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お嬢様、その恋はコンプライアンス違反です。  作者: 汐瀬うに


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01.学ランの天使様

お久しぶりです!汐瀬です。今回も現代恋愛ものです!

お嬢様に振り回される両片思いものが描きたくなりまして、勢いでラブコメを書いてみました。

ゆっくり更新にはなりますが、夏休み期間の更新を楽しんでいただければと思います。

 クリスマスイブが終わるまで、あと15分足らず。

 本邸と離れの間にある中庭には、まだ雪は降っていない。


 その間を通る足音に気がついて、私はベランダからその背中を追いかけた。


「ねえ、倫太郎。倫太郎はどうして倫太郎なの」


 コート姿の彼は寒そうに肩をすくめて振り向くと、数秒考えてからど正論をぶち込んできた。

 

「…………榊家の長男だったから、ですね」


「ん〜もうっ! そういうことじゃないのに」


 庭先へ落ちる月明かりで、私の吐く息も倫太郎の吐く息もくっきりと白い。足元は昨日までに降った雪でダルメシアンのようにまだらに光っている。そんな、石畳に溶けかけの雪という最悪の地面コンディションでも、その人はいつもと同じネイビーのコートに革靴姿だった。


 榊 倫太郎——改め、倫ちゃんは、もう用件はすみましたかとでも言いたげに、中庭から私を見上げている。


 頬を膨らませると、彼は諦めたようにフッと笑い、ベランダの真下まで戻ってきてくれた。オールバックの髪が数束解けておでこにかかっている。今日も一日、病棟を動き回っていた証拠だ。

 

 なんだかんだ言いながら構ってくれる、そういう優しさが大好きだ。


「ねえほら、その離れとは縁を切って、本邸に来て。お嬢様扱いももうやめて。昔みたいに『ゆき』って呼んで。もしそれが嫌なら、せめて——」


「お嬢様」


「……ゆき」


「雪奈さん」


「な、何よ。今夜くらい、いいじゃない」


「それを言うなら、今夜も、ですね。今夜お風邪を引かれても看病しませんよ。それに、離れは充分すぎるほど近いです」

 

「うっ……正論すぎてぐうの音もでない」


 胸を押さえてよろめいてみせると、倫ちゃんは口元へ拳を当て、ほんの少しだけ肩を揺らして笑った。


 声は聞こえなかったけれど、今夜の私にはそれだけで大金星だ。


「ほら。体が冷える前に、部屋へ戻ってください……日付も変わりますから」


 倫ちゃんの黒髪は、ほの明るい庭の中でわずかな街灯の光を拾って艶めいていて、今日も綺麗だった。見慣れているはずなのに、今日もちゃんと見惚れてしまうのは、どういう仕組みなのか——論文を書いてみたいとすら思う。


 ジェルでまとめられたその黒髪へ、小さな白い粒がひとつ落ちた。


 続けて、もうひとつ、ふたつと白い粒が重なっていく。


「あ……っ雪! ホワイトクリスマスだ!」


 倫ちゃんは私が指差した空を見上げることなく、ただ私をまっすぐ見たまま話し続ける。


「そろそろ、部屋へ。……今夜は、行けなくて申し訳ありませんでした」


「いいよっ! パパも前から遅くなるって言ってたし」


 本当は少し残念だったけれど、病院で待つ子供たちより自分を優先してほしいとは思わない。


 それに、日付が変わる前にこうして顔を見られたのだから、今日は十分にいい日だ。


「……次のお休みに、3倍お返ししてくれたら許すね♡」


「3倍はコンプライアンス違反です」


「なんでもコンプラって言えばいいと思ってるでしょ」


「思っていません」


「じゃあ2倍!」

 

「交渉しないでください」


「仕方ないなぁ……1.5倍!」


「刻まない」


 平然とした顔で返す倫ちゃんの声には、わずかに堪える震えがある。今日の私はどうやらそこそこ調子がいいらしい。


「あっ、じゃあひとつだけ! 今日ね……倫ちゃんがあのネクタイつけてくれてて、嬉しかったの」


「ああ」


 手すりから身を乗り出すと、手袋をした倫ちゃんの手がそっと首元に触れた。マフラーの下に、今はもう見えないあのネクタイを締めてくれていると思うと、胸の奥がざわざわする。


