露店という名の解体場
月金20時に更新予定です。
バルドがこの世界から「消去」されてから、どれほどの夜が過ぎただろうか。
日付を数えるためのレオンの感覚は、とうの昔に麻痺していた。
ただ、彼の肉体には、その間に刻まれた無数の「見えない傷」が、澱のように蓄積している。
あれから、レオンは何度も死んだ。
ある時は巨大な怪物の牙に臓物を引きずり出され、またある時は、天の意志の操作がコンマ数秒遅れたがために、迫り来る劫火を避けることもできず、生きたまま皮膚を炭化させて肉を引き裂かれた。
死の瞬間、彼の意識は数億個の「冷たい粒子」に分解され、世界の背景である泥や空と不気味に混ざり合う。そして次の瞬間、まるで質の悪い糊で引きちぎられた四角い肉を強引に繋ぎ合わされたかのような、凄まじい吐き気と追従遅延を伴って「再構築」されるのだ。
接着が微妙にズレているのだろうか。今のレオンは、瞬きをするたびに右目の奥がピキピキと痛み、指先を動かすたびに、ほんの少しだけ神経の伝達が遅れるのを感じていた。
(心が……乾いていく)
叫ぶための声帯は、死ぬたびに一度リセットされる。その度にレオンの心は、激痛と蘇生の冒涜的な繰り返しによって徐々に削り取られ、薄く、脆く、擦り切れていった。
どんなに手足を引き裂かれようとも、もはや涙すら出ない。ただ、冷え切った自らの死骸を内側から冷然と見つめるだけの、壊れかけの抜け殻。
そんな、身も心もボロボロに引き裂かれたレオンに、今日も『天の指先』は無慈悲に干渉する。
――ピィィィィィン――
脳を焦がすあの不快な起動音が響き、レオンの主権が強奪される。
だが、今日の強制駆動は、いつもの血臭い戦場への疾走ではなかった。
レオンの肉体は、多くの人々――息もせず、瞬きもせずに直立している死人形のような者たちがひしめく、街の中央広場へと歩みを進めていた。
陽の光が降り注ぐ中、レオンの四肢は不自然なほど静かに、流れるような動作で石畳の上に腰を下ろした。
そして、目の前に、古びた木製の簡易な台板がガタガタと設置される。
(……何をするつもりだ……?)
レオンの脳裏に、天の意志が放つ無機質な「金銭への渇望」が流れ込んできた。
どうやら、今日の主たちの目的は狩りではない。懐の困窮を解決するための、極めて世俗的な「処分」だった。
レオンの手が、勝手に『保管庫』――あの、不可視の深淵の袋へと伸ばされる。
引きずり出され、木の台板の上に無造作に放り投げられたのは、レオンがこれまでの地獄のような戦いで、命と引き換えに手に入れてきた「形見」の数々だった。
まず置かれたのは、あのアリアから差し出された、あの鈍い銀のお守り。
そして――
ドォン、と重い金属音を立てて、台板の真ん中に置かれた、あの巨大な漆黒の重盾。
(あ、あぁ……ッ!)
レオンの魂が、内側で激しく身悶えした。
それは、数日前まで隣にいたバルドの、この世界における唯一の存在証明だった。
バルドが大切に、それこそ自らの命よりも重く扱い、幾度もレオンの盾となって傷だらけにしてきた、あの盾。
表面には、天の理が刻みつけた忌まわしい認識記号が、まるで不治の病の斑点のように、今も醜く浮かび上がっている。
レオンの右手が、勝手に布を掴み、その盾の表面を「磨く」動作を開始した。
キュッ、キュッ、と乾いた、小気味よい音が広場に響く。
だが、盾の表面を擦るたびに、レオンの指先を通じて、あの消滅の瞬間にバルドが流した涙の冷たさと、耳障りなノイズにまみれた『たすけて』という口パクの感触が、ドロリとした精神的な激痛となって脳髄へ直接フィードバックされる。
(やめろ……触るな! バルドの形見を、そんな風に扱うな……!!)
