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家族に売られてたどり着いた先は、王女様の侍女でした。 ――掃除だけは誰にも負けません。  作者: 月城 蓮桜音


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第54話 覚える才能

 翌日も、王女の執務は多忙を極めていた。机の上には書類が山をなし、訪問者の予定もぎっしりと詰まっている。リーナは、いつも通り、王女の斜め後ろに控え、必要があればすぐ動ける距離を保っていた。昨日と、何も変わらない光景だ。

 

 だが、王女のほうは違った。ふとした拍子に、視線がリーナの手元へ向く。そこには、昨日使った紙切れがあった。特別な意味はなく、ただ片づけ忘れただけのものだ。

 

「……文字、覚えている?」

 

 何気ない問いだった。

 

「はい」

 

 即答だった。王女は、少しだけ眉を上げる。

 

「じゃあ、今日は少し違うことをしましょう」

 

 王女は椅子を引き、紙を一枚、リーナの前に置いた。真新しい紙だ。そこに、見慣れない文字が並んでいく。外国語。王女が公的な場で使う、正式な表記体系だった。

 

「全部で、五十文字あるわ」

 

 リーナは、黙って文字に目を向けた。

 

「今日は、書かなくていい。私が読むから、聞いて」

 

 王女は上から順に文字を指し、音を読み上げた。ゆっくりでもなく、特別に丁寧でもない。仕事の合間に、淡々と。一度だけ。繰り返しはない。読み終えると、王女は少し間を置いた。

 

「……書いてみる?」

 

 問いかけに、リーナは一瞬だけ躊躇(ちゅうちょ)した。それから、意を決して紙に向き直る。

 

「……よろしいですか」

 

「ええ」

 

 リーナはペンを取った。手は震えていない。考える間も置かず、静かに、迷いのない線を引いていく。

 

 ——リーナ。

 

 自分の名前を、教えられたばかりの文字で書いた。形は、正確で、書き順も、線の長さも、迷いがない。王女は思わず、息を呑む。

 

「……もう一つ」

 

 声が、わずかに低くなった。

 

「私の名前を」

 

 リーナは、同じように書いた。次は、王子の名。国の正式名称。続けて、簡単な称号。すべて、間違いがない。王女はペン先を見つめたまま、しばらく動かなかった。

 

「……昨夜、練習したの?」

 

 リーナは、正直に答える。

 

「文字の形は、以前に覚えました」

 

「音は?」

 

「今、初めて伺いました」

 

 王女は、ゆっくりと息を吐いた。文字の形を覚え、音を聞き、その二つを瞬時に結びつける。普通なら、何度も反復が必要な作業だ。書いて、消して、間違えて。だが、リーナは一度聞いただけで、すべてを一致させている。

 

 ——才能だ。

 

 けれど、リーナはそれを自覚していない顔だった。その時、部屋の外で気配がした。侍女長だ。用件を終え、去り際に、机の上の紙に目を留める。

 

「……これは」

 

 王女は、紙を指で押さえた。

 

「今、初めて教えた文字よ」

 

 侍女長は、リーナを見た。その視線は、評価というより、品定めのような観察だった。

 

「……教え方次第ですね」

 

 それだけ言って、彼女は去っていった。リーナは、その言葉の意味を測りかねていたが、ただ、言われた通りにやっただけだ。覚えるのは、苦ではない。それは、ずっと前から同じだった。

 

 王女は紙を片づけながら、何も言わない。だが、その沈黙には、確かな手応えが宿っていた。


 ——この子は、時間を与えれば、どこまでも伸びる。


 その可能性という名の熱が、静かに、しかしはっきりと、部屋の中に満ちていた。

いつもお読みくださり、ありがとうございます!

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