第51話 選ぶ席
知らせは、王女から直接伝えられた。
呼び出されたのは、いつもの執務室ではない。応接間の奥にある、小さな机と椅子だけが置かれた部屋だ。人目はなく、かといって閉ざされすぎてもいない。「話す」ためだけに用意されたようなその場で、リーナは一礼し、立ったまま主の言葉を待った。
「あなたの実家からの要請は、正式に退けられたわ」
王女の声は、どこまでも淡々としていた。リーナは、すぐにはその意味を理解できなかった。「戻れ」とも、「戻るな」とも命じられていない。ただ、実家との繋がりが公に断たれたのだ。
「……では」
喉の奥で、迷子になった言葉を探す。
「私は、戻らなくても……いいのでしょうか」
「ええ」
王女は、静かに深く頷いた。
「戻る義務は、もうないわ」
その言葉で初めて、彼女の人生に明確な線が引かれた。義務はない。命令もない。残っているのは——自分自身の「選択」だけだ。
「あなたが、どうしたいかを決めなさい」
王女は、突き放すのではなく、諭すように言った。
「ここに残ることもできる。弟さんを引き取ることも、制度上は可能よ。あなたの今の稼ぎなら、十分に現実的な話だわ」
『現実的』。その言葉が、胸の奥に重く落ちる。できる。けれど、それは「しなければならないこと」ではないのだ。
「急がなくていいわ」
王女は言葉を継いだ。
「今すぐ答えを出さなくても、誰も困らない。——あなたが選ぶまで、私は待つわ」
それで話は終わった。
部屋を出たあと、リーナは静まり返った廊下を歩いた。足取りはいつも通り、乱れてはいない。けれど、胸の内側だけが、どうしようもなく落ち着かなかった。
――選ぶ。それは、その先の責任をすべて自分で引き受けるということだ。戻らないと決めれば、もう帰る場所はなくなる。弟を引き取れば、今度は自分が守る立場になる。考えれば考えるほど、足が止まりそうになった。
「……また、止まってるな」
聞き覚えのある声に、弾かれたように顔を上げる。そこには王子が立っていた。偶然にしては距離が近く、けれど踏み込みすぎてもいない、絶妙な間隔だ。
「申し訳ありません」
「だから、謝らなくていいって言っただろ」
王子はそう言ってから、少しだけ間を置いた。
「今日は……顔が違う」
問い詰めるような調子ではない。ただ、見つけた口実を口にした。そんな言い方だった。
「……少し、考えることが増えました」
リーナが正直に答えると、王子は短く「そうか」とだけ言って、彼女の横に並んだ。真正面でも、背後でもない。隣だ。
「答え、もう出たか?」
初めて踏み込んできたその問いに、リーナは小さく首を振った。
「まだ、です」
「そうか」
王子は、なぜか納得したように息を吐いた。
「急ぐと、だいたい後悔する」
それは、どこか自身の経験談のようにも聞こえた。
「……殿下は、選ぶのが得意ですか?」
思わず口をついて出た問いに、王子は自嘲気味に少しだけ笑った。
「苦手だ」
即答だった。
「だから、時間を取ることにしている」
それだけ言って、彼は再び歩き出す。
「答えが出るまで、立ち止まっていい。——そのくらいの余裕は、ここにはある」
振り返りはしない。けれど、置き去りにもしていない。リーナはその広い背中を見送りながら、胸の奥がほんの少しだけ軽くなるのを感じた。
自分が座るべき席は、確かにそこにある。
――そして、そこは決して、孤独な場所ではなかった。
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