四つの花 『二.物の怪』
慶応三年(1867年) 如月(2月)
紅い空が広がる黄昏時、私とはるちゃんは信濃川の近くを歩いていた。
昨晩降った雪が少し積もっていたので、私達は滑らない様にゆっくりと雪を踏みしめながら歩いた。
すると、私は自分達の前を歩く二人の男の子を見つけた。
二人とも、十歳位に見えた。
一人は露草色(青色)の着物を着た『坊主頭の男の子』、もう一人は白に近い薄い水色の着物を着た『おかっぱ頭の男の子』。
様子を窺っていると、突然『坊主頭の男の子』が雪に滑った。
「危ない!!」
私は咄嗟に走り、その子が滑って転ぶのを間一髪で助けた。
その子を支えながら、私は言った。
「大丈夫!?」
その子は少し驚いた顔をしていたが、直ぐに何も無かったかのように立った。
「ありがとうございます」
「怪我は・・・ない?」
「ないです」
「そう・・・。
良かった・・・。
気を付けて歩いてね」
「はい」
そう言って、二人は歩き出した。
私が二人の後ろ姿を見つめていると、はるちゃんが小走りに私の傍に来て私の名前を呼んだ。
「ゆきちゃん」
そして、はるちゃんは心配そうに私に聞いた。
「どうしたの?
ゆきちゃん」
私は、二人から目を離さないように答えた。
「う・・・ん。
十歳位の二人の男の子が前を歩いていて、その内の一人の子が滑って転びそうだったから助けたの」
それを聞き、はるちゃんは少し驚いた顔をして呟いた。
「そう・・・なんだ・・・」
はるちゃんは、何故か『不思議そうな顔』をしていた。
私ははるちゃんの表情がちょっと引っ掛かり、はるちゃんに聞いた。
「どうしたの・・・?」
「う・・・ん・・・」
はるちゃんは、何か言いたいようだった。
私はそんなはるちゃんを気にしながらも、二人の男の子の方を見続けた。
見ていると、二人は町とは逆の方向へ向かっていた。
私は、呟いた。
「あれ・・・?
二人とも、町とは反対の方向へ行っているみたい・・・」
それを聞いたはるちゃんは驚いた表情をし、私の袖を引っ張って言った。
「え!?
これから暗くなるよ!?
止めた方が、良いのじゃない!?」
「うん!!
私も、そう思う!」
私ははるちゃんの手を握り、前を歩く二人の男の子に走って近づいた。
私は、『坊主頭の男の子』に話し掛けた。
「ねえ。
何処へ行くの?
これから、暗くなるよ?」
その子は歩みを止めずに、冷静に答えた。
「もっと、人気のない所へ行くつもりです」
その想定外の答えに私は少々戸惑いながらも、『坊主頭の男の子』に聞き返した。
「ひ・・・人気のない所・・・?
どうして?」
その子は、淡々と答えた。
「『ひゃっきやこう』を見るのです」
「『百鬼夜行』!?」
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『百鬼夜行』とは、深夜の町を妖怪や鬼が集団で徘徊する事である。
『宇治拾遺物語』や『今昔物語集』『大鏡』には、『百鬼夜行』に遭遇した人々の事が書かれている。
遭遇した人達はお札を握り締めたり、お経を唱える事によって難を逃れている。
つまり『百鬼夜行』は、仏の偉大さを教える為のものでもある。
また『百鬼夜行絵巻』も残されており、それには色々な妖怪や鬼が描かれている。
恐ろしい妖怪もいれば、滑稽な妖怪もいる。
どこか人間らしい一面もあり、妖怪は私達にとって、とても身近な存在だ。
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私は『坊主頭の男の子』の言葉を聞いて、少し怯えながら聞いた。
「どどどどど・・・どうして・・・?
どうして、『百鬼夜行』を見たいの・・・?」
『坊主頭の男の子』は、静かに答えた。
「確かめたいのです」
「確かめたい・・・?
何を?」
「『物の怪』が、本当に存在するのかどうかをです」
「『物の怪』が、本当に存在するのかどうか?
