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家族に売られてたどり着いた先は、王女様の侍女でした。 ――掃除だけは誰にも負けません。  作者: 月城 蓮桜音


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第55話 侍女長の視線

 侍女長は、ふと足を止めた。

 

 王女宮の廊下。人の動線から半歩だけ外れた位置。邪魔にならず、それでいて全体を俯瞰(ふかん)できる場所だ。そこから、侍女たちの動きを静かに追っている。視線の先にいるのは、リーナだった。床を拭く手つき、布の(さば)き方、身体の向き、通りかかる者との距離の取り方。そのどれもが控えめで正確、かつ余計な動きが一切ない。

 

 ——変わらない。測定のあとも。文字を学び始めてからも。周囲の視線が変わり始めても。彼女の仕事ぶりは、いっそ頑ななほどに変わらなかった。

 

 侍女長は、わずかに眉を寄せる。普通、環境に変化があればどこかに「揺れ」が出るものだ。自信、不安、あるいは気負い。だが、リーナにはそれがない。まるで、最初から「心を動かさない」ことが当たり前であるかのようだった。


 リーナが、ふと作業を止める。誰かが通る気配。けれど、彼女は振り返らない。顔も上げない。ただ、布を持った手を一瞬だけ止め、相手が通り過ぎるのを静かに待つ。侍女長は、その一瞬の隙を見逃さなかった。

 

 ——避けている。視線を。存在感を。自分がそこにいるという「事実」そのものを、必要以上に消し去ろうとしている。


 これは、礼儀ではない。教育でもない。王女宮で教え込まれる作法とも違う。もっと幼い頃から、骨の髄まで染み付いているものだ。狭い場所、立場の弱さ、声を上げることすら許されない環境。――出過ぎれば、それが「罰」になる世界。侍女長は、静かに息を吐いた。

 

「……抑え込まれて育った子ね」

 

 呟きは、誰に聞かせるでもない。評価でも、同情でもない。ただの冷徹な事実だ。才能があるから、自分を律しているのではない。そうせざるを得ない環境で、生き抜いてきたのだ。

 

 侍女長は、リーナの手元から視線を外した。今はまだ、声をかける時ではない。指導の段階ですらない。ただ、彼女の本質を知っただけだ。

 

 ——この子は、教え方を間違えてはいけない。

 

 強く出れば、さらに自分を殺す。褒めすぎれば、かえって居場所を失う。急がせれば、きっと壊れてしまう。必要なのは、十分な時間と、息のつける余白、そして自らの意志で選ばせること。

 

 侍女長は、その場を静かに離れた。背中を見せたのは一瞬のこと。けれど、その双眸(そうぼう)に宿る光はもう、ただの管理者のものではなかった。

 

 ——育てる側の、覚悟を帯びた視線だった。

 

 王女宮の中で、また一人。リーナを「一人の人間」として見守る者が、増えた。

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