第41話 戻らない光
王都は、安定していた。季節の変わり目にもかかわらず、空気は澄み渡り、通りに妙な淀みはない。香を焚いて空気を清める必要も、換気のために窓を開け放つ手間もなかった。人が集まる場所ほど、むしろ呼吸は楽に感じられた。
王女宮も同じだ。朝の回廊、午後の応接間、夜の執務室。どこに身を置いていても、空気が素直に流れていく。私は、無意識のうちに深く息を吸い込んでいた。
——問題は起きていない。その事実を、確かめるように。侍女長からの報告も、簡潔なものだった。
「王女宮内、異常ありません」
「噂は?」
「これといった動きはありません」
私は静かに頷いた。守れている。今は、まだ。だがその一方で——市中では、ある「変化」が静かに広がり始めていた。
「最近、男爵家の屋敷が荒れているらしい」
「荒れている、とは?」
「単なる汚れというより……空気がひどく、重いのだそうだ」
それは、確たる噂ではない。酒場の片隅。商人の立ち話。使用人同士の囁き。誰も、大きな声で口にはしない。だが、伝え聞く内容はどれも似通っていた。掃除をしても、元には戻らない。人を増やしても、改善しない。以前は、こんなことはなかった。——以前は。その言葉だけが、暗い響きを持って繰り返される。
私は、報告書を閉じた。そこに、男爵家の名は記されていない。だが、話は嫌でも耳に入る。王都は安定している。王女宮も、揺らいでいない。では、なぜ——あの屋敷だけが。答えは、すでに出ていた。何かが、消えたのだ。人ではない。道具でもない。手順でもない。もっと静かで、もっと気づかれにくい、大切な何か。
私は、ふと応接間に目をやった。窓辺では、侍女がいつものように作業をしている。差し込む光が、床に淡く反射していた。その光景に、一点の違和感もない。
——戻らない。一度失われたものは、二度と同じ形では戻らないのだ。王都に残った安定。王女宮に満ちる静けさ。
そして、荒れていく屋敷の噂。
それらは、すべて同じ事実を指していた。——「祓い」は、消えたのだ。誰かが奪ったわけではない。誰かが止めたわけでもない。ただ、そこからいなくなった。
私は、静かに目を伏せた。因果は、すでに揃っている。あとは——いつ、誰が、それを言葉にするかだけだ。光は、戻らない。だが、光が失われた理由は、必ず表に引きずり出される。
――それが、次に動くための合図だった。
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