どうして、確かめる必要があるの?」
『坊主頭の男の子』は立ち止まり、私の目を真っ直ぐ見ながら答えた。
「先日、わたしは家で不思議な体験をしました」
「不思議な体験・・・?」
「はい。
夜半、寝ていると、ふと目が覚めました。
灯りも全て消えていて、まっ暗でした。
わたしは横になったまま、まわりを眺めました。
すると、となりの部屋の障子の骨の間から、人の顔のようなものが見えました。
誰かが、わたしの部屋をのぞき込んでいるようでした。
わたしは起き上がって、見てみました。
しかし、怖くて近づくことは出来ませんでした。
しばらくすると、その顔はひっこみ、またしばらくすると、その顔は部屋をのぞき込みました。
わたしは、
『これが、幽霊なのだ』
と思いました。
そして、ますます怖くなり、布団を頭からかぶって縮みこんで寝ました」
「・・・」
私は、思わずはるちゃんの袖を握った。
『坊主頭の男の子』は、続けた。
「次の日の朝、やはり幽霊が気になり、となりの部屋へ行きました。
すると、幽霊だと思っていたものの正体が分かりました」
私は、怯えながら聞いた。
「正体・・・て・・・?」
『坊主頭の男の子』は、淡々と答えた。
「障子の紙が破れて、風に吹かれるたびに揺れ、人の顔のように見えていただけでした。
わたしは、この時思ったのです。
『『物の怪』は全て紙きれだと思えば、恐ろしくなどないのだ』
と」
そう言うと、『坊主頭の男の子』は再び歩き出し、『おかっぱ頭の男の子』もそれに付いて行った。
私もはるちゃんの手を引きながら、『坊主頭の男の子』に付いて行った。
『坊主頭の男の子』は、歩きながら言った。
「だから、わたしはこれから『ひゃっきやこう』を見に行って、それが本当に恐ろしいものかどうかを確かめるつもりです」
私は、『坊主頭の男の子』に言った。
「でも・・・『百鬼夜行』に出会えるとは、限らないよ・・・?」
「『ひゃっきやこう』は正月、二月子日、三月午日、四月午日、五月巳日、六月巳日、七月戌日、八月戌日、九月未日、十月未日、十一月辰日、十二月辰日の『ひゃっきやこう日』に出現すると言われています。
今日は、二月子日です。
だから、『ひゃっきやこう』に出くわすかもしれません」
「『百鬼夜行』が、もし本当に恐ろしいものだったら・・・?
『百鬼夜行』に出会うと、死ぬと言われているけど・・・?」
私の問いに、『坊主頭の男の子』は自信満々に答えた。
「大丈夫です。
もし本当に恐ろしいものだったとしても、呪文を唱えれば良いのです。
そうすれば妖怪は逃げると、『拾芥抄(百科事典)』にも書かれていました」
「呪文・・・?」
「『カタシハヤ エカセニクリニ タメルサケ テエヒ アシエヒ ワレシコニケリ』」
「『カタシハヤ エカ』・・・?
何それ・・・?
どう言う意味・・・?」
「知りません」
「え!?
そんな意味の分からない呪文を唱えて、本当に大丈夫!?」
「大丈夫です。
もし効果がなければ、お経を唱えれば良いのです」
「え!?
お経を唱えられるの?」
「はい。
私の家は、お寺ですから。
あ。
申し遅れました。
私は『慈光寺』の住職・井上圓悟の長男、井上岸丸です」
「岸丸ちゃん・・・。
ああ・・・。
私は、野口ゆき」
そして私ははるちゃんの手を引き、はるちゃんを紹介した。
「こちらは、私の友達のはるちゃん。
えと・・・。
岸丸ちゃんの隣にいるのは・・・友達の・・・?」
私は『おかっぱ頭の男の子』に、名前を聞いた。
その子は『雪』のように白く、綺麗な顔立ちをしていた。
その子は、少し戸惑いながら答えた。
「・・・私は・・・」
「・・・?」
『おかっぱ頭の男の子』は、小さな声で答えた。
「・・・太郎」
私は良く聞き取れなかったので、もう一度確かめる為に聞いた。
「太郎・・・ちゃん?」
すると、太郎ちゃんはこくりと頷いた。
良く見ると、太郎ちゃんはたらたらと汗をかいていた。
私は心配になって、太郎ちゃんに聞いた。
「太郎ちゃん?
凄く汗をかいているけれど・・・大丈夫?
熱が、あるのではない?」
私は、太郎ちゃんの額に手を当てた。
「わ!!」
熱いと思っていた太郎ちゃんの額があまりにも冷たかったので、私は変な声を出して太郎ちゃんから手を引っ込めた。
私は心配して、太郎ちゃんに聞いた。
「太郎ちゃん!!
