四つの花 『六.京都』
慶応三年(1867年) 水無月(6月)
今日は、『土用干し』の日である。
『三の丸』の武器蔵にある『長岡藩初代藩主』牧野忠成公が『大阪の陣』で着用された武具を飾って、『虫干し』する日である。
鎧甲等は『上段の間』に、その他の武具を『下段の間』に飾る。
勿論、私は今まで見た事も、これからも見る事はないけれど・・・。
『どのような鎧甲なのだろう・・・』
と私は想像しながらお城の横を通り過ぎ、信濃川へ向かった。
最近少しずつ暑くなり始め、少しでも涼しい所へ行きたかった。
しばらく歩くと、信濃川に着いた。
信濃川に目を落とすと、水底の石まではっきり見えるくらい透き通っていた。
見ているだけで、心が洗われるようだった。
また遠くを見ると、西に妙高山、東に飯豊山が見えた。
白い雪の残る山を見ると、一時暑さを忘れる事が出来た。
冷たい空気が、身体を冷やしてくれている感じがした。
氷をかじって身体を冷やすのとは別の涼しさを、感じる事が出来た。
目から涼を感じると、身体の中も外も涼しくなってくる。
透き通った色をした信濃川、天色の空、真っ白な雪山。
全てが、涼しい色だった。
私はそれらを目と肌で感じながら、しばらく信濃川に沿って歩き続けた。
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家に帰ると、見慣れない男物の履き物があった。
お客様が、来ていらっしゃるのだろうか?
不思議に思いながら私が廊下を歩いていると、母上に呼び止められた。
「ああ。
ゆき。
丁度良かった。
司郎が、貴方を呼んでいましたよ」
「兄上が・・・私を・・・?
何のご用でしょうか?」
母上は、にっこり笑いながら言った。
「『内緒』だそうですよ」
「『内緒』・・・?」
私は
『何だろう?』
『あの履物と関係があるのだろうか?』
等、色々と考えながら、取り敢えず兄上の部屋へと向かった。
「兄上。
ゆきです。
お呼びだそうで・・・」
部屋から、兄上の元気そうな声が聞こえて来た。
「ああ。
ゆき。
入っておいで」
「はい」
私は、障子を開けた。
すると、其処には布団から起き上がってこちらを見る兄上の顔と、兄上の傍に座る『懐かしい人の顔』があった。
少し浅黒く焼けているけれど、しっかりした体つきは変わっていない。
その人は、京都へ治安維持の為に行っていた会津藩士・松江久兵衛様だった。
私は驚き、思わず叫んだ。
「わあ!
松江様!?
お久しぶりです!!
一年半ぶりでしょうか!?
お元気でしたか!?
ご無事で何よりです!!」
私は嬉しくて、障子も開けっ放しで松江様の許へ駆け寄った。
松江様は真っ白な歯を見せながら、満面の笑みで答えてくれた。
「ああ!!
元気!!
元気!!
ゆき殿も、相変わらずの『じゃじゃ馬』で安心した!!
ははははは!!」
『じゃじゃ馬』
私は、その言葉で我に返った。
私は少しでも大人になった自分を松江様に見せつける為、お淑やかに対応しなければならないと思った。
私は障子をゆっくりと閉め、松江様の横に姿勢を正して座り、ぎこちない笑みを浮かべながら松江様に言った。
「松江様も相変わらず『ご正直』で、安心致しました。
ところで京都でのお務めは、もう終わられたのですか?」
松江様は少し驚いた表情をしたが、直ぐににっこりと笑って答えた。
「いや。
今回は、一時帰国に過ぎない。
また、京都へ戻る。
今日は会津から京都へ戻る途中、司郎の顔が見たくて長岡に立ち寄ったのだ」
「そうですか・・・。
また、京都へ・・・。
あの・・・。
京都は・・・如何・・・でした?」
私の質問に、松江様は急に真面目な顔になった。
そして、苦しそうに呟いた。
「毎日、人が殺されている。
『尊王攘夷派』浪士や倒幕運動をする過激派浪士が京都に入り込み、『天誅』だと言って役人や幕府方の武士、公家、罪のない町の人々を殺している。
『尊攘派』にとって好ましからざる者は斬殺し、見せしめにその者を梟首して幕府や町の人々を威嚇している。
『人斬り』が、日常と化している」
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京都には、暗殺担当の『人斬り』が沢山居る。
名の知られた者は、四人。
岡田以蔵、田中新兵衛、中村半次郎、河上彦斎である。
土佐藩出身の『人斬り以蔵』こと、岡田以蔵。
武市半平太の『土佐勤王党』に所属。
後に捕縛され、武市等と共に斬首。
薩摩藩出身の『人斬り新兵衛』こと、田中新兵衛。
公家の九条尚忠の側近であった島田左近を暗殺。
後に、姉小路公知暗殺事件の犯人として切腹。
薩摩藩出身の『人斬り半次郎』こと、中村半次郎。
西郷隆盛の腹心。
後の、桐野利秋。
明治十年(1877年)の『西南戦争』にて、死亡。
熊本藩出身の『人斬り彦斎』こと、河上彦斎。
佐久間象山を暗殺。
維新後、『開国』を進める新政府は『攘夷』を掲げる河上を疎ましく思い、河上は広沢真臣暗殺を疑われ斬首。
幕末の『人斬り』は、下級武士や武士ではない人間が多かった。
特に薩摩藩や土佐藩は身分差別が激しく、名を上げる為には人を斬る事が近道であった。
『尊王攘夷』の為と言うよりも自分の為と言う欲望が強く、人の命令で人を斬る者も少なからずいた。
『天誅』と彼らは言っていたが、それは単なる『人殺し』に過ぎなかった。
彼らのほとんどは利用されるだけ利用され、殺されたり、非業の死を遂げると言う運命が待っていた。
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松江様は、続けた。
「だが、幕府も指をくわえて見ている訳ではない。
我ら会津藩や旗本、御家人などの幕臣によって結成された『京都見廻組』、そして会津藩お預かりの『新選組』が、『殺人剣』に長けている奴らを取り締まり、命懸けで京都の治安を守っている」
「え!?