レオンの魂は血の涙を流して叫ぶが、彼の顔面には、天の意志によって極めて精巧に作られた「作り物の笑顔」が、ペタリと貼り付けられていた。
「いらっしゃいませ! 掘り出し物がありますよ!」
レオンの喉が、自らの意志を1パーセントも含まない、明るく澄んだ声を勝手に張り上げる。
彼が心の中で激しい悲痛に身を焼き尽くされている間にも、肉体は極めて優秀な「商人の人形」として、快活な呼び込みの動作を繰り返し、広場を往来する他の「操り人形たち」へと満面の笑みを振りまいていた。
やがて、その呼び声に惹かれるように、数人の大剣士や魔術師の肉体を引き連れた『別の神々』が、レオンの台板の前で足を止めた。
彼らが近づくたび、レオンの脳髄に「チリチリ」と嫌な静電気が走る。
それは、言葉ではない。彼らの頭上から発せられる、冷酷な【品定め】の意識そのものだった。
彼らが一歩踏み出すたびに、レオンの脳には「鉄屑」「ゴミ」「型落ち」「時間の無駄」という冷徹な選別のニュアンスだけが、濁流のように直接流れ込んでくる。
彼らが値踏みしているのは、ただの鉄の板ではない。
アリアの最期の祈りも、バルドが命をかけて自分を守り抜いたあの誇り高き大盾の記憶も。
彼らにとっては、荷物の片隅を圧迫するだけの「価値のない不要なもの」に過ぎないのだ。その絶対的な温度の低さが、言葉よりも深く、レオンの神経を凍らせていく。
レオンの肉体は、そんな傲慢な意識の濁流を浴びせられながらも、引きつった笑みを浮かべたまま、何度も何度も深々と頭を下げていた。
「お安くしておきますよ! いかがですか!」
(頼む……触るな、その汚い手で、触るな……!)
一人の大剣士を操る天の意志が、バルドの盾の表面を、泥のついた靴底で不躾にコツコツと小突いた。
そのたびに、レオンの脳裏に「キィィィン」と、バルドが傷ついた時の不快な金属共鳴音が響く。
お守りも、ただの「換金用のガラクタ」としてつまみ上げられ、不満げに台板に放り捨てられた。
結局、お守りも、盾も、買い手となる神々の眼鏡に適うことはなかった。
彼らにとって、これらは最初から、ゴミ箱に捨てる以外の選択肢がない「型落ちの残骸」だったのだ。
夕暮れが訪れ、広場に不気味な薄紫色の影が伸び始める。
天の意志は、今日の売上が期待外れだったことに苛立つように、台板の上の売れ残ったアイテム群を、乱暴な動作で『保管庫』へと掃き戻した。
誰にも見向きもされず、無価値と切り捨てられたアリアのお守りも、バルドの重盾も。
不要な不良在庫として、光の届かない暗黒のインベントリの奥底へと、無造作に、ゴミのように放り込まれた。
フッと、天の支配の糸が切れる。
「……ッ、げ、ぉ、っ……!!」
主権が返ってきた瞬間、レオンは台板にしがみつき、胃の腑から込み上げる酸っぱい胃液を石畳に吐き散らした。
何度も死に、継ぎ接ぎにされた肉体は、自らの感情を完全に無視して営業用のポーズを取り続けた負荷に耐えかねて、全身の筋肉が激しく痙攣していた。
「あ……あぁ……」
レオンは、傷だらけの右手を、自らの喉元にへたりと当てた。
そこには、仔犬を犠牲にした代償として、皮膚に不気味に癒着した『黒い首飾り』が、今もドクンドクンと冷たい拍動を刻んでいる。
心が、激しく脈打ち始めた。
度重なる死の絶望に耐えかねて、一度は擦り切れ、折れ、静かに死に絶えかけていたはずの彼の心。
だが、バルドの漆黒の重盾が、アリアの鈍い銀のお守りが、目の前でただの「ゴミ」として踏みにじられ、暗闇へと放り捨てられたその底なしの理不尽に触れた瞬間――。
その折れた心の裂け目から、消えることのないおぞましい【憎悪と怒り】が、ふたたび赤黒く燃え上がった。
(絶対に……絶対に、許さない……!)
乾ききっていたはずの胸の奥で、かつてないほど獰猛な、世界のシステムそのものを物理的に破壊してやるという明確な狂気が、猛烈な勢いで再燃していく。
レオンは、夕闇に染まる世界の空を、赤黒い憎悪を宿した冷酷な瞳で見上げた。
その首元で、黒い首飾りが、彼の燃え盛る魂に呼応するように一瞬だけ、毒々しい赤黒い輝きを放った。




