第66話 婚約の話
会議は、いつも通りに始まった。長机を囲む顔ぶれも、議題の流れも、特別なものではない。領地の報告、次期の予算、外交の進捗。王子はそれらに一つずつ頷き、必要なところで短く的確な指示を出していく。問題は、最後だった。
「では、殿下の件ですが」
宰相がそう切り出した瞬間、王子は内心で静かに息を整えた。来る。分かっていた。分かってはいたが——。
「年齢的にも、そろそろ御婚約について具体的に進める時期かと」
机を囲む重鎮たちから、異論は出ない。当然だ、と言わんばかりの顔ばかりだ。
「候補は、すでにいくつか絞ってあります。 家柄、教養、政治的な釣り合いも問題ありません」
次々に名前が挙がる。どれも聞き覚えのある名家。条件としては、これ以上ないほど完璧だった。
王子は、黙って聞いていた。反論する理由はない。拒否する正当な口実も持ち合わせていない。
——なのに、胸の奥が妙にざわついて、落ち着かなかった。
「殿下?」
宰相に呼ばれ、はっと我に返る。
「……続けてくれ」
返した声は、いつも通り冷静だった。少なくとも、周囲にはそう聞こえたはずだ。
「では、まずは数名と非公式に顔合わせを。王女殿下にもご同席いただく形で——」
そこまで聞いて、王子はようやく理解する。これは「相談」ではない。決定に向けた、事務的な確認作業だ。
会議は滞りなく終わった。誰も問題視していない。誰も疑問を持っていない。
王子だけが、席を立つのを一拍遅らせた。廊下に出てから、ようやく深く息を吐く。
——おかしい。婚約の話自体は、とうに予想していた。受け入れる覚悟も、ないわけではない。それなのに、頭に浮かんだのは、条件の揃った令嬢の顔ではなく——
静かに書類を分ける手。問いかけに即座に返ってくる、落ちついた声。そして、同じ机で本を読んでいた、あの夜の柔らかな灯り。王子は、歩みを止めた。
——これは、ただの義務の話じゃない。
今、選ばなければならないのは、差し出された相手の誰かではなく、自分自身の「立ち位置」なのだ。
王子は顔を上げ、前を見据える。逃げる理由は、もうない。
――だが、進む先を間違える気も、さらさらなかった。
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