松江様は、『新選組』に会ったのですか!?」
「おお!!
ゆき殿は、『新選組』を知っているのか?」
「はい。
勿論です。
『新選組』の名声は、長岡にまで伝わっています。
確か『新選組』は元々、江戸で募集された浪士達で、『十四代将軍』徳川家茂公ご上洛のおり、身辺警護を任された浪人集団だと」
私の説明に少し驚きながら、松江様は答えた。
「詳しいな・・・。
その通りだ。
『新選組』は元々、庄内藩郷士・清河八郎の建策で組織された集団だった。
『京都の不逞浪士は、同じ浪士で対応すれば良い』
と言う清河の建言が、幕府に入れられたのだ。
彼らは始め『浪士組』と名付けられ、文久三年(1863年)に京都へ出発した。
だが清河は京都に着くと直ぐに、馬脚を現した。
『『浪士組』は幕府の為ではなく、天子様(孝明天皇)配下の兵力とする為に組織した集団だ』
と、清川は吠えた」
「え!?
『幕府の資金で幕府が組織した集団』を、幕府を守る為ではなく、飽く迄『天子様だけをお守りする為の兵』にするつもりだと言ったのですか?
つまり幕府を、浪士達を騙した言う事ですか?」
「ああ。
だから幕府は、幕府に悪影響を及ぼす清河を直ぐに江戸へ帰らせた。
そして、危険分子だとされた清河を『見廻組』の佐々木只三郎らに暗殺させた。
当然の報いだ。
ただ清河は、貴重な土産を京都に置いていってくれた」
「それが、『新選組』なのですね」
「ああ。
清河が京都で天子様の為だけに戦うと言ったその時、異を唱えた浪士達がいた。
彼らは飽く迄京都の治安維持の為、幕府の為に、天子様の為に、京都に残ると主張した。
それが『浪士組』、今の『新選組』と呼ばれる者達だ。
『水戸の天狗党』出身の芹沢鴨、そして江戸の『試衛館』と言う小さな道場出身の近藤勇達二十数名だ」
「『水戸の天狗党』って、元治元年(1864年)に筑波山で挙兵した『尊王攘夷派』の事ですよね?
『尊王攘夷』と言いながら、行く先々で役人や農民を惨殺したり、お金や物を略奪し、結局、元治二年(1865年)に首謀者等が捕まり斬首になったとか・・・。
その生き残りなら、芹沢鴨と言う方はとても凶暴な方なのではありませんか?」
「『天狗党』の中にも秩序を保ち、純粋に国を憂え、国を守ろうとしていた者達もいた。
だが芹沢鴨は、どちらかと言うと『天狗党』の中でも凶暴な部類の男だった。
京都では商家から押し借りをしたり、町に火を付けたりと、『尽忠報国』と言いながら、やっている事は不逞浪士達と変わりなかった。
素面ではしっかりとした人物であったらしいが、酒を飲むと手がつけられなかったそうだ。
噂では芹沢は梅毒に罹っており、それを紛らわす為に大酒を飲み、乱暴狼藉を働いたと・・・。
それが目に余るものであったが為に、芹沢は殺された」
「殺された?
誰にですか?」
「『新選組』は長州藩の仕業と言っていたらしいが、恐らく近藤達『試衛館』の人間達によって殺されたのだろう。
そして、その命を下したのは我が藩主・松平容保様だと言われている・・・」
「容保様が・・・?
容保様が、『同志を殺させた』・・・と言う事ですか?
そんな・・・」
私は、息を呑んだ。
そんな私を見つめながら、松江様は悲しそうな顔をして言った。
「『非道』だと、思うか?