「……そう、ですか」


「だからお礼だけは言いたくって。もっと頻繁につけてくれたっていいんだからね!」


「考えておきます。……大切なものなので」


 ネクタイの存在を確かめた指先が、マフラーから離れる。そんなたったひとつの仕草とセリフで、私は、また惚れ直してしまう。


「えっ! 大切?!」


 聞き返した声は思ったよりも中庭に響いて、私は咄嗟に両手で口を押さえた。


「……そっかぁ。へへっ、大切なんだぁ……」


 私のゆるい口元は、倫ちゃんに会うたび、下がったり上がったりを繰り返して非常に忙しい。きっと今の私は、お嬢様らしさのかけらもない顔をしている。


「おやすみなさい。……雪奈さん」


「うんっ! おやすみ倫ちゃん!」


 ベランダから大きく手を振ると、倫ちゃんは私を追い払うように手をパタパタと動かした。


 いつもそうだ。

 倫ちゃんは早く戻れというくせに、私が部屋へ入るまでその場を動かない。


 仕方なく部屋へ戻り、窓を閉める。勢いよくカーテンを閉じて、隙間から中庭を覗いた。ガラスは私の吐息で一瞬にして白く曇る。私の姿が消えたことを確認した倫ちゃんは、こちらへ小さく頭を下げてから離れへ向かった。


 雪の中、遠ざかる背中が少しずつ小さくなっていく。


「倫ちゃんのばーか……」


 そう、私の欲しい答えは、いつだって返ってこない。


 ***


 倫ちゃん。

 榊 倫太郎。


 私の元家庭教師で、パパの古いお友達の息子。

 

 初めて会ったのは私が9歳の冬。

 風が突き刺さるような寒さの日だった。


「ゆき! お土産とビッグニュースがあるからこっちへおいで!」


 玄関で、いつものように明るく話すパパの声が響く。床暖房の効いたリビングを飛び出すと、冷気の詰まった廊下にはいくつもの紙袋。

 

 そして。

 女子校で女の子だらけだった私の世界に、お人形みたいな男の子がやってきた。


「そして……今日からうちに来ることになった、倫太郎くんだ」

 

「榊、倫太郎です。お世話になります」


 学ラン姿に、長いまつげ。しっとりと長めの黒髪。その頭にも、肩にも白い雪がほのかに乗っていて、パパが天使を連れてきたのかと錯覚したのを、今でも覚えている。


 榊と名乗ったその人は、スラリと背が高く、切れ長の目が涼しげだった。


 けれど、その目は私たちを見つめているようで、廊下の奥よりもっと先の、何かすごく遠いところを見ているような目をしていた。


「うちに来るって、お泊まり?」


 パパと、知らない男の子を交互に見る。


「いや、ずっといるよ。前のお手伝いさんが使ってた離れに住むんだ」


「じゃあ、ゆきのお兄ちゃんになるの?!」


 ずっと、お兄ちゃんが欲しかった。

 小学校で友達がお兄ちゃんの話をするたび、私は帰ってママにお兄ちゃんが欲しいとねだっては、苦笑いされていた。


 そんな叶うはずのない夢が、叶ってしまったのだ。


「まあ、そんなところだよ」


 パパはママと顔を見合わせて、嬉しそうに笑う。気まずそうな顔をしていた学ランの天使は、「お邪魔してすみません」と小さく謝った。


「……どうして謝るの?」


 子供の言葉を素直に受け取ってくれるとは思っていない。それでも、悪くないのに謝るのはどうしても嫌で。そっと近づいて手招きし、頭を私の顔のあたりまで下げてもらって、耳を借りる。


「あのね。お兄ちゃんは悪くないから、すみませんは言わなくていいんだよ」


「そうなの?」


 お兄ちゃんは小さく屈んだまま、私の言葉を聞いてくれた。


「そうだよ? ゆきはお兄ちゃんが来てくれて嬉しいから、ごめんねは欲しくないの」

 

「そっか、わかった」

 

 ふわっと解けたように笑う人だった。青白い左手が口元を覆う。アニメで見た天使みたいだと思いながら、瞬きも忘れて見つめ続けた。


「じゃあ……よろしく?」

 