額がとても冷たいけれど、本当に大丈夫!?」
再び、こくりと太郎ちゃんは頷いた。
確かに太郎ちゃんの額は冷たく、汗をかいてはいたけれど、体調が悪そうには見えなかった。
すると、太郎ちゃんが私の右手を食い入る様に見つめた。
私は太郎ちゃんの様子に気付き、自分の右手の甲を太郎ちゃんに見せながら言った。
「ああ・・・。
これ?
これは、一昨日転んで擦りむいたの」
そう聞くと、太郎ちゃんは徐に私の右手をとって、優しく握った。
太郎ちゃんの手は触った瞬間、額と同じ位冷たかった。
そして一瞬だけ暖かく感じると、太郎ちゃんは私の手を放し、黙ってしまった。
私は不思議に思って、太郎ちゃんの顔を覗き込みながら言った。
「太郎・・・ちゃん?」
「・・・」
太郎ちゃんは、黙ったままだった。
私は太郎ちゃんの事を気にしながら、岸丸ちゃんの方を向き、聞いた。
私は取り敢えず何とか岸丸ちゃんを説得して、早いところ岸丸ちゃん達を家に帰さなければならないと思った。
「もし、『百鬼夜行』に出会えなかったら?」
「『ひゃっきやこう』が見れなくても、『しゅてんどうじ』がいた『砂子塚』へ行くつもりです」
「『酒呑童子』・・・」
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『酒呑童子』とは、丹波(京都)大江山に住んでいた鬼の頭領である。
お酒が好きであった事から、この名がついた。
一条天皇の頃(十世紀頃)、京で『神隠し』が発生した。
時の陰陽師・安倍晴明に占わせたところ、『酒呑童子』の仕業である事が分かった。
一条天皇は、源頼光達を『酒呑童子』征伐に向かわせた。
源頼光には四人の家臣がおり、彼らは『頼光四天王』と呼ばれた。
『頼光四天王』は、渡辺綱、坂田公時(『金太郎』のモデル)、碓井貞光、卜部季武である。
源頼光達は『酒呑童子』達に八幡大菩薩から貰った『神便鬼毒酒』と言う毒酒を飲ませて泥酔させ、殺した。
『酒呑童子』を成敗後、その首を京に持ち帰り、首を宇治の『平等院』に納めた。
『酒呑童子』の出生には、他にも色々な話がある。
『伊吹山(滋賀)の酒呑童子』は、近江国(滋賀)の長者の娘『玉姫御前』と伊吹山の『伊吹大明神(八岐大蛇)』の間に生まれた。
両親は『酒呑童子』を『須川の長者(母方の祖父)』へ託し、伊吹山に登ってしまった。
『須川の長者』の子として育った『酒呑童子』は、内裏の祝賀行事の為に『鬼踊り』を披露する事になった。
『酒呑童子』は鬼の面をつけて踊り、酒を飲んで寝たところ、鬼の面が顔から取れなくなってしまった。
驚いた『酒呑童子』は養父である『須川の長者』の許へ行ったが受け入れてもらえず、両親のいる伊吹山へ追いやられた。
伊吹山に登った『酒呑童子』は神通力を得て、人を喰らうようになった。
その後、最澄(天台宗の開祖)の祈祷により伊吹山から追放され、大江山へ移り住んだ。
『大和国(奈良)の酒呑童子』は、大和国の『白毫寺』の稚児(乳児、幼児)であった。
この稚児は、ある日近くの山で死体を見つけた。
そして、好奇心からその人肉を食べた。
人肉の魅力に取りつかれた稚児は、生きている人を襲って喰らうようになった。
それを知ったお寺の僧達は稚児を折檻し、山に捨てた。
その後、その稚児が『酒呑童子』となった。
『越後(新潟)の酒呑童子』は昔、『外道丸』と言う名の絶世の美少年であり、多くの女性から恋文を貰った。
しかし、全ての女性の誘いを断った。
すると、女性全員が恋煩いで死んでしまった。
彼は、貰った文を焼いた。
その煙に巻かれ、彼は鬼と化した。
女性の恨みによるものだった。
『酒呑童子』となった彼は、その後各地を彷徨い歩き、大江山に辿り着いた。
『酒呑童子』には『茨木童子』と言う家臣がおり、『越後の酒呑童子』と同様の出生話がある。
『越後の酒呑童子』は『砂子塚(新潟県燕市)』の『国上寺』の稚児で、『茨木童子』は軽井沢(新潟県長岡市軽井沢)の『弥彦神社』の稚児であった。
『茨木童子』も絶世の美少年であり、多くの女性に言い寄られた。
それを案じた母親が、彼を『弥彦神社』に預けた。
ある日、彼が実家に帰ると、母親が行李(籠)の中に隠した血塗の恋文を見つけた。
その血を舐めたところ、彼は鬼と化してしまった。
『茨木童子』は逃げ、途中『酒呑童子』に出会って家臣となり、一緒に村々を襲うようになった。
そして、共に大江山に棲むようになった。
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「『砂子塚』へ行って、『酒呑童子』に会って、それからどうするの?