平和な時代ならば、『そう』かもしれない。
話し合いで何とかなるのなら、容保様も『そう』したかっただろう。
元々、容保様はお優しい方だから・・・。
だが、それは無理だった。
理想だけでは、生きていけない。
理想を追い求めている人を『美しい』と思うし、『羨ましい』とも思う。
しかし、時代が『それ』を許さなかった。
正攻法は、通用しない。
今の世では、『正義』が下らないものと見なされる。
『正義』を貫く為にも、敢えて『踏み込んではいけない領域』にも踏み込まざるを得ない時がある。
『策略』には『策略』を、『裏工作』には『裏工作』を。
それが、まかり通っている。
そうしなければ、潰されてしまう。
今の世は、綺麗事だけでは機能しない世だ。
『狂気』が、蔓延している。
その『狂気』の中心が、京都だ。
『人』はその中で次第に『狂気』に侵され、自身が『凶器』となっていく。
『人』を殺す事が、『普通』になってしまっていく。
京都の人間もいつの間にか、町中で『人』が死んでいる事に慣れてしまっている。
『異常』だ。
だが、あの中では『異常』が『正常』だ。
やらなければ、やられる」
「・・・」
「芹沢鴨のせいで、当時の『浪士組』は不逞浪士と同じと見なされるようになってしまった。
京都の人達の恨みを買ってしまっては、益々『尊攘派』は増長する。
元々、京都の人達は『尊攘派』に同情的であった。
特に長州藩は、金払いが良かったので重宝がられていた。
治安維持の為に市中を取り締まるには、どうしても『浪士組』内の不安分子を取り除き、内部分裂を防ぎ、内部統一、秩序維持をしなければならなかった。
京都の時間の流れは、何処よりも早い。
早急に対処しなければ、知らぬ内に飲み込まれてしまう」
「・・・」
私は松江様の言葉を聞き、少し悲しくなった。
芹沢鴨と言う人が粛正されたのは自業自得と言えば自業自得なのかもしれないけれど、時代の犠牲者の一人であるのかもしれないとも思った。
松江様は、続けた。
「文久三年(1863年)八月十八日、『尊攘派』の強引なやり方を疎んじてあらせられた天子様は会津藩と薩摩藩に命じられた。
『『尊攘派』の急進派である長州藩と、『尊攘派』の公家・三条実美達を排除するように』
と。
御所の門にはそれぞれその門を守る藩があり、『境町御門』は長州藩が警備する門だった。
その門を会津藩と薩摩藩が守る事によって、長州藩や長州藩に与する七人の公家を追い払う事に成功した。
その時『浪士組』も御所の南門の警備を任され、その功績から『浪士組』は『新選組』と言う名を会津藩から与えられた。
『新選組』は元々会津藩にあった隊名で、
『武道に秀でた藩主の親衛隊』
と言う名が由来だ。
彼らは浅葱色(ごく薄い藍色)で、袖に山型のだんだら模様のある羽織を着て、『誠』と言う文字を書いた隊旗を持って市中警護をしていた」
私は、浅葱色と言う色に引っ掛かった。
どうして、浅葱色なのだろう?
浅葱色とは確か野暮な色で、『田舎武士』を表したはず。
どうして、そんな色を・・・?
俺は『田舎者だ!!』と言いながら、町を歩いているようなもの・・・。
それに、何で山型のだんだら模様・・・?
私が色々と考えを巡らせていると、松江様がニヤニヤしながら私に言った。
「浅葱色なんて、野暮な色だと思ったのだろう?」
「え!?」
私は心を読まれた事に大いに驚き、素っ頓狂な声を出してしまった。
私は、一体どんな顔をしていたのだろうか?
恥ずかしくなって、頬に手を当てた。
松江様はそんな私を笑顔で見つめながら、説明してくれた。
「浅葱色は、元々切腹の際に身に付ける裃の色だからだ。
『赤穂義士』が切腹の際に身に付けていた裃も、浅黄色だった。
そして羽織の袖に施されただんだら模様は、『赤穂義士』が『吉良邸討ち入り』の際に身に付けていた羽織の柄だ。
つまり『新選組』が『浅葱色のだんだら模様』の羽織を着る理由は、
『常に自分達は死を『覚悟』している』
と言う『決意』であり、
『赤穂義士』のように
『武士として立派に生き、『忠義』の為に潔く死ぬ』
と言う『誓い』なのだろう。
今の時代、これ程の『覚悟』を持って生きている武士は多くない。
この『覚悟』があるからこそ、自分の『信念』を貫き通す事が出来る。
逃げ道を前もって作っていては、どうしても甘えが出てしまう。
それらしい理由を付けて、さも逃げる事が正しいように己を、人を騙す。
一度逃げると、逃げる癖がついてしまう。
中途半端な気持ちで任務を遂行出来るほど、今の時代は甘くない。
何かを本当に成そうと言うのならば、『新選組』と同じ『覚悟』を持つべきだと、私は彼らに教えられた」
『武士としての覚悟、決意、誓い』
『新選組』は、常に死と隣り合わせの毎日を生きている。
『浅葱色のだんだら模様』の羽織は、生き恥をさらさぬ為の『覚悟の羽織』。
松江様が教えられた、新選組の『覚悟の羽織』。
浅葱色の羽織・・・。
武士が切腹の際に着る、浅葱色の死装束・・・。
浅葱色と血の色である赤を混ぜると、緑色になる。
緑色、つまり碧色。
清(中国)の故事によると、
『義を尽くして死んだ者の血は、地中で三年経つと碧玉になる』
と言う。
それは、『武士の生き様と死に様』を表す。
だから切腹の際に武士は、浅葱色の裃を着る。
『新選組』も『忠義』を貫いて生き、死ぬ事を『決意』したのだろう。
もしかしたら『新選組』は『赤穂義士』に憧れを抱き、同じように生き、死にたいと思っているのかもしれない。
常に武士として戦場の中で生きる、それは我が長岡藩の『藩是』である『常在戦場』と似ていると思った。
「ただ・・・」
松江様が静かに口を開いた。
「?」
「この浅葱色の隊服は、あまり着られる事はなかった」
「え!?
