第70話 王女のイタズラ
今日も王女宮では、姦しい小鳥たちが楽しげに噂を囀っていた。そんな耳ざとい小鳥たちの報告を聞きつけて、王女は兄の部屋へと足を向ける。
「何をしているの、お兄様」
不意に背後から声をかけられ、王子はびくりと肩を揺らした。
「噂、聞いたわよ。うちの完璧な侍女が、らしくもないミスをしたんですって?」
王女はそう言いながら、王子の反応を逃すまいと、その横顔を覗き込んだ。
「……ミス?」
「ええ。書類の並びがたった一枚、逆だったそうよ」
王子は一瞬、呆然と沈黙したあと、ぽつりと漏らした。
「それは……問題になるほどのことなのか?」
「まあ、実務上はならないわね」
王女は即答した。
「でも、あのリーナが“気が散る”なんて、珍しいこともあるものだと思って」
そこで一度言葉を切り、ちらりと王子を見る。
「……何か、心当たりでもありました?」
王子は答えない。答えないという選択をしたこと自体が、何よりの雄弁な回答だった。王女はそれを楽しそうに眺める。
王女は、何気ない動作で机に封筒を置いてみせた。王子が吸い寄せられるように中身を確認すると、そこに入っていたのは――「リーナの釣書(身上書)」だった。
釣書の冒頭には赤字で『重要書類』と記されている。
家柄:男爵家長女
特技:掃除、記憶、語学の素養
備考:
魔力量:測定済み(基準値以上)
健康状態:良好
扶養家族:弟一名
『※本人に婚姻の意思を確認する必要あり』
そんな、丁寧な注意書きまで添えられていた。
「どう?」
「……どう、とは」
「先日渡されたどこかの公爵令嬢の釣書より、こちらのほうがずっと魅力的に見えるでしょう?」
王子は答えない。いや、紙面に釘付けになって、目を離せないのだ。
「ねえ」
王女が、悪戯っぽく笑う。
「それを“条件”だけで見るなら、王族の伴侶としては少し物足りないかもしれないわ」
一拍。
「でも、お兄様が今見てるのは、もう“条件”なんてものじゃないでしょう?」
「リーナ……最近は、外国語も熱心に勉強していると聞いたわ。お兄様の差し金でしょう?」
少し間を置いて、王女は可愛らしく首を傾げる。
「ただの補佐をさせたいの? それとも……覚えさせておきたい理由が、ほかに具体的にあるのかしら」
王女はくすりと微笑んだ。
「王族の仕事は、意外と語学が要るのよ。立場が変われば、なおさらね」
王子は項垂れたまま、石像のように動かない。そんな兄の様子を愉快そうに見守りながら、王女はさらに言葉を重ねる。
「……将来を考えるなら、少なくとも三カ国語くらいは身につけておいてほしいところね」
そう言ってから、わざとらしく付け足した。
「それが誰のためになるのかは、あえて言わないけれど」
王子は否定の言葉は出てこない。うつむく王子の耳が、みるみるうちに赤く染まっていく。
「……」
王女は、その様子をじっくりと堪能してから、小さく吐息を漏らした。
「はあ……」
呆れたような、けれどどこか兄を慈しむような、優しい声だった。
「もう、自分の気持ちには気づいているんでしょう?」
王子は答えない。いや、もはや言葉にならない。王女はそれ以上は追及せず、さらりと身を引いた。
「まあ、いいわ」
そう言って、行き場をなくした兄のために話題を切り替えてあげた。
(――もう、心の中では決まっているくせに)
王女は心の中で、ニヤニヤとした笑みをこらえながら。
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