第30話 選択肢を示す
その日は、特別な呼び出しではなかった。午前の仕事を終え、廊下を渡る途中。いつも通りの時間。いつも通りの動線。リーナは、いつも通り、少し後ろを歩いている。王女と侍女。その距離は、昨日までと変わらない。私は、不意に足を止めた。
「……リーナ」
呼ばれることを予期していなかったのだろう。彼女は呼吸を整えるように一歩下がり、居住まいを正した。
「はい」
返事は、短い。過不足がない。私は彼女をその場に立たせたまま、言葉を選んだ。ここで間違えれば、すべてが台無しになる。問い詰めてもいけない。先回りしてもいけない。
「話があるの」
それだけを告げる。場所を応接間に移した。昨日までと同じ部屋。けれど、空気は違う。整っているが、張り詰めてはいない。私は、椅子を勧めた。リーナは一瞬だけ迷うような素振りを見せ、それから静かに腰を下ろした。私は、向かいには座らなかった。隣でもない。正面でもない。——斜め。お互いの視線が直接ぶつからない、逃げ場のある位置だ。
「いきなりで、ごめんなさい」
言葉にすると、少しだけ胸が軽くなる。
「確認じゃないわ。叱るつもりもない」
リーナは、黙って聞いている。否定もしない。期待もしない。いつもの、待つ姿勢。私は、息を吸った。
「……魔力量の測定を、受けるかどうか」
そこで、一拍置く。
「あなたが、決めていい」
言い切った。命令ではない。提案だ。私は彼女の顔を見なかった。反応を探らない。それも、圧になるからだ。沈黙が、落ちる。長い、とは感じなかった。ただ、重い。リーナの中で、何かが動いているのが分かる。彼女は、すぐに首を振らなかった。即答もしなかった。
「……測定は」
ようやく、声が出る。
「義務、ではないのですか」
私は、首を横に振った。
「本来は、親が判断すべきことよ。でも、あなたは今、王女付きの侍女」
そこで、初めて彼女を見る。
「あなた自身の選択を、尊重する立場に私はある」
リーナは、視線を落とした。指先が、膝の上で組まれる。あの癖だ。考える時の、癖。
「……受けた場合」
声が、わずかに硬い。
「何かが、変わりますか」
私は、すぐには答えなかった。変わる。確実に。周囲の見方も、立場も、可能性も。だからこそ、嘘はつけない。
「変わるわ。結果が出れば、周囲の見方も、立場も……そう、あなたの『価値』さえも」
そこで、私は言葉を止めた。
「それがあなたにとって幸せかどうかは、誰にも言い切れないの」
リーナが、顔を上げる。
「結果が出れば、選択肢が増える。出なければ……」
私は、少しだけ言葉を選んだ。
「今と、同じ」
それは、脅しではない。現実だ。
リーナは、しばらく考え込んでいた。唇が、かすかに動く。けれど、言葉にはならない。
「……すぐに、答えなくていい」
私は、そう言って立ち上がった。
「考える時間を、持って。誰にも、急かさせはしないわ」
扉へ向かう前に、振り返る。
「選ばない、という選択もある。それも、あなたの権利よ」
リーナは、ゆっくりと頷いた。
「……考えます」
それだけだった。拒否でも、承諾でもない。けれど、それで十分だ。私は、それ以上を求めない。
廊下に出る。歩きながら、胸の奥を確かめる。怒りは、まだ制御できている。正義も、振りかざしていない。ただ、一つだけ、確かな手応えがあった。
——初めて、彼女は「選ぶ席」に座った。結果がどうであれ、その事実だけは、もう消えない。私は、歩き続けた。
――次は、彼女が考える番だ。




