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むつの花  作者: 野口 ゆき
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四つの花 『七.簪』

慶応(けいおう)三年(1867年) 文月(ふみつき)(7月)


『長岡藩第十一代藩主』牧野忠恭(まきのただゆき)公がご養子の忠訓(ただくに)公に家督を譲り、隠居された。


牧野忠恭公は、万延(まんえん)元年(1860年)に『奏者番(そうじゃばん)(取次役)』、文久(ぶんきゅう)二年(1862年)に『寺社奉行加役(じしゃぶぎょうかやく)』『京都所司代(きょうとしょしだい)』、文久三年(1863年)には『老中(ろうじゅう)』に就任された。

忠恭公は中士だった継兄さんを登用し、『公用人(こうようにん)(幕府関係の用務を取扱う役)』として重用。

そして藩を立て直す為、『藩政改革』を行った。

開明的で、継兄さんの良き理解者だった。

その忠恭公の義理の父君であらせられた『長岡藩第十代藩主』牧野忠雅(まきのただまさ)公の頃、このような事件が起きた。


天保(てんぽう)十一年(1840年)、幕府から突然『川越移封(かわごえいほう)』の命が下った。

長岡藩は川越藩(埼玉)へ、川越藩は庄内(しょうない)藩(山形)へ、庄内藩は長岡藩へ。

所謂、『三方領地替(さんぽうりょうちが)え』である。

これは、『老中』水野忠邦(みずのただくに)様と『川越藩主』松平斉典(まつだいらなりつね)公が結託して決まった事だった。

当時、財政難だった川越藩が実り豊かな庄内藩へ移封する為に画策されたものだった。

一説では、牧野忠雅公が水野忠邦様に嫌われた為とも言われている。

結局、庄内藩の猛抗議(『天保義民事件』)と、当時の『将軍』徳川家斉(とくがわいえなり)公の死去により沙汰止みとなった。

天保十二年(1841年)七月十二日、長岡に『移封取り止め』の通知が来た。

十五日、沙汰止みとなった事を祝って、長岡藩ではその合図を打ち上げた。

それが、長岡の花火の始まりと言われている。

その後、花火は祭礼などで打ち上げられるようになった。

しかし天保十三年七月に幕府は『花火禁止令』を出し、長岡藩もそれに倣って禁令を出した。

ただ、やはり完全に禁止する事は出来ず、夜になると祭礼の為の花火が時々上げられる。

私は、その花火を見るのが大好きだ。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


朝、一年ぶりに倉沢清八郎(くらさわせいはちろう)様が江戸から一時帰国された事を聞いた。

私は朝からソワソワしながら、清八郎様がいらっしゃる事を

『今か今か』

と待ちわびていた。

紅を差し、髪を整え、つげ櫛を挿し、薄水色の着物を着て、桔梗模様の薄い桜色の帯を付け、私は清八郎様を待ち続けた。

そして、その日の夕方、清八郎様は私の家を訪ねて来てくれた。

久しぶりに会った清八郎様は少し大人びて見え、とても精悍だった。

始め、私は恥ずかしくて一言も話す事が出来なかった。

しかし私に向ける清八郎様の笑顔を見て、その気持ちは和らいだ。


『ああ・・・。

清八郎様は変わっていない・・・』


そう、思った。


清八郎様は、あの『枝垂れ桜の木』の下へ行こうと私を誘ってくれた。

勿論、私は二つ返事で承諾した。


しばらく歩いて、私達はあの『思い出の場所』に着いた。

勿論、其処には桜色の『桜』は咲いていなかったけれど、もう少しで終わりそうだったけれど、代わりに新緑色の『葉桜』が広がっていた。

その『桜』の木の下で、清八郎様は頬を少し赤らめながら懐から青竹色の帛紗(ふくさ)を取り出した。

帛紗を広げると、その中から一つの(かんざし)が現れた。

清八郎様は少し下を向き、照れながら言った。

「これを・・・」 

私は、帛紗の中の簪を見た。

その簪には、『桜』の花が彫られた桜色の珊瑚が三つ付いていた。

『桜』の花の周りには、真っ白い真珠が幾つか散りばめられていた。

私は目を見開き、清八郎様の方を向いて聞いた。

「これは・・・?」

清八郎様は、微笑みながら答えてくれた。

「江戸で、買って来ました。

ゆきさんに、似合うと思って・・・」

私は再び簪に目を落とし、その簪を眺めた。

そして、少し戸惑いながら言った。

「こんな・・・高価なもの・・・」

珊瑚も真珠も、とても高価だ。

以前さよちゃんに似たような物を見せてもらった事があるけれど、

『私には、一生手に入らない代物だ』

と、その時思った。

裕福な『葵屋(あおいや)』の娘さよちゃんの家だからこそ、買えるのだ。

私の家では、絶対に買えない。

清八郎様の家でも、同様なはずだ。

だから清八郎様がそれを私に下さると言う事は、相当のご苦労をされたと言う事。

そんな高価なものを、私などが頂く訳にはいかない。

私は清八郎様の目をじっと見ながら、力強く言った。

「これを頂く訳には、参りません!」

私の言葉に清八郎様は一瞬驚いた顔をしたけれど、直ぐに真面目な顔をして言った。

「ゆきさんの為に、買って来たのです。

ゆきさんがこの簪を挿して下さらないのなら、捨てるだけです」

私は驚き、叫んだ。

「え!?