何故ですか?
『新選組』の、『覚悟の隊服』ではないのですか?
それとも、やはり浅葱色は格好悪くて、田舎っぽくて、野暮ったくて、隊士達にも町の人にも不評だったからですか?」
私の言葉に、松江様は苦笑いをしながら言った。
「ゆき殿は、本当にはっきりとものを言う・・・。
まあ・・・。
確かにそのせいでもある。
洒落ては、いなかったからな・・・。
ただ、他にも理由はある」
「他の理由・・・?」
「浅葱色の隊服は直ぐに血で汚れてしまい、一々洗濯する事が面倒だった。
だから隊士達は普段は『黒い羽織』を着て、全身黒ずくめで巡察した」
「黒ずくめ・・・?
何故、真っ黒なのですか?」
「黒ならば汚れもあまり目立たぬし、夜道でも敵に見つかる恐れが少ない。
実践を重んじる『新選組』が、どれだけ命懸けの任務をしていたかが窺える。
もしかしたら、黒もまた彼らの『決意』の一つかもしれないな」
「どう言う事ですか?」
「黒は、どんな色にも染まらない。
つまり、
『忠臣、二君に遣えず』
と言う事だ。
『新選組』にとって黒は、
『朝廷の為に、幕府と共に誠心誠意務める』
と言う『決意の色』なのかもしれない・・・。
たとえ隊服の色が黒に変わろうとも、彼らの浅葱色の『決意』は変わらないだろう。
彼らは、その『決意』の通りの働きをしていた・・・。
まあ。
全員がその『決意』の下で生きていた訳ではないかもしれぬが、少なくとも幹部連中はその通り生きていたと、私は思う」
『浅葱色の決意』と『黒の決意』・・・。
命懸けでなければ、任務を果たせない。
『信念』を持って、生きなければならない。
死を『覚悟』して、生きなければならない。
常に、死と共に生きる。
そんな毎日は、辛くないだろうか?
自分の身を削ってまで生きる事は、辛くはないのだろうか?
私は、少し悲しい気がした。
そんなの、自分には耐えられないと思った。
松江様は、『新選組』についての話を続けた。
「私が京都に着いた時、既に『新選組』の名声は轟いていた。
『池田屋事件』以来、『新選組』は飛ぶ鳥を落とす勢いだった」
「『池田屋事件』・・・」
「ああ。
元治元年(1864年)六月(新暦7月)、『池田屋』で『新選組』は多くの『尊攘派』浪士達を捕縛した。
京都に侵入した浪士どもは祇園祭前の風の強い日に京都に火を付け、松平容保様方幕府の要人を殺し、天子様を誘拐する計画だった」
私は松江様の説明の途中だったけれど、思わず質問した。
「松江様、聞いても宜しいですか?」
「何だ?」
「『尊王』とは、天子様を敬う事ではないのですか?
何故彼らは、天子様を誘拐するなどと言う畏れ多い事をしようとしたのでしょうか?
京都に火を付け、罪の無い人達を犠牲にして、どうして国を守る事が出来るのでしょう?
彼らは、民を守る為に『攘夷』と叫んでいるだけなのではないのでしょうか?