 あまりにもじーっと見ていたからか、倫太郎は目線を合わせたままで右手を差し出す。そのまま握ると、加減を探るように弱く優しく、私の小さい手を包んだ。


「わぁ……ゆきにもお兄ちゃんができた……!」


「ねえ、倫太郎。ゆき、倫太郎のこと、りんちゃんって呼んでもいい?」


「……いい、けど」


「やったぁ! ありがとうりんちゃん!」


 嬉しくなって、そのまま倫ちゃんに抱きついた。少し濡れてところどころ柔らかくなった学ランの生地が頬に触れる。


「……っ!」


 倫ちゃんが私に本当の感情を見せたのは、その時が初めてだったと思う。


 目を大きく見開き、息を吸ったまま止まる。体は動いていないけれど全身に力が入ったのがわかって、私はすっと倫ちゃんから離れる。


 抱き返すことも、押し返すこともしないまま、倫ちゃんはそこで立ち尽くしていた。 え?と思った頃には、倫ちゃんの足はジリジリと半歩下がっていた。


 喜んでくれると思っていたのに倫ちゃんの顔は見たこともないくらいにこわばっていて、私はどうしたらいいのかわからなくなる。


 何も言わない。こちらを見ることもなく、踵を返して玄関の外へ駆け出していく。


「……倫ちゃん?」


 私もドアノブに手をかけようとしたところで、パパが私の肩を掴んだ。


「大丈夫、すぐ戻ってくるよ」


 玄関の扉は、わずかに空いていた。少し開いた扉の隙間から見えたのは、門灯の下で夜空を仰ぎ、腕で目元を覆う姿。袖口で何度も目を擦り、必死に感情を押し殺そうとするその顔を見て、私の胸はぎゅっと痛んだのだった。


 ***

 

「……〜っていうことがあってね!」


 クリスマスの話を終えた私は、カフェテラスの机へ身を乗り出した。


「だから、今年のクリスマスもミッション完了! 倫ちゃんの記憶にもバッチリ残れたと思うの!」


「相変わらず、榊先生まみれの年末年始だったってわけね」


 向かいに座ってレモンティを飲む幼馴染は、うんざり顔でこちらを見ている。中島 燕といえば、この学年で名前を知らないものはいない全国学力テスト上位常連の天才だ。


 今日も、腰まで伸びたポニーテールがよく似合っている。珍しく背筋をまあるくした燕は、メガネ越しにじっとりとした目で私を見つめていた。


「そりゃあいつもそうよ! ほら、見てこれ!」


 パパが小児科医ということもあり、宝生総合病院の入院病棟は小児科病棟が広く取られている。その擦りたてほやほやの1月のお便りを、燕の前へ広げてみせる。


 先月開かれたクリスマス会の写真が、一面に大きく掲載されていた。


「こっちの太っちょサンタさんがパパで、こっちのイケメンさんがさんが倫ちゃん。こんな格好させられても、かっこよさが消せてないの」


 あまりにも違いすぎる体型が話題で、子供達の中での人気は二分していた。


「もちふわ院長とエリート小児科医じゃ、比べる方がどうかしてるわ。……まあ、雪奈がそのイケメンに目が眩んで九年も通い詰めてるのは知ってるけど」

 

「目が眩んでるんじゃないわよ、純愛よ。それに、通い詰めてるんじゃなくてボランティアに来てるの」


「だからって待ち合わせにここを指定しないで」


 燕はうんざりしたように、スクラブや白衣で埋まった周囲を見渡した。

 

「宝生総合病院の職員用カフェテリアで飲むレモンティー、全く味がしないんだけど」

 

「いいじゃない、私は関係者なんだし。それに、燕に来てもらう方が早いんだもの」


「部外者を巻き込まないでよ。……っていうか、大学の講義は?」

 

「今日は五限目だけだから大丈夫!」

 

「いや、そういう問題じゃなくて——」

 

