上書きされた双魂
宿屋のベッドから、わずか十歩。
主権を取り戻した半径数メートルだけの「夜の檻」の中で、レオンは暗闇のなかに静かに佇んでいた。
昼間、台板の上に無造作に放り投げられ、神々の不躾な足でコツコツと小突かれたバルドの漆黒の重盾。そして、ゴミとして一蹴されたアリアのお守り。
誰にも見向きもされず、不良在庫として暗黒のインベントリの奥深くへと掃き戻されたそれらの形見は、いま、レオンの胸の奥で静かに、しかし悍ましく熱を帯びていた。
(絶対に、許さない……)
度重なる死と再生の冒涜的な激痛、脳髄を引きちぎられるようなズレの感覚。それらによって擦り切れ、一度は完全に折れかけていたレオンの心。
だが、その折れた心の裂け目に、いまや世界への剥き出しの憎悪と冷酷な殺意の火が、消えることのない赤黒い焔となって静かに燻り、再燃していた。
天の支配者たちへの、一滴の容赦もない、純粋な反逆の意志。
その決意を胸の奥底で研ぎ澄ましていたレオンに、今夜もまた、容赦のない「その時間」が訪れる。
――ピキィィィィィン――
脳髄を直接沸騰させるあの鋭利な高周波の起動音が、頭蓋の内側で炸裂した。
抗う隙すら与えられず、レオンの主権は強引に剥奪される。魂は肉体の最奥、分厚いガラス越しに視界を眺めるだけの無力な観客席へと引きずり下ろされた。
直後、レオンの脳裏に、天の意志が抱く、歪で無機質な「計算」が濁流となって流れ込んできた。
盾役であったバルドの消滅。それによって生じた、パーティー全体の耐久性能の著しい低下。
天の主たちにとって、それはただの「不都合な数値の減少」に過ぎなかった。彼らはバルドの死を悼むことなど一秒すらせず、ただその穴を「いかに最も安価に、最高効率で埋めるか」という極めて打算的な最適解を弾き出していた。
(……何をするつもりだ……?)
レオンの肉体は宿を出ると、深夜の静寂に包まれた、真っ白な石造りの大聖堂へと歩みを進めていた。
天の理が、ある重大な「イベント」の実行を決定したことを告げるように、頭蓋の奥で「ジジッ、ジジジ……」と、不快な放電音が静かに脈打ち始める。
大聖堂の中央。
厳かな光が差し込む祭壇の前に、彼女は直立していた。
白金髪と青い瞳の聖女。
純白の法衣に身を包んだ少女は、人間らしい呼吸の上下動すら止めたまま、まるで背景の一部であるかのように完璧な姿で佇んでいた。外面の美しさは完璧だった。美しい、光を完璧に反射する滑らかな肌。だが、そこには命の気配など微塵も存在しない。
名前は――ルナ。
カチリ。
レオンの脳内で、冷酷な歯車が噛み合う音がした。
それと同時に、レオンの肉体が自動的に動き出す。
彼の四肢は、出会ったばかりの聖女の前にゆっくりと歩み寄り、流れるような、きわめて優美な動作で、その場に片膝を突いた。
直後、世界の色彩が、おぞましいまでの明度を伴って反転した。
(う、あ……なんだこれ……!?)
視界のすべてが、目を焼くような、毒々しいほどに鮮やかな「桃色のハッピーなフィルター」で強制的に塗りつぶされた。
これは、世界のシステムがこのおぞましい契約を「祝福された儀式」として演出し、外から眺める者たちを歓喜させるための、欺瞞のレイヤー。
だが、その不気味に煌めく桃色のベールの裏側で、レオンの網膜の直上には、血の滴るような赤黒い文字盤が幾重にも実体化し、凄まじい速度で文字列を吐き出し始めていた。
それは、言葉を介さない神々の、冷酷な契約の締結。
二人の頭上から伸びた、不気味にのたうつ「青い光の線」が、まるで血管のように脈打ちながら、レオンとルナの「命の残量を現す赤い帯」を、逃れられない因果でがんじがらめに結びつけていく。
レオンの右手が、勝手にルナの華奢な左手を取り、その薬指へと指先を滑らせた。
その指先が触れた瞬間、パチパチと不快な火花が散り、ルナの薬指の皮膚に、冷たい「指輪」が、まるで肉を抉って直接接着されるようにして、不自然に実体化した。
そして。
跪いていたレオンの肉体がゆっくりと立ち上がり、天の意志が示す「最高の親愛」をなぞり、目の前のルナの体を、強く、強くその胸に抱きしめた。
その、抱擁の瞬間。
ガラスの向こうで傍観していたレオンの魂は、激しい衝撃に目を見張った。
(……っ!?)
熱い。
あまりにも、熱かった。
だがそれは、アリアが手を握ってくれた時の、あの穏やかで愛おしいぬくもりではなかった。
抱きしめられたルナの、その法衣に包まれた華奢な肉体が。
ガタガタと、まるで全身の血液を極低温の氷水にすり替えられたかのように、激しく、狂おしいほどに、絶え間なく「震えていた」のだ。
お仕着せの外面は、完璧に美しい、無垢な微笑みをペタリと貼り付けたままだ。
だが、そのプラスチックのような笑顔の仮面の裏側で、彼女の内側にある「本物の魂」は。
レオンと全く同じように、自らの意志を剥奪され、見知らぬ人形と抱き合わされるという、底なしの恐怖と屈辱に、血を吐くような悲鳴をあげながら、狂ったように拒絶し、震えていた。
(この子も……)
レオンの魂が、激しく脈打った。
(この子も、僕と同じだ。操られている……ただの人形なんだ)
同じ檻に繋がれ、同じ『神々』の無邪気な指先によって四肢をかき混ぜられ、その尊厳をゴミのように踏みにじられている、もう一人の犠牲者。
アリアを殺され、バルドを消去され、自らの形見すらワゴンセールに放り出され、ただ冷酷な憎悪と虚無に染まっていたレオンの胸の奥深く。
そこに、生まれて初めて、天の上の神々への殺意とは異なる、強烈な「同情」が芽生えた。
それは、同じ地獄を共有する者への、狂おしいほどの共感。
そして――「この子を、僕と同じ檻に囚われたこの子を、守りたい」という、レオン自身の引き裂かれた胸の奥から湧き上がった、生まれて初めての、本物の人間としての、純粋なぬくもりの灯火だった。
「――ずっと、あなたの傍にいます」
レオンの喉が、自らの意志を1パーセントも含まない、優しく爽やかな誓いの言葉を勝手に紡ぎ出す。
桃色の欺瞞のフィルターの中で、二人の影は、一歩の乱れもない完璧な「恋人たちの抱擁」をトレースし続けている。
だが、抱きしめ合うその胸の境界で、二人の本物の魂だけは。
冷酷な神々への、絶対に許さないという静かな反逆の決意を、その狂おしい震えを通じて、確かに分かち合っていた。
『SYSTEM: SOUL_LINK_ACTIVATED』
『RELATION: COUPLING_ESTABLISHED』
[Twin Soul System: > Engage: Active]




