第50話 終わった要請
決定は、静かに下された。
王女宮での執務の合間、簡潔な報告として差し出された一枚の書類。そこには余計な感情も、推測も含まれていない。記されているのは、ただ無機質な事実だけだ。
男爵家からの要請に対する、調査結果を踏まえた判断。そして、今後の対応。王女は一通り目を通すと、確認の印を記し、静かに書類を閉じた。
——要請は、正式に退けられた。
奉公契約に不備はなく、呼び戻すための正当な理由も認められない。今後、同様の要請があっても受理はしない。ただ、それだけのこととして処理された。
誰かが罰せられたわけでも、誰かが責められたわけでもない。ただ、淡々と制度としての判断が示されたのだ。
「以上です……」
王女は短くそれだけを告げ、次の書類へと視線を移した。この件はここで終わりだという、無言の合図だった。
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その頃、リーナはいつも通りに仕事をこなしていた。廊下を掃き、道具を整え、次の場所へと足を運ぶ。王女宮の空気は今日も変わらず、静かで、整っている。
——呼び戻されない。
その状態がずっと続いている。それだけで、十分に奇妙な感覚だった。催促の声もなければ、使いの者が来る気配もない。あんなに騒がしかった実家からの音沙汰も、ぷつりと途絶えている。「戻れ」と言われない代わりに、「戻らなくていい」と言われたわけでもない。ただ、判断を迫られない時間だけが、静かに積み重なっていく。
夜、部屋に戻ったリーナは、寝台の端にそっと腰を下ろした。灯りを落とし、膝の上にぽつんと手を置く。
——戻る。
その言葉は、今も頭の片隅にこびりついている。弟のことも、実家の屋敷のことも、忘れたわけではない。けれど、一度考え始めてしまえば、すべてを決めてしまいそうで怖かった。
だから、今は考えない。リーナはゆっくりと深く息を吐いた。何かが終わったような予感がする。けれど、それが何なのかはまだ分からない。
ただ一つ、確かなことがあった。
——彼女の知らないところで、世界はもう先へと進んでいる。
その事実をまだ知らないまま、リーナはそっと眠りについた。
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