「いい加減、帰ったらどうです?」


 燕が頭を抱えたところで背後から落ちてきた声に、私は勢いよく振り向いた。


 「倫ちゃん!」


 ネイビーのスクラブに白衣を羽織った倫ちゃんが、紙コップと親子丼を乗せたトレーを持って立っている。


 今日もかっこいい。白衣が似合う。スクラブも似合う。髪の毛もバッチリ。つまり、世界は今日も正常に機能している。


「今日もかっこいいね!」


「業務中ですよ」


「業務中も素敵だね!」


「雪奈さん」


「はいっ」


「お静かに」


「はいっ」


 さすが私、返事だけは一級。

 そんな私の横で、燕は黒縁メガネの奥から倫ちゃんを見上げた。


「……榊先生、よく許してますね。こんなにも鬱陶しいのに」


「えっやだ燕ちゃん!?」


「……呼吸をするように言葉を吐かれるので、流石に慣れましたね」


「慣れてくれてる!」


「喜ぶとこじゃないわよ、雪奈」


 倫ちゃんは私たちのテーブルを離れ、1つ隣の席へ腰を下ろした。拒絶ではない。けれど、近すぎる場所を選ばない。いつもの倫ちゃんらしい距離だった。


「……雪奈さんは、ボランティアですか?」


「そう。1月のお便りをお部屋に配るのと、絵本の整理に来たの」


「それは助かります」


 黙々と親子丼を口に運んで、倫ちゃんは視線をあげる。


「ま、医局とカフェに頻繁に顔を出す理由にはなりませんが」


「だってそれは、会いたかったから」


「理由にはなっていませんね」


「なるよ。私には一番大事な理由だもん」


 倫ちゃんは返事をしなかった。紙コップを口元へ運ぶ。


 けれど、飲む前に一度だけ私を見た。ほんの一瞬。それを、私は見逃さない。9歳の頃から、倫ちゃんを見ているのだ。


「榊先生……」


 燕が小さく口を挟む。


「否定、しないんですね」


「中島さん」


「はい?」


「そろそろ、雪奈さんを連れて大学へ戻ってください」


「無理です。私にその力はありません」


「燕! 我が心の友よ!」


 嬉しい!大好き!と言葉にしようものなら、鬱陶しがられて逃げられる。だから、両腕をあげて抱きしめるふりをする。


「こんな雪奈の行動を制御できる人間なんて、この世には存在しないのよね」


「いるよ! 倫ちゃん!」


「私にもありません」


「やだ、ねえ、ひどい。みんな私をなんだと思ってるの」


 そんないつもの会話をしているところで、カフェの入り口のあたりから明るい声が聞こえる。


「あ! りんたろー先生と、ゆき姉ちゃんだ!」

 

 看護師さんに手を引かれた男の子――りくくんが、左腕に点滴の管を繋げたままトコトコと近づいてきた。


「ゆき姉ちゃん、きょうもピアノひく? おさんぽの歌がいい!」

 

「もちろん! じゃあすぐ行こう、談話室までお散歩しよ!」


 会いに来てくれた子を1秒でも待たせたくなくてすぐに立ち上がると、背後から倫ちゃんの鋭い声が飛んできた。


「雪奈さん。走らない、廊下で騒がない、興奮させすぎない。何かあればすぐに医師か看護師の指示を仰ぐこと。いいですね?」


「はーい、コンプライアンス遵守します!」

 

 左手にトレイを持ったままわざとらしく右手で敬礼すると、りくくんも隣で小さな腕をピンと上げた。


「じゅんすします!」


 まだ言えていない。でも可愛いので、百点満点だ。

 私たちは顔を見合わせて笑い、小児病棟へと歩き出した。


 カフェを抜けて、廊下を曲がる前にそっと振り返る。

 

 倫ちゃんは食事の手を止めて、まだこちらを見ていた。


 またね、と口を動かすと倫ちゃんは小さく頷く。その反応の全てが嬉しくて手を振り返す。けれど、倫ちゃんは顔色を変えずに人差し指でエレベーターの方を指さし、早くいけとばかりに手をひらひらと動かした。


 ***


 その日の夕食後。

 食卓に置かれたほうじ茶の香りが、リビング全体に広がっていた。


 ソファではママが雑誌をめくり、倫ちゃんはパパと一緒に病院から持ち帰った書類へ目を通していた。


「倫太郎」


 パパが両手で湯呑みを包みながら、穏やかに呼びかける。


「はい」


「君は……所帯を持つつもりはあるのかい?」


 倫ちゃんの、書類をめくっていた手が止まる。

 私も、思わず聞き耳を立てる。


 倫ちゃんはパパを見た後、ほんの少し間をおいて息を吸った。


「…………ありません」


 ない。


 その気はない。

 ということは、現在お付き合いしている相手はいないということ?!