捨てるなんて!!

それは、勿体無いです!!」

それに対して清八郎様は、間髪を容れず言った。

「では、貰って下さるのですか?」

「・・・」

私はどうすれば良いのか分からず、黙ってしまった。

すると清八郎様は何も言えなくなった私の髪に、ゆっくりとその簪を挿してくれた。

清八郎様の胸が、私の目の前にある。

清八郎様の(ひわ)色(強い黄緑色)の袖がゆらゆら揺れて、私の頬を少し掠めた。

心臓の音が聞こえる位、目の前に清八郎様の胸があり、私は頭が真っ白になった。

きっと、私の頬も珊瑚と同じ桜色だ。

私に簪を挿した清八郎様は私から少し離れ、私をじっと見た。

そして、優しい声で呟くように言った。

「良く・・・似合っていますよ・・・」

私は少し下唇を噛みながら、下を向きつつ答えた。

「・・・有難う・・・ございます。

一生・・・大事にします・・・」

私は清八郎様の顔を、上目遣いで見ながら言った。

すると清八郎様はにっこりと笑い、本当に嬉しそうに答えた。

「そう言って頂けると、嬉しいです!!」

清八郎様の笑顔がとても可愛らしくて、私は益々顔が真っ赤になった。

照れ隠しの為、私はずっと下を向きながら清八郎様に聞いた。

「あの・・・。

簪の『お返し』を・・・どうすれば・・・宜しいですか?」

「『お返し』?」

清八郎様は、少し不思議そうな声で言った。

私は、か細い声で答えた。

「はい・・・」

清八郎様は少し考え、微笑みながら答えた。

「『お返し』なんて、いりませんよ」

「え!?」

私は、顔を上げた。

清八郎様は、続けた。

「これは、ゆきさんへの私からの『お返し』なのですから・・・」

「私への・・・『お返し』・・・?」

「はい」

私には、一切覚えがなかった。

私は腕を組み、考えた。

本当に、覚えがなかった。

そんな私を見て、清八郎様はくすくす笑いながら懐から懐紙を取り出した。

きっちりと折られたその懐紙の中には、去年の、あの時の『花びら』が一片(ひとひら)入っていた。

「あ・・・」

私は、驚いた。

私の驚いた顔を見て、清八郎様は優しい声で言った。

「この『花びら』を見る度に、ゆきさんの事を思い出しました・・・。

江戸では大変な事もありましたが、この『花びら』を見ると、とても心が安らぎました。

この『花びら』に、私は何度も助けられました・・・。

ずっと、ゆきさんと一緒にいるようで・・・寂しい思いをしないで済みました・・・。

簪は私を救ってくれた、ゆきさんへの『お返し』です」

私はその言葉を聞き、自分の髪に挿さっている簪に急いで手を添えた。

「『花びら』の『お返し』としては、この簪は高価過ぎます!!」

私はそう言いながら、簪を外そうとした。

すると清八郎様は簪を外そうとする私の手を軽く握り、微笑みながら答えた。

「この簪では『お返し』出来ない程のものを、私はこの『花びら』から頂きました・・・。

だからこの簪は、どうか、ゆきさんが持っていて下さい・・・」

私を見つめるその目と、自分の手に触れる温かい清八郎様の手で、私の心臓は大きく鼓動した。

私は恥ずかしくて恥ずかしくて、ぱっと簪から手を離した。

そして、胸の前で清八郎様の手が触れた手を強く握った。

目の前にある清八郎様の優しい顔をまともに見る事が出来ず、私は真っ赤な顔をして再び下を向いた。


私は恥ずかしさを紛らわす為、話題を変えようと考えを巡らした。

普通に話せる話題を、必死に探した。

そして、私は取り留めの無い話題をやっとの事で思いついた。

私は、少しどもりながら言った。

「あああああ・・・・あの・・・。

え・・・江戸は・・・。

い・・・如何でした・・・?」

清八郎様はくすっと微笑み、答えてくれた。

「とても、勉強になりました。

長岡では知り得ない情報が、沢山ありました。

外国の事、日本の事、民の事、長岡の事・・・。

三年前に私が江戸に行っていた時よりも、様々なものが変化しているようでした。

特に・・・文化が、変わっているようでした」

「文化・・・。

どのように、変わっていたのですか?」

「西洋文化が、急速に日本に浸透しているようでした。

焼き物、着物の柄、髪型、食べ物、そして『浮世絵(うきよえ)』など・・・。

全てが、変わりつつあるようでした。

しかし外国と日本の文化が反発しているのではなく、それぞれの素晴らしい文化と上手く融合しているように私は感じました。

かと言って日本の伝統を蔑ろにしているのではなく、『残すべきものは残そう』と努力しているようにも見えました。

たとえこれ以上外国の文化が入って来ようとも、私は日本は外国に飲み込まれる事はないと思いました」

「日本は、外国に・・・飲み込まれない・・・」

「はい。

『残そう』

『残したい』

と思う人が一人でもいれば、文化も伝統も残ります。

そういった人達が、日本には沢山います。

だから、大丈夫です!