それに、『砂子塚』はとても遠いよ?
やめた方が良いよ」
私は、岸丸ちゃんを止めようとした。
岸丸ちゃんは、少し頑固そうな顔をして言った。
「でも、確かめたいのです。
本当に『物の怪』が恐ろしいものか、どうかを」
「どうして、そこまで・・・」
「だって、『かわいそう』ではありませんか!?」
岸丸ちゃんは、少し涙目で答えた。
私は岸丸ちゃんの涙に少し驚き、優しく聞いた。
「『可哀そう』・・・?」
岸丸ちゃんは、真っ直ぐ前を見ながら答えた。
「わたしたちは、『物の怪』を恐れています。
でも、本当に『物の怪』は、わたしたちが恐れているような者たちなのでしょうか?
本当に、『物の怪』は存在するのでしょうか?
本当は、『物の怪』は作られた存在なのではないでしょうか?
もしそうだとしたら、何もしていないのに恐れられるなんて、『かわいそう』だと思いませんか?」
岸丸ちゃんは、私に必死に訴えた。
そして私の袂を握り、聞いた。
「ゆきさまは、彼らが本当に存在すると思っていますか?」
私はその問いに、自信なく答えた。
「『いる』・・・・・・と・・・思う・・・けど・・・」
「『物の怪』を、見たことがあるのですか?」
「え!!
見た事は・・・ない・・・けど・・・」
「見たことがないのに、どうして彼らがいると信じるのですか?」
「誰かが、見た事がある・・・から?」
「誰が、ですか?」
「・・・」
岸丸ちゃんの矢継ぎ早の質問に、私は答えられなくなった。
岸丸ちゃんは、少し紅い顔をして続けた。
「『物の怪』を見た人を、ゆきさまは知っているですか?」
「知らないけど・・・言い伝えられていると言う事は、見た人がいるからではないの?
それに能でも、沢山の鬼や妖怪や幽霊が出て来るでしょう?
秋に『二の丸』の能舞台でお殿様自ら演じられたのは、『紅葉狩(平維茂の鬼退治)』だったでしょう?
岸丸ちゃん達も、観たでしょう?
能の演目にもなると言う事は、全くの無からではなく、何か母体となるものがあるからなのではない?
本当に『物の怪』が存在するから、語り継がれているのではない?」
岸丸ちゃんは私の話を黙って聞き、そして真剣な顔で言った。
「鬼は巻き毛頭に牛の角が生えていて、虎の牙と鋭い爪が生えていて、虎の毛皮のふんどしを腰に巻いていて、突起のある金棒を持った大男だと言われています」
「・・・うん」
「何故だと、思いますか?」
「え?」
「鬼が牛や虎と関係しているのは、艮(北東。丑と寅の間の方角)を『鬼門』と呼ぶからです。
『鬼門』は鬼が出入りする方角だから、鬼の姿を牛や虎になぞらえただけに過ぎません」
「つまり私達が知っている鬼の恐ろしい姿は、『作られたもの』だと言う事?」
「そうです。
鬼は、もともと『隠』が転じたものです。
『隠』とは、『目に見えないもの』『この世ならざるもの』という意味です。
だから、鬼はもともと恐ろしい姿をしていたわけではないのです」
「・・・」
「わたしは、思うのです。
鬼も本当は『恐ろしいもの』ではなく、わざと『恐ろしいもの』にさせられたのではないかと」
「わざと『恐ろしいもの』にさせられた・・・」
「『この世ならざるもの』だから、『恐ろしいもの』にした。
『恐ろしいもの』に、人々が変えていった」
「『恐ろしいもの』に、人が変えていった・・・?」
「たとえば、先程ゆきさまがおっしゃった能の演目には鬼などの『物の怪』がよく出てきますが、それは仏教との関わりがあるからです」
「仏教との関わり・・・?」
仏教には、
『人に自分の行いを話すことによって、自分の犯した罪が許される』
という考えがあります。
自分の罪を『物の怪』に置きかえ、能に『物の怪』と仏教を取り入れる事によって、『物の怪』を『恐ろしいもの』に仕立て上げた。
能の中で『物の怪』、つまり『自分の罪』は『恐ろしいもの』とし、それを阻むことが出来るのは仏教であり、仏教は素晴らしいものなのだと、私たちに信じ込ませようとしたのではないでしょうか?