自分達の欲望を満たす為なら、何をしても良いと言うのですか?」
私の言葉に、松江様ははっきりと答えた。
「彼らは、自分達の為に『尊王攘夷』と言う言葉を利用しているに過ぎない。
天子様を、心の底から敬っている訳では無い。
だからこそ、天子様を誘拐するなどと言う大それた事をしようとする。
彼らは自分達の欲望を満たす為なら、自分達の行為を正当化する為なら、どんな事でもする。
それにより、どんな犠牲を出そうとも・・・」
「・・・」
「彼らの行為は、決して許されるべき行為ではない。
我らは、何としても彼らを止めなければならなかった!!」
「・・・」
「『新選組』は『監察方』と言う独自の偵察隊に、『尊攘派』浪士と交流があった枡屋喜右衛門こと古高俊太郎を調べさせた。
そして妙な動きをする古高を捕らえて拷問し、『尊攘派』浪士どもの計画を暴露させた。
古高を捕縛された『尊攘派』浪士どもは、『祇園祭の宵山(7月16日)』に三条小橋西の旅宿『池田屋』に集まり、今後の動向について話し合った。
『新選組』は『池田屋』と『四国屋』どちらかで会合が開かれると考え、二手に分かれて会津藩と桑名藩の応援を待った。
しかし到着の遅い両藩の来援を諦め、『池田屋』近くで待っていた『新選組』は単独で亥刻(午後10時頃)に『池田屋』に踏み込みんだ。
『池田屋』にいた『尊攘派』浪士どもは、二十数名。
部屋に踏み込んだ『新選組』は、隊長の近藤勇を含めて四人だった。
『池田屋』での戦闘中、もう一つの『尊攘派』浪士の会合場所と考えられていた『四国屋』で待機していた『新選組』隊士達もその後参戦した。
一刻(約2時間)にも及ぶ戦闘によって、『尊攘派』浪士のうち九名を討ち取り、四名を捕縛した。
その後、遅れて到着した会津藩と桑名藩は逃走した他の『尊攘派』浪士どもを捕らえた。
『池田屋』での戦闘時、『新選組』は防御用に鎖帷子を着込み、鉢金(前頭部を保護する為、鉢巻などに縫い付けた簡略な兜の一種)を額に付けていた。
そのおかげもあり、『新選組』の中でも負傷し死んだ者は少なかった。
ただ犠牲を最小限に出来たのは、『それ』だけではなかったのだろう。
『覚悟』と武術が優れていた事が、彼らの勝利に繋がったのだろう。
流石は、武道に秀でた集団だ。
戦闘後、壬生の屯所へ帰還する為町を闊歩する『新選組』の堂々とした姿は、まるで『赤穂義士』のようだったと言う・・・」
『赤穂義士』
私は、『新選組』の姿を想像した。
きっと、自信に充ち溢れた姿だったのだろうと思った。
松江様は、少し声を落としながら続けた。
「武力で解決する事は、愚かしい事なのかもしれない。
しかし、この時は時間が無かった。
これが最前の方法だったと、私は今でも思っている。
『新選組』が『京都焼き討ちの計画』を食い止めてくれたおかげで、町も天子様もお守りする事が出来た。
『池田屋』以降、『新選組』は会津藩にとって、なくてはならない同志となった。
ただ京都の町の人間は、益々『新選組』を疎んじるようになったがな・・・」
「疎む・・・?
何故ですか?
『新選組』は天子様を、町を守ってくれたのに・・・」
「私が誇り高いと感じた『新選組』の凱旋を、京都の人々の目には『野蛮な集団の帰還』としか映らなかったのだろう。
刃こぼれし、折れ曲がった血刀を手に持ち、真っ赤な返り血を浴びた傷だらけの隊士達を、京都の人達は『恐ろしい獣』、単なる『人殺し集団』だと感じたのかもしれぬ・・・」
「折角、町を守ったのに・・・?
そんなの、酷いではありませんか・・・」
「『新選組』も、京都の人々のそういった態度を快くは思っていなかっただろう・・・。
それでも、やらなければならなかった。
『新選組』自身、大きな実績を残して、『新選組』の名を上げたいと言う気持ちも確かにあっただろう・・・」
「・・・」
「だが目的はどうであれ、彼らは京都の治安を守ると言う任務を果たした。
『池田屋』で『尊攘派』浪士を一掃した事により『新選組』の名声は広く伝わり、彼らの『真の武士になる』と言う夢にも近づいた。
『新選組』はその働きによって、会津藩から五百両、幕府からは六百両、天子様からも報奨金を下された。
『池田屋』での働きが、どれ程の功績であったかは言うまでもない。
『新選組』は会津藩からも、幕府からも、天子様からも信頼を得た」
「『新選組』は『真の武士』として、公に認められたと言う事ですね。
だとしたら、『池田屋』での事は『新選組』にとって分岐点だったのかもしれませんね・・・。
それにしてもそんな大金、使い道が大変だったのではありませんか?」
「金は、『池田屋』での働きに応じて分配されたようだ。
たとえば、最初に斬り込んだ近藤勇は金三十両を与えられたが、病で寝込んでおり、『池田屋』に出動しなかった者には報奨金は全くなかった。
このように『新選組』では実績を残せばその分見返りもあると言う、『目に見える制度』を導入していた。
言わば、『実力重視』と言う事だ。
そういった制度であれば、働きに大きな違いが出て来る。
心意気も変わり、より良い働きが出来るようになる。
結局金かと言われればその通りかもしれないが、様々な人間が在籍する『新選組』には、これが一番『有効』であったのだろう。
どんな人間でも、
『自分の行いを、評価してもらいたい』
と言う気持ちはあるからな。
私も、そうだ。
自分の身を削って成し遂げた事を評価してもらえれば、
『苦労は、無駄ではなかった』
