四つの花 『一.医師』
慶応三年(1867年) 睦月(1月)
私は年始の挨拶の為、小山良運様の家を訪ねた。
継兄さんに託された手紙と、お祖母様が作ったお赤飯を持って。
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小山良運様は文政十年(1827年)、長岡藩『藩医』の家に生まれた。
小山様は蘭学を志し、江戸・大坂・長崎を遊学した。
当時、医学の世界では蘭学や洋学が入っていた。
外科医には、『蘭方医』や『洋方医』がいた。
長岡では、小山様のように医学の分野で蘭学を学ぶ者もいた。
長岡藩『藩医』である新川順庵様、千賀寿悦様、小山良岱様(小山様の叔父)等である。
小山様は江戸では古賀謹一郎様の私塾『久敬舎』に入学し、その当時同塾にいた長岡藩士の花輪馨之進様、三間市之進様、川島億次郎様、継兄さん達と藩政について昼夜問わず語り合ったと言う。
大坂では、医師であり蘭学者でもある緒方洪庵様(『天然痘』治療に尽力)の開いた『適々斎塾』で学んだ。
『適々斎塾』では医学だけでなく、物理や兵学、西洋事情等も学んだ。
また『適々斎塾』の卒業生には、高松凌雲様(古屋佐久左衛門様の弟)、福沢諭吉様がいた。
因みに高松様は慶応元年(1865年)、幕府から『奥詰医師』として登用された。
小山様は長崎では『精得館(『長崎養生所』の後身。幕府の医療施設)』で学んだ。
オランダ人についての知識を深め、多くの名士と関わる事により見聞を広めた。
そして、小山様は多くの蘭書を携えて遊学から戻って来た。
その後、長岡藩の『蘭方医』となった。
小山様は継兄さんと幼馴染で、『継さ』『良運さん』と呼び合う仲である。
二人は同じ意見を持ち、趣味嗜好も同じで、とても仲が良い。
小山様の方が蘭学について継兄さんよりも長けていたので、継兄さんは『藩政改革』の際には小山様に良く相談に乗ってもらっているそうだ。
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お赤飯についてだが、長岡のお赤飯は他の藩のお赤飯とは少々違う。
小豆を使わず、お醤油やお味噌を使って作る。
昔、お殿様が大阪の相撲力士を長岡に連れて来られた。
その元力士達が、当時のお殿様からお醤油(赤味噌から取った溜まり醤油)やお味噌を造る許可を得た。
その後、元力士達は自分達の店の前にあったお寺へお醤油を譲る事になった。
そのお寺が、貰ったお醤油で味付けしたご飯を信徒達に提供した。
それが長岡のお赤飯、『醤油赤飯』である。
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「明けましておめでとうございます。
今年も、どうぞ宜しくお願い致します」
私を出迎えて下さった小山様と奥様に、私は丁寧に挨拶した。
小山様と奥様は、微笑みながら答えて下さった。
「明けましておめでとうございます。
今年も、どうぞ宜しくお願い致します」
私は、奥様にお祖母様から言付かったお赤飯を差し出しながら言った。
「これを・・・。
お祖母様が作ったお赤飯です。
どうぞ」
奥様はお赤飯を受け取り、とても嬉しそうに答えて下さった。
「まあ。
有難うございます。
もみじ様に、宜しくお伝え下さいね。
さあ。
ゆきさん。
お入り下さい」
「はい」
私は、家の中へ招かれた。
小山様の部屋に通される途中、床の間の部屋が開いている事に気付いた。
その床の間には、掛軸が掛かっていた。
その掛軸には、細長い何かを噛んでいる人間のようなものが描かれていた。
私は立ち止まり、掛軸を指差しながら小山様に聞いた。
「あの掛軸は、何ですか?」
小山様は私の指差す掛軸を見て、答えてくれた。
「あれは、『神農』だ。
医師を生業とする家では、正月に『神農』の描かれた掛軸を飾って祭る。
これを、『神農講』と言う」
「『神農』?」
「そうだ。
『神農』は、清(中国)の神話に出て来る『三皇五帝』の一人だ。
『三皇』は、神。
『五帝』は、聖人の事だ。
『神農』は人々に医療や農耕を教えた医薬の神様で、清では『神農大帝』とも言われる。
古代の人々は野草や木の実など何でも口にした為、病気に罹ったり、最悪、死に至った人々もいた。
その為『神農』は民に食用と毒草の違いといった医療を、そして五穀を栽培するなどの農耕等も教えた。
『神農』の身体は頭と四肢以外全て透明で、内臓がはっきり見えたと言う」
「身体が透明で、内臓が見えた?
何故ですか?」
「『神農』は実際に植物を食べ、その植物に薬効があるか、毒性があるかを判断した。
つまり、その植物が薬草か毒草かを自分の身体を見て確認したのだ。
その植物に毒があれば、内臓が黒くなる。
それを見て、植物の毒が身体のどの部位に影響を与えているのかを見極めた。
だから、身体が透明だったのだ」
「あ!
では、あの『神農』が噛んでいるものは植物ですか?」
「そうだ。
植物を噛んで、医薬になるかを自分で試している絵だ」
「へえ・・・。
でも、そんなに薬草だか毒草だか分らないものを食べて、『神農』は大丈夫なのですか?