 私の心は一気に舞い上がる。


 そこまではいい。とてもいい。いや——よかった。


「そうかぁ……」


 パパはふくふくとした頬に手を添え、困ったように眉を下げて首を傾けた。


「実は僕の友人がね。息子さんと雪奈を引き合わせたいと言ってきているんだ」


「えっ!」


 思わず、大きな声が出る。意識するまもなく、その声は反射的に出てしまった。


「倫太郎にその気があるなら断るつもりだったんだけど……」


 パパはチラチラと倫ちゃんの様子を伺いながら、言葉を紡ぐ。いけ、負けるパパ。しっかり畳み掛けて。


 そう思ってパパを見つめるけれど、倫ちゃんの顔色は変わらなくて。むしろパパだけがツルツルの頭にちょっとずつ汗をかいている。


「倫太郎にその気がないなら、会わせてみても、いいかなぁ?」


 いや、よくない。全然良くない。何考えてるの、パパ。


 私は倫ちゃんを見る。今だよ。パパを止めて。いつものコンプライアンスを振りかざして。


『宝生家のお嬢様に、みだりに男性を近づけてはいけません』くらい、言って。なんなら『雪奈さんは渡しません』でもいい。


 むしろ、そちらでお願いします!と言って、あの熱い胸板に飛び込みたい欲求すらあある。


 そんな期待をこめて見つめたのが通じたのか、倫ちゃんは私の方へ目線を向けた。鼓動がはねる。さあ、来い。


「……私にその気はありません」


 倫ちゃんの言葉は、静かだった。


「私は当事者ではありませんので、どうかお気になさらず」


 胸の奥へ、冷たくて鋭いものが一気に崩れ落ちるような音がする。凛ちゃんは10枚ほどの書類をがさっと掴み、立ち上がる。紙の角は全く揃っていないのに、それをそのまま小脇に抱えて立ち上がった。


「明日も早いので、お先に失礼します」


 こちらを見ないまま頭を下げ、リビングから出ていく。扉を閉じる音だけが、やけに大きく聞こえた。


 私はパパと二人で、しばらく閉じたままの扉を見つめた。焦った倫ちゃんが、「前言撤回で!」と言いながら入ってくる様子はない。


「……あれ」


 パパがガクッと肩を落とす。


「駄目だったねえ、雪奈」


「パ——パパのバカ!!」


「ご、ごめんよぉ!」


 パパの柔らかなお腹に、クッションを投げつける。パパは悲鳴をあげながら、ソファへ沈み込んだ。


「倫ちゃん、なんとも思ってないって顔してた! 私、勝手に振られちゃったじゃない!」


「流石の倫太郎でも、少しぐらい動揺すると思ったんだよぉ」


「してたかもしれないじゃない! 書類、全部ずれてたもの!」


 倫ちゃんに軽く拒否されても、止められても、この恋を続けられていたのは、ずっとどこかに可能性があると信じられていたからだったのに。


 パパの言葉がきっかけて「当事者じゃない」と真正面から斬られるなんて。


「……希望的観測がすぎるわね、雪奈」


「ママまで?!」


 それまで黙って私たちの話を聞いていたママが、雑誌を閉じた。

 舞台に立っていた頃の写真と変わらない、凛々しくて輝く笑顔。


「倫ちゃんにその気がないなら仕方ないじゃない」


 ママが、頬へ片手を添える。


「雪奈、実際にお会いしてみなさい」


 その言葉を聞いて、パパの顔から、笑みが消えた。

 私も、パパに投げつけすぎて残り1個になったクッションを抱えたまま固まる。


「ママ、雪奈が貰われてもいいの? 本気なの?」

 

「あら。だって、お相手は会いたがっているんでしょう? 何事も、経験よ」


 ママの微笑みは、こういう時ほど逆らえない。パパは、慌ててママの方へ身を寄せる。


「待って待って。僕は倫太郎の覚悟を試したかっただけで、本当に雪奈を会わせるつもりは——」


「でも、倫太郎は当事者ではないそうよ?」


 ママは怪しげに、ふふふと笑う。そうだわ、と思いついたように手を合わせたママの眉間にはほんのりと谷間ができている。

 

「日曜日にでも、スケジュールを組んでいただきましょう。ね?」


 宝生家はいつもママの一言で、アプリ上のいろんな予定が変更されていく。明日、学校終わりに入れていたボランティアの予定は消されて、ショッピングの予定が追加されたと通知が来た。


 日曜日、お見合い。

 

 倫ちゃんではない男の人と。


 クッションを抱く腕に、ますます力が入る。

 

 私の初恋に、人生で初めての敵が現れた。

最後までお読みいただきありがとうございます!

倫太郎と雪奈のじゃれあい、いかがでしたでしょうか…?


「私は当事者ではありません」と言い放った倫ちゃんですが、書類の角が全く揃っていないあたり、内心の動揺が丸わかりでしたね。


「雪奈の恋を応援したい!」「倫ちゃん早く素直になって!」と思った方は、★やブックマークでパワーを分けてもらえると嬉しいです。


よろしくお願いいたします!

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