『もっと尽くそう』
と言う気持ちになる。
この『新選組』の実力を重んじる制度は、隊士達にとって良い指標になる。
『能力給』とでも言うのだろう」
「・・・」
「我々藩士の禄高は、家柄によって大体が決まっている。
今の武士の世では、『上士』は余程の事がない限り、ずっと『上士』で、金がある。
『足軽』は余程の事がない限り、ずっと『足軽』で、貧乏だ。
勿論、河井様のように実力のある者が上に立つ時もある。
だが、それは希だ。
本当に実力のある者を見つけ、後押ししてくれる人物がいなければ、下の者が上に上がる事は無理だ。
我々武士は、枠組みや決まり事、伝統から抜け出る事が難しい。
それが『絶対に悪い事』だとも言い切れないが、それでは実力のある人物を潰し兼ねない。
それは藩にとっても、国にとっても損失だ。
実力のある者達がもっと活躍出来る場を作る為にも、実力を重んじると言う『新選組』の考え方は各藩にも必要だと思った」
「・・・」
「そして、この報奨金の分配の采配をしたのが、『新選組副長』の土方歳三だ」
『土方歳三』
私は、この名前に聞き覚えがあった。
以前、小山良運様が言っていらした人・・・。
松本良順様のおっしゃった通りに、『新選組』屯所を見違えるくらい清潔にした有能な人・・・。
私は小山良運様に土方歳三について聞いて以来、それなりに調べた。
しかし私は土方歳三について、あまり良い印象を持てなかった。
松江様は、続けた。
「画期的で、自由で、先を読んだこの制度は、藩に捉われない土方だからこそ成し得たものなのだろう・・・。
先程、ゆき殿は『新選組』に会ったのかと聞いたな。
『新選組』は、会津藩と一心同体。
勿論、私は『新選組』隊士達に何度も会った。
そして、土方歳三にも会った。
実際に土方に会い、私は土方は『噂以上』だと思った」
私は松江様のその言葉に対して、意見した。
「土方歳三は『鬼の副長』と言われ、京都の人達にも隊士達にも恐れられていると聞きました。
『新選組』には厳しい『掟』があり、それに背くと全て切腹だとも。
その『掟』を作った人物が土方歳三で、彼は冷徹で非道な人だと。
土方歳三に関する私が聞いた噂は、あまり良いものではありません。
先程松江様がおっしゃった『噂以上』とは、
『土方歳三は『鬼』以上に恐ろしく、冷たい人物』
と言う事ですか?」
松江様は、笑いながら答えた。
「そうではない。
土方歳三が、『噂以上の人物』と言う意味だ。
私には、土方歳三が噂されているような『鬼』には見えなかった。
『新選組』は、元々武士だけで成り立っている集団ではない。
農民もいれば、氏素性も知れない者もいる。
そういった人間を統率するには、厳しい『決まり事』や『掟』が必要だ。
幼い頃から武士としての教育を受け、統率のとれた藩士とは違う。
『新選組』にいる無頼の輩をまとめ、統率する為には、揺るぎない『鉄の掟』が必要だ。
その『掟』を守る事は、並大抵の『信念』と『覚悟』では出来ない。
その『信念』や『覚悟』を示す為に、土方は、やま・・・。
やまな・・・」
「やまな・・・?」
すると、ずっと黙って聞いていた兄上が口を開いた。
「山南敬助ではないか?」
松江様は兄上の方を振り向き、嬉しそうに言った。
「ああ!
山南だ!
山南敬助だ!!」
そして松江様は再び私の方を向き、説明を続けた。
「聞いた話では、江戸にいた頃からの同志である山南敬助と言う者が『新選組』を脱走したらしい。
『新選組』では、脱走をしたら切腹になる」
「切腹・・・」
「山南はその後、同じ江戸からの同志である沖田総司に見つかって屯所に連れ戻され、切腹した。
切腹を申し渡したのは、土方。
そしてその介錯をしたのが、山南を連れ戻した沖田だったそうだ」
「では、土方歳三は昔からの同志を『掟』の為に殺し、尚且つ同じ同志の沖田と言う人に首を斬らせたと言うのですか?
それは、あまりにも非道ではありませんか?
いくら『掟』の為とはいえ、同志を殺し、殺させるなんて・・・。
それも長いつき合いのある人を殺すなんて、普通の精神なら出来ないはず・・・。
何としても同志を、仲間を守りたいと思うのが、人の情と言うものなのではありませんか?
私は、やはり土方歳三は『鬼』だと思います」
私の言葉を聞き、兄上が呟いた。
「『泣いて馬謖を斬る』
だ・・・」
「『泣いてばしょくを斬る』?」
「ゆき。
『三国志』を、知っているだろう?」
「はい。
清(中国)の『三国時代(魏・呉・蜀)』について書かれた歴史書ですね。
少ししか、読んだ事はありませんが・・・」
兄上は真面目な顔をしながら、説明を続けた。
「『三国』の内『蜀』には、諸葛孔明と言う宰相がいた。
諸葛孔明には、愛弟子がいた。
それが、馬謖だった。
ある日、馬謖は孔明の命令に背いた。
そしてその行動が、蜀軍の敗戦を招いた。
敗戦の為に、多くの人が死んだ。
その責任を取らせる為、孔明は馬謖を斬った」
「・・・」
「土方歳三も、諸葛孔明と同じ考えだったのだろう。
たとえ辛くとも、『掟』を曲げれば規律が乱れる。
同志だから、仲間だから、親しいからと言って『掟』を破った者を生かせば、『掟』は単なる『飾り』になってしまう。
親しいからこそ、絶対に『掟』を曲げる事があってはならない。
『身内にだけは、甘い』
と他の隊士達に思われれば、猜疑心が生まれる。
『親しい仲間の罪は許すのに、そうでない者達には『掟』を守らせるのか?
