第34話 判定後の静けさ
測定が終わっても、王女宮の日常は変わらなかった。朝には朝の仕事があり、廊下はいつも通りに磨き上げられ、指示は決まった経路で伝えられる。鐘の音も、風の通りも、昨日と同じだ。——少なくとも、表面上はそう見える。
私は執務机に向かいながら、意識的に周囲を観察していた。不穏な噂が流れていないか。誰かが、余計な視線を向けていないか。……問題はない。
測定結果は、私の判断で伏せられている。知るべき者だけが把握し、知る必要のない者には届かない。王女宮は、その程度の統制が効く場所だ。
リーナの仕事も、変わらない。朝の準備。掃除。片付け。応接間の整え。その所作は、測定前と寸分違わない。魔法を使う様子もない。測定を受けたからといって、意識が変わったようには見えなかった。
——それでいい。私は書類から目を上げ、部屋の隅に控える侍女長を見る。姿勢はいつも通り。だが、視線の置き方が違う。評価ではない。監視でもない。——確認だ。彼女もまた、「何も変わっていない」ことを確かめている。
「何か、変わりはありませんか」
私が問うと、侍女長は一拍置いてから答えた。
「特には。ただ……」
言葉を選ぶ。
「測定官が、いささか過敏になっております」
「過敏?」
「必要以上に、見ないように努めているようです」
私は、小さく息を吐いた。過剰な関心は、守ることにはならない。見すぎることは、触れることと同じだ。
「通常通りで構わないと、伝えて」
「承知しました」
昼下がり、私は応接間を通りかかった。窓辺を整えているリーナの背中が見える。外の光が差し込み、床に淡く反射していた。
——息が、しやすい。
それは、測定前から変わらない感覚だ。ただ、今はその理由を知っている。私は足を止めたが、声はかけなかった。その必要がないと、判断したからだ。リーナは、こちらを振り返らない。けれど、布巾を動かす手が、ほんの一瞬だけ止まった。
……聞いている。視線を向けず、音だけで人の気配を捉えている。それは、教えた覚えのない癖だった。
私は、そのまま通り過ぎた。声をかけなかったことに、不安はない。変わっていない。何も。それが、どれほど難しいことか。
測定を受ければ、人は変わる。周囲も変わる。勝手な期待を背負わせ、役割を与え、未来を決めたがる。だが、今の彼女は、昨日と同じ場所で、同じ仕事に勤しんでいる。
——それを、私が守っている。
執務室に戻り、椅子に腰を下ろす。胸の奥に、仄かな温かさが宿った。これは安堵だ。判断は、間違っていなかった。今は、静かでいい。今は、何も変わらなくていい。光は、見えた。
だが、照らす必要は、まだない。私は、確信していた。——今は、守れている。この静けさを。この、「何も変わっていない時間」を。
――それこそが、今の私にできる、最善だった。