日本は、大丈夫です!!」

「・・・」

「ああ・・・。

それと、私はオランダ留学へ行った事があると言う人とお話しをする機会がありました」

「オランダ留学・・・」

「はい。

その人が言うには、

『オランダは何もかもが日本と違い、見た事もない大きな鉄の塊が走っていたり、食べた事もないものがあったりと、驚くべき事ばかりであった』

と」

「へえ・・・」

「『実際に外国へ行き、日本の素晴らしさを実感した。

確かに今は、日本は外国ほど発展はしていないかもしれない。

けれど数年後には、必ず日本は外国に追いつく。

その技術を、日本は持っている』

と、彼は言っていました」

「日本は、外国に、追いつく・・・」

清八郎様は深く頷き、続けた。

「そして、彼は言いました。


『日本は、美しい・・・』


『外から日本を見る事によって、自分が生きているこの日本と言う国が、どれほど素晴らしく、恵まれているのかを実感した・・・』


『日本の中だけでは知り得なかった日本の事を、知る事が出来た。

日本は素晴らしい。

日本は素晴らしい』


と、何度も何度も言っていました」


そう言えば以前、会津(あいづ)藩士の松江久兵衛(まつえきゅうべえ)様が横浜での話をして下さった時に、同じような事を言っていらした・・・。


『日本の中では分からなかった日本の良さが、外国人の目を通して気付く事が出来た』


きっとオランダ留学したその人は外国へ行って、日本人の目を通して、日本の良さに気付く事が出来たのだ。


日本にいては気付かない、日本の良さを・・・。


清八郎様は、続けた。

「今度、私は横浜へ行くつもりです。

其処で外国人に会って話を聞き、河井様のおっしゃった事を実践しようと思います。

外国の良さ悪さ、日本の良さ悪さを知る。

そして、いずれメリケンへ行って、様々な文化や技術を取り入れ、日本人としての誇りを持って帰り、この日本を発展させます!!」

清八郎様は、自信を持って言った。

その時、少し薄暗くなった空に向かって

『ヒューーー』

と言う音が聞こえて来た。

それは、花火が上がる音だった。

私達は、花火が上がる方向を見た。


                        『ヒューーー!!!』


また、花火が上がった。

そして、薄暗い空に白い花が咲いた。


           『バッ!!!』


清八郎様は、その花火を懐かしそうに眺めながら呟いた。

「『長岡花火』は江戸ほど派手ではないし豪華ではないけれど、眺めているだけで、心が温かく、懐かしくなります。

やはり、故郷が一番ですね・・・」

私も、花火を眺めながら答えた。

「はい・・・」

私達二人は、しばらく花火を眺めた。

そして、清八郎様が突然叫んだ。

「一句、出来ました!!」

私はその言葉に、以前ほど嫌な顔をしなかった。

何故なら以前、清八郎様は『掛け言葉』と言う高度な技を私に披露した事があったからだ。

清八郎様の俳句が江戸へ行ってどれほど洗練されたのか、私はとても興味があった。

美意識の高い江戸の人々に囲まれて、上達しない訳がないと思った。

私は少し期待しながら、その一句を待った。


清八郎様は一呼吸置き、自信満々に俳句を詠んだ。


『長岡の 花火上がると なつかしや』


「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」


私は、沈黙した。


そして、思った。


『どうして、以前より下手になっているのだろうか?

あの『掛け言葉』は、奇跡だったのだろうか?

あの時の成長の片鱗は、幻だったのだろうか?


『長岡の花火が上がって、それを見て懐かしいと思った』


そんなの、見たまま、そのままの感想ではないか?

俳句に関しては、江戸留学は無駄だったのかもしれない・・・』


沈黙を続ける私に対して、清八郎様は『どうですか?』と言う嬉しそうな表情をしながら私の顔を覗き込んだ。

私は仕方なく、苦笑いしながら答えた。

「あの・・・。

江戸留学の成果があって・・・。

あの・・・。

良かったですね・・・」

それを聞いた清八郎様は、本当に本当に嬉しそうに返事をした。

「はい!!!」

そして清八郎様は、笑顔のまま再び花火を見上げた。

私も、一緒に花火を見た。


                        『ヒューーー!!!』

           『バッ!!!』


花火は一瞬だけ咲き、そして儚く消える。


この幸せな時も、長い人生からすればほんの一瞬の事なのかもしれない。


でもだからこそ、『この時』は美しく、幸せで、心に残るのだろう。


この一瞬一瞬の幸せを、私は一生忘れないだろう。


『忘れたくない』


そう、思った。


私達は、ずっと花火を見続けた。

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