仏教の教えを広めるために『物の怪』を『恐ろしいもの』にしたにすぎないのではないかと、わたしは思うのです」
「つまり、少し言葉は悪いかもしれないけれど、仏教の為に『物の怪』を『恐ろしいもの』に仕立て上げ、利用した・・・と言う事?」
「たぶん・・・。
あ・・・。
あと・・・『件』という妖怪を、知っていますか?」
「『くだん』?」
私は、聞いた事がなかった。
私は、はるちゃんの方を向いて聞いた。
「知っている?
はるちゃん?」
はるちゃんは、首を振りながら言った。
「知らない・・・」
岸丸ちゃんはしゃがんで、雪にその『件』の絵を描きながら説明してくれた。
「『件』とは、牛の体と人の顔を持つ妖怪です。
『件』は牛から生まれ、人の言葉を話すと言われています。
生まれてから数日で死ぬのですが、死ぬまでに様々な不吉な予言をするそうです」
「不吉な予言・・・」
私とはるちゃんは、声を合わせて言った。
岸丸ちゃんは意外にも上手に描き上がった『件』を見つめながら、少し声を落として続けた。
「作物の豊凶や流行病、戦などを予言するそうです。
そして、その予言は必ず当たると言われています」
「!!!」
私は、再びはるちゃんの袖を握った。
岸丸ちゃんは、更に声を落として続けた。
「最近・・・『件』を見る人が・・・増えているようです・・・」
「・・・」
「でも、きっと大丈夫です」
岸丸ちゃんは、今度はにっこり笑って言った。
そして、描いた『件』の絵に少し描き加えながら続けた。
「きっと生まれた牛の顔が、単に人の顔に似ていただけですよ」
と言って、人の顔だった『件』の顔を牛の顔に近づけた。
「そして死んでしまったのは、生まれつき身体が弱かったからですよ」
「でも・・・予言・・・は?」
私は、少し震えながら聞いた。
岸丸ちゃんは、立ち上がりながら答えた。
「きっと、鳴き声が人の声に似ていただけですよ。
人が『件』の姿を恐れるあまり、鳴き声が予言に聞こえた。
人が『鳴き声を、予言にした』のですよ。
作物の豊凶、流行病、戦・・・それらを恐れる人の心、不安がもたらしたものなのですよ」
「・・・」
「『物の怪』は、不思議だから恐れるのです。
その不思議の正体が分かれば、怖くなどありません」
岸丸ちゃんは、自信を持って答えた。
私は岸丸ちゃんの言葉を聞いて、思った。
お祖母様と松江様が言っていた言葉と一緒だ。
『得体が知れないから、恐れる』
つまり
『何者かを知れば、知ろうとすれば、怖くなんてない』
岸丸ちゃんは、続けた。
「わたしたちが恐ろしいと思っているものは、伝承と結びついたり、人伝で話が変わったり、故意に話を変えられたり、教育の為に利用されたりしたものなのです。
だから本当は恐ろしいことなんて、ないのです。
恐ろしいと思われている『もの』は全て、ちゃんと説明がつくのです。
説明できないものなど、何一つないのです。
知れば、怖くなどないのです!!」
そう言う岸丸ちゃんに、私は感心しながら言った。
「岸丸ちゃんはまだ子供なのに、随分と大人のような考えをしているのね・・・。
ねえ。
太郎ちゃん?」
私はふと、太郎ちゃんを見た。
太郎ちゃんは、さっきよりも大汗をかいていた。
『だら』
『だら』
『だら』
『だら』
『だら』
まるで、氷が溶けるような汗だった。
私は驚いて、太郎ちゃんの両肩を掴んだ。
太郎ちゃんの肩は、とても冷たかった。
私は、焦りながら太郎ちゃんに聞いた。
「太郎ちゃん!!
太郎ちゃん!!
この汗、尋常じゃない!!
