第46話 提示された席
呼ばれた理由は、問わなかった。ただ作業の手を止め、声のした方へと足を向ける。それだけのことだ。
王女宮の一室。通い慣れた場所のはずだが、今日は肌に触れる空気がわずかに張り詰めて感じられた。扉の前で一礼し、入室する。
「失礼いたします」
王女は机に向かっていた。書類は整然と並べられている。叱責の場ではない、とリーナは直感した。
「そこに立ったままでいいわ」
促されるまま、リーナはその場に留まる。距離はいつも通り。
「あなたの実家から、連絡が来たの」
淡々とした声だった。リーナはすぐに察した。表情は変えず、驚きも見せない。
「戻るように、でしょうか」
確認するように、静かに問い返す。
「ええ」
それ以上の説明はなかった。わずかな沈黙。命令が続くのを、リーナは待った。だが、王女は言葉を継ぐ。
「——あなたは、ここに留まることを選んでいい」
その言葉に、強い意志や慈しみは混じっていない。ただ、揺るがない事実として、そこに置かれた。リーナはすぐに言葉を返せなかった。戻るか、戻らないか。「選ぶ」という発想自体が、これまでの自分にはなかったからだ。
「今すぐ答えなくていいわ」
王女は、リーナの沈黙を急かさない。
「これは命令ではないから」
それだけ言って、机の上の書類に視線を戻した。話は終わりだ、という合図だった。リーナは深く一礼する。
「……承知いたしました」
口から言葉は出たものの、その意味までは飲み込めていない。部屋を出て、廊下を歩く。足取りはいつもと同じだ。持ち場に戻り、雑巾を手に取って、視線を落とす。
——選んでいい。
その言葉だけが、胸の奥に澱のように残っている。戻らなくていいと言われたわけではない。ここにいろと命じられたわけでもない。
ただ、ひとつの席が用意された。リーナは、まだそこには座らない。だが、その席が見える位置に立たされたことだけは、確かだった。
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