃんのご両親でしょう」


「でも気持ちの上では僕の息子だよ!」


 そこは私も同意するけれど、今はパパへ頷いてあげる気にはなれない。

 

 倫ちゃんの言葉を思い出す。

 『私より、雪奈さんに相応しい可能性はあります』


 喉の奥がまた、むっと熱くなる。


「倫ちゃんが会えばいいって言うから、会ってくる」


「そんな、売り言葉に買い言葉みたいな理由でお見合いするものじゃないよ!」


「売られたんだから、買うもん」


「買わなくていい! 返品しなさい!」


「恋心はクーリングオフ対象外です」


「誰にそんなこと教わったの!?」


「燕」


 正確には、教わってはいない。今、私が作った。

 ママがとうとう口元を押さえて笑った。


「いいじゃない。本当に会ってみるのね?」


 穏やかな声だった。

 けれど、冗談で返していい質問ではないことくらい、私にも分かる。


 御子柴さんは、倫ちゃんを困らせるための道具ではない。

 お見合いを受けるなら、相手に失礼のないように会わなくてはいけない。


 私は膝の上で指を組んだ。


「うん。ちゃんと会う」


「倫太郎くんを諦めるため?」


「違うよ」


 それだけは、すぐに答えられた。


「倫ちゃんが言ったみたいに、本当に私に相応しい人なのか、自分で確かめてくる」


 それから、少しだけ顎を上げる。


「私がいなくなって、倫ちゃんが本当に平気なのかも……確かめるつもりだけど」


「雪奈ぁ……」


 パパは泣きそうな顔で私を見ている。


「そんな危険な賭けをしなくても、倫太郎を院長室に呼び出して三時間くらい説教すれば——」


「ダメよそんなの。あなたは何もしないで。ね?」


 ママの声は柔らかかった。

 パパの背筋がぴんと伸びる。


「はぁい」


 返事だけはいい。

 おそらく、何もしないつもりはない。


 ママはテーブルの端に置いていたスマートフォンを手に取った。


「では、先方へは私からお返事しておくわ。日程は来週の日曜日でどうかしら」


「来週?」


 思っていたより早い。胸が一瞬だけ縮んだ。けれど、ここで怖じ気づいたら、倫ちゃんに「雪奈さんは結局まだお子様ですからね」と笑われそうだ。


「大丈夫」


「雪奈、もう一度よく考えよう。来週の日曜日といえば、あと7日しかないんだよ? たった7日じゃ倫太郎を改心させる時間が——」


「パパ?」


「はい……」


 ママにぎりりと見つめられ、パパは小さく肩を落としてトーストへ視線を落とした。

 話を聞きながら何度も蜂蜜をかけすぎて、皿の上には黄金の池ができている。


 私はカップへミルクを注ぎながら、窓の外を見た。

 庭を横切る大きな足跡は、まだ新雪の上にはっきり残っている。


 あれだけ平気な顔をしていたのだ。

 日曜日だってきっと、平気な顔でいられるのだろう。


「……見てなさいよね」


 誰にも聞こえない声で呟き、紅茶を一口飲んだ。

 淡いベージュ色に染まったミルクが、ティーカップの上で薄い膜を張っていた。


 ***


 「宝生雪奈さん、ですか」


 御子柴 奏多は、父親から差し出された写真を受け取った。

 大学のカフェテリアらしい場所で、長い髪の少女が笑っている。


 整った顔立ちだった。

 育ちのよさも、素直そうな性格も、一枚の写真から十分に伝わってくる。


「可愛らしい方ですね」


 奏多がそう言うと、向かいに座る父親は満足そうに頷いた。


「宝生先生の一人娘だ。くれぐれも失礼のないようにな」


「もちろんです」


 いつも通り、父が安心する角度で笑う。


「来週の日曜日、11時。ホテル帝国のラウンジだ」


「分かりました」


 話はそれだけだったらしい。父親は時計を確認し、先に席を立った。

 一人になっても、奏多はしばらく写真を眺めていた。


 雪奈は、正面を向いて笑っていた。

 カメラではなく、その向こうにいる誰かへ笑いかけていた。


 奏多は写真を指先で傾けた。


「あぁ。この写真を撮った人が、好きなんだ」


 誰に聞かせるでもなく、小さく呟く。


 口元には、いつもの感じのいい笑顔。

 けれど、その目だけは少しも笑っていなかった。


「さて……」


「まずはその人に、会ってみたいな」

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