第75話 新しい家族との顔合わせ
場所は、王宮内でもひときわ落ち着いた佇まいの応接室だった。
窓から差し込む光は柔らかく、室内に重苦しさはない。けれど、リーナは背筋を正したまま、わずかに見を固くしていた。向かいに座るのは、穏やかな笑みを湛えた侯爵夫妻。王子と王女の母方の実家にあたる人々だ。
「まずは、来てくれてありがとう」
静かに切り出したのは、侯爵夫人だった。慈愛に満ちた笑みを絶やさない、気品のある女性だ。
「突然の話で、驚かせてしまったかしら?」
「いえ……」
リーナは小さく首を振った。隣では、ノアが珍しそうに室内を見回している。けれど、不思議と怯えた様子はない。その無邪気さに、リーナは少しだけ救われる思いがした。
「王子殿下と王女殿下から、事情は聞いているよ」
今度は、侯爵が重みのある声で続けた。
「後ろ盾がないまま、この先を歩むのはあまりにも厳しい。君たちが悪いわけではないんだ。ただ……守る立場の大人が必要なのだよ」
その言葉に、リーナの胸がきゅっと締め付けられた。“守ってくれる大人”。そんな存在、これまでの人生で一度も持ったことがなかったから。
「だからね」
侯爵夫人が、優しく身を乗り出した。
「わたくしたちは、あなたたちの“親”として力になりたいと思っているの」
その瞬間、リーナの思考が白く弾けた。
——親。最近耳にした言葉が、脳裏をよぎる。王子との婚約。まだ、はっきりと告げられたわけではない。けれど、かすかに予感していた未来。気づけば、頬がカッと熱くなっていた。
「……っ」
顔が赤くなったのを自覚して、リーナは慌てて視線を落とす。その様子を、王女が横から見て、満足そうに小さく頷いた。
「リーナちゃん、ノアくん」
侯爵夫人が、二人の名前を慈しむように呼ぶ。
「これから、よろしくね」
それから、一言ずつ大切に語りかけるように続けた。
「本当の……心を通わせられる親子に、なりたいと思っているわ」
ノアが、ぱちりと瞬きをした。
「……僕の、母さまになってくれるの?」
その問いは、あまりにまっすぐだった。
「ええ」
侯爵夫人は、迷いなく答える。
「話は聞いているわ。あなたたちが一生懸命頑張ってきたことも、病気のことも」
隣に座る侯爵も、深く、ゆっくりと頷いた。
「私も、そして妻もだ。君たちを、愛しい家族として迎え入れたいと思っている」
「……」
ノアは、何かを確かめるように黙り込んだ。
「少しずつでいいのよ」
侯爵夫人の声は、どこまでも優しかった。
「急がなくていい。ゆっくり慣れていってくれたら、それだけで嬉しいわ」
侯爵も、低く穏やかな声で続けた。
「そうだ。焦る必要はない。君たちは、私と妻の——大事な子どもたちだ」
ノアは、そっとリーナを見上げた。リーナは、言葉が出なかった。胸がいっぱいで、呼吸が少しだけ浅くなる。でも、自分たちを想ってくれる存在がいるという事実に、確かな喜びを感じていた。
「……分からないことや、知りたいことがあれば」
侯爵が、目尻を下げて微笑む。
「遠慮せず聞いていい。我が家では、それが当たり前だからね」
ノアは、小さく、けれどしっかりと頷いた。
「……うん」
その一言で、部屋を包んでいた緊張がやわらかくほどけた。リーナは、気づいた。ここには、自分たちを責める視線も、価値を測るような値踏みも、冷たい条件も、何一つないのだ。
——ただ、真心で迎え入れようとする大人たちがいる。
その幸せな事実が、静かに、深く、胸に染みていった。




