第32話 考える時間
その日は、いつもより作業が少なかった。理由は分からない。命じられた量が少なかった、というだけだ。王女が決めたことなら、それでいい。私は、与えられた仕事を一つずつ終え、道具を整え、最後に手を洗った。
——考える時間。そう言われたのは、初めてだった。「考えていい」と言われたのではない。考えてもいい、と言われたのだ。
私は自室に戻り、椅子に腰を下ろした。小さな部屋。最低限の家具。落ち着く。ここでは、何も求められない。だから、息がしやすい。
魔力量の測定。その言葉を、頭の中で繰り返す。嫌な感じはしない。ただ、少し重い。胸の奥に、硬い塊があるような感覚だ。
——使ってはいけません。
母の声が、はっきりと蘇る。優しい声だった。叱る声ではない。理由も、たくさん説明してくれた。難しい話だったけれど、当時の私は理解したつもりでいた。
目立つから。危ないから。測られたら、引き離されるから。だから、使わない。だから、抑える。それが、約束だった。
私は指先を見る。掃除の時、無意識に力を入れすぎないようにする癖。魔法を使うよりも先に、体を動かす癖。空気が揺れたら、止める癖。……すべて癖だ。直そうと思ったことは、ない。必要だったから、そうしてきただけだ。
実家には、仕事があった。やることがあった。私がいなければ、回らないことが、確かにあった。だから、測る必要はなかった。学ぶ必要もなかった。選ぶ必要もなかった。それで、十分だった。
……十分だった、はずだ。私は、膝の上で手を組む。王女の言葉を思い出す。
「あなたが、決めていい」
決める。選ぶ。それは、少し怖い。間違えたら、取り返しがつかない気がする。今まで、間違えないために、選ばないで生きてきた。与えられた場所で、与えられた仕事をしていれば、それでよかったのだ。
もし、測定して。もし、何かが見つかって。もし、それが“使える”ものだったら。私は、どうすればいいのだろう。母との約束を、破ることになる。でも、王女は、約束を破れとは言っていない。
——選んでいい、と言っただけだ。
私は目を閉じる。王女宮の廊下。掃除の終わった床。息のしやすい部屋。誰にも叱られない場所。理由を説明しなくていい時間。
ここでは、私は怒られない。役に立たなくても殴られないし、黙っていても、追い出されない。
……変だ。それだけで、胸が少し温かくなるのは。私は、ゆっくりと息を吸った。魔法は使わない。ただ、呼吸を整える。それだけで、空気が凪いでいく。昔から、そうだった。
測定を受けるかどうか。まだ、答えは出ない。けれど——もし、使ってもいい世界があるのだとしたら。
その考えが、頭から離れない。怖い。けれど、嫌ではない。私は、自分がそう感じていることに、少しだけ驚いた。考える時間は、まだ残っている。
私は、椅子から立ち上がり、明日の準備を始めた。いつも通りの手順。いつも通りの動き。けれど、心の奥に、小さな違いが生まれている。
選ばない、という選択しか知らなかった私に、初めて、「選ぶかもしれない」という余地ができた。答えは、まだ先だ。
でも——考えている、この時間そのものが、もう、以前の私とは違っていた。