家に帰ろう!!」
「・・・」
太郎ちゃんは、無言だった。
その時、はるちゃんが少し小さな声で私を呼んだ。
「ねえ・・・。
ゆきちゃん・・・」
私と岸丸ちゃんは、はるちゃんの方を振り向いた。
はるちゃんは、何かを考えているような顔をしていた。
私は不思議に思い、はるちゃんに聞いた。
「はるちゃん・・・?
どうしたの・・・?」
はるちゃんは、まだ黙ったままだった。
私と岸丸ちゃんは、顔を見合わせた。
すると突然、掴んでいた太郎ちゃんの肩がすーと消えた。
「え!?」
私は、太郎ちゃんの方を見た。
其処には、太郎ちゃんの姿がなかった。
私は驚いて、岸丸ちゃんに聞いた。
「太郎ちゃんは!?」
「え!?」
岸丸ちゃんも一瞬目を離した瞬間、太郎ちゃんがいなくなり、とても驚いていた。
私は奇妙に思いながら、言った。
「太郎ちゃん・・・家に・・・帰ったのかな・・・?
でも、突然・・・どうして・・・?
大丈夫・・・かな・・・?
ちゃんと・・・家に帰ったのかな・・・?
太郎ちゃんのお母様も、心配するかもしれない・・・。
伝えた方が、良いよね・・・。
ねえ。
岸丸ちゃんは、太郎ちゃんの家を知っている?」
岸丸ちゃんは、首を横に振りながら言った。
「知りません」
「え?
だって、友達じゃ・・・」
「知りません。
さっき、会ったばかりですから。
『太郎』と言う名前だって、さっき、ゆきさまが聞いた時に初めて知りました」
「え?
じゃあ、何処で会ったの?」
「わたしが一人で歩いていたら、いつの間にか横にいました」
「・・・」
はるちゃんが、私の袖を引っ張った。
そして、か細い声で言った。
「不思議に思っていたの・・・」
「・・・何を・・・?」
私は、恐る恐るはるちゃんに聞いた。
はるちゃんは、真剣な顔で続けた。
「わたしには太郎ちゃんの声は聞こえていたけれど、太郎ちゃんの気配は感じられなかったの・・・。
まるで、そこに存在していないような・・・」
「・・・」
その言葉を聞いて、私と岸丸ちゃんは黙ってしまった。
私は、太郎ちゃんを掴んだ自分の両手の平を見た。
手の平は、濡れていた。
そして、太郎ちゃんがいた所を見た。
其処には、丸い水溜りがあった。
まるで、其処だけ『雪』が溶けたようだった。
私達は、その水溜りを見つめながら呟いた。
「・・・『雪』・・・」
「・・・・・・・・『太郎』・・・」
「・・・・・・・・・・・・・・・『雪太郎』・・・」
「・・・・・・・・・・・・・・・『雪太郎』・・・」
「・・・・・・・・・・・・・・・『雪太郎』・・・」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
そして私達は顔を見合わせ、三人で叫んだ。
「『雪太郎』ーーーーーーーーーーーーーー!!」
岸丸ちゃんは、がたがた震えながら言った。
「こ・・・この世には・・・せ・・・説明の・・・つかないことが・・・あるのですね・・・」
そしてその後、私達は駆け足で町へと戻った。
私は必死に走る岸丸ちゃんを見て、
『岸丸ちゃんも、当分『百鬼夜行』を見に行こうとは思わないだろう』
と思った。
私は夕飯の時、『雪太郎』について家族に話した。
家族は、全く信用してくれなかった。
私は自分の話を全く信じてくれない家族にイライラしながら、夕飯を食べ続けた。
私がお漬物を食べようとした時、團一郎がお箸を持つ私の右手の甲を見て言った。
「姉上。
右手の擦り傷が、無くなっていますが・・・」
「え!?」
私は、右手の甲を見た。
擦り傷は、跡形もなく消えていた。
私は、『雪太郎』が私の手を握った事を思い出した。
私は『雪太郎』があの時、治してくれたのだと思った。
『何者かを知れば、知ろうとすれば、怖くなんてない』
もしかしたら『雪太郎』は、とてもとても優しい『物の怪』なのかもしれない。
『家の中の幽霊』だけでなく、『外の物の怪』も、もしかしたら・・・それほど怖くない・・・のかもしれない・・・。
かもしれない・・・。
私は右手の甲を優しく擦りながら、そう思った。