それは不公平ではないか?
差別ではないのか?
何が『掟』だ?
自分だけ『掟』を守るなど、馬鹿らしい。
もし自分が『掟』を破った時には、大声で言ってやろう。
身内にだけ甘く、それ以外の者には厳しい『掟』など『掟』などでは無い。
自分は絶対に、切腹などしない。
『掟』など守っていられるか。
金などいらん。
任務など出来るか。
こんな隊、やめてやる。
こんな隊、潰してやる』
と。
そうなっては任務も遂行出来なくなり、いずれ隊は内側から瓦解する。
例外を作れば、『掟』は崩れる。
統率が、とれなくなってしまう。
秩序が、乱れる。
今まで『掟』によって死んで逝った人間の命も、無駄になる。
『掟』の為の犠牲ではあるが、そのおかげで『掟』は『絶対』となる。
禁を犯せば死に値すると言う事が、徹底的に隊士達に刷り込まれる。
命を懸ける任務には、それ程の気概が無くてはならない。
それを徹底したのが、土方歳三だ。
彼はたとえ自分が『鬼』と呼ばれようとも、『新選組』を守ろうとした」
「・・・」
「親しい友人を殺すなど、辛くないはずがあるまい。
諸葛孔明は馬謖を処刑した後、涙を流したと言われている。
土方も、そうであったに違いない。
しかし『掟』を守る為には、自分が『鬼』とならざるを得なかったのだろう・・・」
辛そうに言う兄上に、松江様が続けた。
「我々武士が忘れている事を、まるで彼ら『新選組』が体言しているようだった。
彼らこそが、『真の武士』である。
私は、私達は、彼らから学ぶ事が沢山あった・・・」
そう言う松江様に、私は質問した。
「『掟』を徹底する為にとった土方歳三の行動は、
『正しかった』
と言う事ですか?
『仕方がなかった』
と言う事ですか?
『新選組』を守る為に、真の侍集団にする為に、土方歳三は敢えて『鬼』になる道を選んだと言う事なのでしょうか?
だから、松江様は
『土方歳三が、『鬼』には見えなかった』
とおっしゃったのですか?」
「ああ。
そうだ。
土方は、敢えて自分を『鬼』にしていると私は思った」
「・・・」
「それに、実際私が見た土方は気遣いが出来、遠くまで目の届く気配りの出来る人間だった。
確かに、厳しい人間でもあった。
だが、彼自身は本来優しい青年だと思う。
彼は、とても優しい字を書く。
字は、人の心を表す」
「・・・」
「それに、少々・・・。
いや。
かなり下手だが、素直で美しい俳句を作る。
本来の彼は、優しく繊細なのだと思う。
まあ。
これは私の単なる印象だがな・・・。
ああ。
それと、彼は見た目も良い男だったな・・・。
役者のような顔立ちで、女にも大層もてていた・・・。
ゆき殿も、きっと惚れるに違いない」
「え!!」
俳句が下手だと言うところが、若干気にはなるけれど・・・。
と言うか、ここまで俳句の下手な人が多いと、この世には俳句が上手な人は存在しないのではないかと思ってしまう。
それはさておき、役者のような顔立ちか・・・。
もしかして、女形である三代目・澤村田之助のような綺麗な顔立ちをしているのだろうか?
実際に顔を見た事はないけれど、田之助は女性のように美しい顔だと聞いた事がある。
土方歳三も、そんな顔なのだろうか?
私は『鬼』の事も忘れて、色々と想像をした。
そして、土方歳三の顔を見てみたいと思った。
『鬼』『怖い』『非道な人間』だと思っていたけど、松江様の言葉で少し違う印象を持った。
どちらかと言うと、良い印象を・・・。
顔が良い上に、今、勢いに乗っている『新選組』の副長・・・。
お金も沢山あるし、女を寄せ付けない厳しい態度(これは想像)や、その厳しさの中にある(かもしれない)ちょっとした弱さを見た時、女性はたまらないのだろうな・・・。
魅力的な人に、見えるのだろうな・・・。
私達の会話を静かに聞いていた兄上が、再び口を開いた。
「私も、土方歳三には江戸で会った事がある」
兄上の言葉を聞き、松江様は驚いた表情で言った。
「それは、初耳だ・・・。
一体、何処で会ったのだ?」
私も聞きたかったので、松江様の問いに『うんうん』と首を縦に振って兄上の答えを待った。
「土方歳三は、多摩の『誠衛館道場』で剣術を習っていた。
私の友人が近藤勇と知り合いで、一度試合をしに『誠衛館道場』を訪ねに行った事があった。
その時に、土方歳三に会った。
当時の土方は屈託なく笑い、心配りの出来る、とても優しそうな青年に見えた。
その彼が京都で血刀を振るっていると聞いた時は、直ぐに信じる事が出来なかった。
彼を『鬼』に変えるほど今の京都は殺伐としており、優しい人間を瞬く間に『鬼』に変えてしまうほど時代の流れが早いのだろう・・・」
そう言う兄上は、とても悲しそうだった。
『生』と『死』の間で、人は『正気』ではいられない。
今の京都は、『そういう所』だ。
ただ私は、実際に京都にいた松江様から話を聞いても、どこか『遠い国の話』のように聞こえてしまう。
長岡にいると、毎日が平和で、京都の暗殺話は知っていても、それほど実感は無い。
でも、それで良いのだろうか?
