第42話 呼び戻しの書状
それは、朝の報告に紛れて届いた。王女宮の執務机に置かれた一通の書状。封蝋は、見慣れた男爵家のものだった。私は、その表書きに視線を落としただけで、内容を察してしまう。
——来た。
封を切り、中に目を走らせる。文面は丁寧だった。礼を尽くし、言葉を選び、非礼にならないよう細心の注意を払って整えられている。だが、そこに綴られているのは呆れるほど単純なことだった。「屋敷の管理が立ち行かない」「使用人を増やしたが、掃除が追いつかない」「家政を把握している者が必要だ」
だから——戻してほしい。魔法に関する記述は、一文字たりともない。異変についての説明もない。ただ「家政」の一言で、すべてを塗りつぶしている。私は、その書状を静かに机へ戻した。
「却下」
考えるより先に、言葉が唇を突いて出た。傍らに控えていた侍女長が、驚いたように視線を上げる。
「即答、ですか」
「ええ。理由になっていないわ」
家政が回らない? 掃除が追いつかない?
それが、王女付き侍女を呼び戻す理由になるはずがない。——ましてや、彼女をなんだと思っているのか。
「返事は、こちらで用意するわ」
「承知いたしました」
その時、扉がノックもなく開いた。
「来たって? ああ、それか」
兄だった。私の手元にある書状を見るなり、事情を察したらしい。近づいてきて内容を一読する。その途中で、兄の眉が不快そうに寄った。
「……ふざけてるな」
低く冷めた声。冗談を言う時の調子ではなかった。
「掃除が追いつかないから、戻せ、だと?」
兄は、鼻で笑った。
「じゃあ、使用人を十人増やせば済む話だろう」
私は、静かに頷く。
「ええ。だから却下よ」
兄は、突き放すように書状を机に戻した。
「魔法の話は?」
「一切、触れられていないわ」
「だろうな」
兄の表情が、はっきりと不機嫌なものに変わる。
「自分たちに都合のいい部分だけを切り取って、『以前はなぜ回っていたのか』という根本の理由を見ようとしない」
それが、あの家のやり方だ。兄は、忌々しげに腕を組む。
「……戻したら、どうなると思う」
問いではない。結末を確かめるための確認だ。
「同じことの繰り返しよ」
私は、迷わず即答した。
「彼女が戻れば、一時的に屋敷は整うでしょう。でも、それは根本的な解決じゃない。ただの依存よ」
兄は、短く息を吐いた。
「だから、二度と手放さない、と言ったわけか」
「ええ」
私の心に迷いはない。兄はしばらく沈黙を守っていたが、やがて重々しく口を開いた。
「この状況に腹を立てているのは、俺やお前だけじゃないぞ」
「知ってるわ」
私は再び書状を取り上げ、封筒の中へと押し戻す。
「これは、もう家だけの問題じゃない」
家政の問題でも、掃除の話でもない。――一人の人間を、便利な道具としてしか見ず、当然のように呼び戻そうとする無礼な行為。
「返事は、こちらから出すわ」
「……強めでいいか?」
兄の問いに、私は深く頷いた。
「必要な分だけ、はっきりと」
書状は、机の端に置かれたままだ。男爵家は、まだ気づいていない。光が戻らない真の理由を。だが、この一通の書状によって、すべては「家庭内の問題」という枠を飛び越えた。
――これはもう、私情で済ませていい話ではないのだ。
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