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家族に売られてたどり着いた先は、王女様の侍女でした。 ――掃除だけは誰にも負けません。  作者: 月城 蓮桜音


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第83話 陰から見守る

 回廊の角。王女は柱の陰に立ったまま、静かに一連のやり取りを見守っていた。兄が立ち止まり、言葉に詰まり、勢いだけで褒めて——逃げ出すまで。そして、その後に残されたリーナが、数拍遅れて呆然と立ち尽くすところまで。

 

 ……ああ、と王女は内心で嘆息する。

 

 これは、からかっていい相手ではない。リーナは真面目すぎるのだ。感情を持っていないわけではない。ただ、その扱い方を知らないだけだ。ここで声をかければ、きっと彼女は戸惑い、混乱し、下手をすれば自分を責めてしまうだろう。

 

 ——それは、望むところではない。

 

 王女はそっと視線を外した。リーナが自分で立ち直る時間を邪魔しないよう、静かに踵を返す。向かう先は、当然ひとつしかなかった。

 

 ✭✭✭


 

 兄の執務室の扉は、半開きになっていた。中から聞こえてくるのは、深いため息。

 

「……」

 

 王女は、ノックもせずに扉を押し開けた。

 

「お兄様」

 

 その声に、王子がびくりと肩を揺らす。

 

「っ……い、今は——」

 

「今がちょうど良いですわ」

 

 にこりともしない表情。それだけで、王子は悟った。

 

 ——見られていたのだ、と。

 

「……見ていたのか」

 

「ええ。最初から最後まで」

 

 王女は、机の前まで進み、腕を組んだ。

 

「ちゃんと言え、と申し上げましたよね?」

 

「言っただろ。言ったじゃないか」

 

「逃げましたわよね?」

 

 即座の指摘だった。

 

「褒めて、言い逃げ。何なんですの、あれは」

 

「……」

 

 王子は、ぐうの音も出ない。

 

「いつもでしたら、令嬢を褒めることなど呼吸と同じでしょうに。ドレス、髪、所作、立ち居振る舞い。すべて、淀みなく言えるのではありませんか?」

 

 王女は、じっと兄を見つめる。

 

「——リーナ相手だと、それができない。理由、分かってますわよね?」

 

「……」

 

「自覚しているからですわ」

 

 王子は、顔を覆いたくなった。

 

「だからって、逃げるのは最低です」

 

「最低とまでは……」

 

「最低です」

 

 容赦がない。

 

「しかも、あの子。顔に出さないでしょう?」

 

 王女の声が、少しだけ和らいだ。

 

「出さないけれど、ちゃんと傷つくし、ちゃんと喜びますのよ。……扱いづらいでしょう? ええ、分かりますわ」

 

 王子は、重く息を吐いた。

 

「……あれで、何も感じてないように見えるのが、怖いんだ」

 

「ええ」

 

 王女は、はっきりと頷いた。


「だからこそ、言葉が必要なんです」

 

 一拍置いて。

 

「逃げた兄を、わたくしは軽蔑しますけれど」

 

「……辛辣だな」

 

「その代わり」

 

 王女は、少しだけ口角を上げた。

 

「次に、きちんと向き合うお兄様は、全力で応援して差し上げますわ」

 

 王子は、視線を落とした。

 

「……分かってる」

 

「分かっていない顔ですわね」

 

「いや」

 

 王子は、ゆっくりと顔を上げる。

 

「……次は、逃げない」

 

 その言葉を、王女は黙って聞いた。

 

「でしたら、よろしいですわ」

 

 満足そうに頷く。

 

「——あの子は、あまりに真っ直ぐですの。ですから、お兄様が誠実でいないと、置いていかれてしまいますわよ?」

 

 そう言い残し、王女は踵を返した。扉が静かに閉まる。

 

 ひとり残された王子は、しばらく天井を見上げてから、深く息を吐いた。

 

「……本当に、逃げ道がないな」

 

 けれど。その表情は少しだけ晴れていた。

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