私は、『今のまま』で良いのだろうか?
何か自分の、出来る事はないのだろうか?
小さな事でも、国に役立つ事は無いのだろうか?
私はただただ、そう考える事しか出来なかった。
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帰り際、私は松江様を門まで送った。
松江様は少し寂しそうな表情で、私に言った。
「ゆき殿は、江戸での『司郎の話』を、もう知っているのだろう・・・?」
私は、下を向きながら答えた。
「・・・はい。
何となく・・・ですが・・・」
「噂は消そうと思っても、なかなか消えぬものだ・・・。
ゆき殿も、知らないよりは知っていた方が良いだろう・・・。
嫌でも、知る時が来るのだから・・・」
「・・・はい」
私は、本当は
『知りたくない』
けれど、いつか
『知らなければならない』
松江様は、小さな声で続けた。
「司郎は、随分と痩せてしまった・・・」
「はい・・・。
でも、それは病のせいで・・・」
松江様は、首を横に振って言った。
「いや。
違う。
司郎は、病のせいだけで痩せたのではない・・・。
恐らく、『自分の心』に殺されている・・・」
私は、松江様を見上げて言った。
「『自分の心』に・・・殺されている・・・?」
松江様は、続けた。
「『あの人を死なせてしまった自分が、許せない。
自分も、死にたい。
死んで、あの人に会いたい』
と、司郎は『心の奥底』で思っているのだろう・・・。
『心の奥底』で、司郎は『死』を望んでいる・・・。
だから、それが身体に現れたのだ・・・。
『本人が生きたい』
と思わなければ、身体は『心』に食われる・・・」
私は松江様の言葉に納得がいかず、思わず叫んだ。
「そんな・・・!!
兄上が
『生きたくない』
と思っていると、そうおっしゃるのですか!?
そんな事は、ありません!!
兄上は、
『生きる』
と言ったのです!!
『私達の為に、自分の為にも生きる』
と、言ったのです!!」
松江様は少し興奮気味な私の両肩に手を置き、優しそうに言った。
「それも司郎の『気持ち』であり、『願望』でもある。
しかし
『死にたい』
と思う気持ちは、『心の奥底』に潜んでいるのだ。
それは、『無意識』のものだ。
そしてそれがきっと、司郎が
『本当に望んでいる事』
だ」
私は、愕然とした。
兄上が、本当は
『死にたがっている』
なんて・・・。
私は、呟いた。
「どうすれば・・・。
どうすれば、兄上に心の底から
『生きたい』
と思ってもらえるのでしょうか?
私は、
『何』
をすれば良いのですか・・・?」
「分からない・・・。
どんなに他の者が
『生きて欲しい』
と言っても、それを決めるのは『自分自身』だ。
本人が
『生きたい』
と思えば
『生きる』。
しかし、
『死にたい』
と思えば・・・」
「・・・」
「『心の奥底』には、誰も踏み込めない・・・」
私は溢れ出て来る涙を必死に堪え、震えながら言った。
「では・・・。
では、私は・・・兄上が生きる為の手助けも・・・出来ないのですか・・・?」
涙目でそう言う私に、松江様は優しく微笑みながら答えた。
「『分からない』
とは言ったが、
『出来ない』
とは言っていない・・・。
今、司郎の命を繋ぎ止めているのは、『家族』だ」
「私達・・・?」
「そうだ。
『家族』がいるから、司郎は
『生きよう』
としている。
だがそれは『家族』を守る為なら、司郎は
『迷わず死を選ぶ』
と言う事でもある。
司郎に生きて貰いたいのなら、ゆき殿達が
『生きる』事だ」
「私達が、『生きる』事・・・?」
松江様は深く頷き、厳しい顔をしながら答えた。
「これから・・・戦が起こるかもしれない」
「!!!」
「長岡も、戦に巻き込まれるかもしれない」
「・・・」
「その時、ゆき殿は司郎の傍にいてあげてくれ。
傍にいて、司郎の事も、家族も、自分も守るのだ。
そうすれば、司郎は『生きる』。
それが、ゆき殿に出来る事だ」
そう言ってにっこりと笑い、松江様は私の頭を撫でて京都へと旅立って行った。
緋色になった空に向かって・・・。
私は紅く染まる松江様の背中を見つめながら、呟いた。
「私が、皆を守る・・・」
私は松江様に、緋色の空に誓った。
誓わずには、いられなかった・・・。