毒草である事だって、ありますよね?」
「ああ。
だから『神農』は沢山植物を食べて、一日に七十回も中毒に罹った」
「え!!」
「そして長年多くの植物を食べ続けた為、体内に毒素が溜まり、遂に死んでしまった」
「神様なのに・・・」
「『神農』は、自分を犠牲にしてまで人々を助けようとした。
それこそが『本当の医師』であると、この掛軸は言っている。
医師とは、本来『神農』のようにあるべきである。
自分を犠牲にし、人々を病に罹らない様にし、人々の病を治す事が医師の『役割』である」
「病に罹らない様にする事・・・。
病を治す事・・・」
「そうだ。
ゆきは、松本良順を知っているか?」
「松本・・・りょうじゅん様・・・ですか?
いいえ。
知りません」
「松本良順はオランダ軍医ポンペから医学等の蘭学を学び、『奥医師』『医学所頭取』『将軍侍医』などになった『蘭方医』だ」
「凄く先進的で、優秀な方なのですね・・・」
「ああ。
その松本良順は一昨年京都の『新選組』の屯所を訪れた際、『新選組』隊士達の健康診断を行ったそうだ。
その結果、隊士百七十人中、七十人以上が病気だった」
「そんなに・・・?
何故ですか?」
「病気はそれぞれだったが、『感冒(風邪)』『食中毒』『梅毒』、それと『労咳』だったそうだ」
「『労咳』・・・」
兄上と、同じ病気・・・。
私は、兄上の姿を思い出した。
兄上と同じ苦しみをその人もしているのかと思うと、とても他人事とは思えなかった。
小山様は、続けた。
「松本良順は先ず病人と健康な人を別々の部屋にし、病人には看護人をつけたそうだ。
これ以上、病気がうつらない様にする為に。
そして垢まみれで皮膚病に罹っている隊士も沢山いたので、風呂を作らせて清潔にさせたそうだ。
この松本良順の意を汲んで素早く行動に移したのは、確か『新選組副長』の土方歳三・・・と言ったか・・・?」
「土方・・・様・・・」
誰だろう・・・。
小山様は、続けた。
「それと松本良順は隊士達に精が付くようにと、豚や鶏を食べる事を勧めたそうだ」
「え!!
豚や鶏を!?」
「ああ。
松本良順は屯所で豚を飼わせ、鶏小屋を作らせた。
屯所には、残飯や腐りかけた魚や野菜が沢山あった。
豚には、残飯などを与えて肥えさせて食べるようにさせた。
鶏には腐りかけの魚や野菜を良く洗って食べさせ、鶏卵を隊士達に食べさせた」
「鶏卵はともかく・・・豚・・・を・・・食べるのですか?」
「そうだ」
私はそれを聞き、少し嫌悪感を感じた。
豚を食べるなんて・・・。
昔から
『四つ足の獣は、汚らわしい』
と言われていて、食べる事が憚られていた。
私は一度も食べた事がないし、食べたいと思った事もなかった。
小山様は眉間に皺を寄せる私に気付いたのか、微笑みながら質問した。
「何故、『四つ足の獣は、汚らわしい』と言われていると思う?」
「え・・・。
それは・・・」
私は、言い淀んだ。
昔から、そう言われているから・・・。
だから私も、
『四つ足の獣は、食べてはいけない』
と思っている。
小山様はそんな私を見て、丁寧に説明し始めた。
「『四つ足の獣を、汚らわしい』と言うが、彦根藩は昔から将軍家へ『牛肉の味噌漬け』を献上している。
『味噌漬け』にしたのは、運ぶ途中の腐敗を防ぐ為だそうだ。
将軍家でも牛肉を食しておられるし、噂では彦根藩だけでなく他藩でも牛肉を食べていると聞く」
「え!?
そうなのですか?」
「ああ。
『大老』井伊直弼様の頃に『牛肉禁止令』が出たが、それ以前は普通に食べられていた。
牛馬には滋養があり、身体にも良く、尚且つ美味しかったからだ」
「普通に、食べられていた・・・?」
「そうだ。
そして彼らが食べていた牛馬は農耕用の牛馬ではなく、『痛み牛馬』と言う怪我をして役に立たなくなった牛馬だった。
人が牛馬を食べたのは、
『怪我をした牛馬は、辛そうだ。
辛いのなら、いっそ殺して食べてしまった方が良い。
そうすれば、牛馬はこれ以上苦しまなくて済む』
と言う、牛馬に対する人間の愛情からなのだ。
ある意味、それは人間の傲りなのかもしれない。
人間本位の、勝手な真心なのかもしれない。
しかし牛馬と共に生きて来た人々は牛馬の苦しみを感じ、牛馬の事を考えてきた。
牛馬を、愛していた。
世間が『四つ足の獣は、汚らわしい』と思っていようとも、牛馬を愛している人々は決して牛馬を『汚らわしい』とは思っていなかった」
「牛馬を、『汚らわしい』とは思っていない・・・」
「ああ。
牛馬は、決して『汚らわしくない』。
では、何故我々が『四つ足の獣は、汚らわしい』と思っているのか?
それは『四つ足の獣を、食べてはいけない』と言う宗教上の理由と、『五代将軍』徳川綱吉公が発せられた『生類憐れみの令』のせいだ。
『殺生をしてはならない』
と言う教えから、そうなったに過ぎない。
『四つ足の獣が、汚らわしい』からではない。
『殺生をしない』為に、
『四つ足の獣を、汚らわしいものにした』
に過ぎない」
「『殺生をしてはいけない』から、『四つ足の獣を、汚らわしいものにした』・・・」
「そうだ。
どんな理由があろうとも、『汚らわしくないもの』を『汚らわしいもの』にしてはいけない。
確かに、私達は『四つ足の獣が、汚らわしい』と幼い頃から教えられている。
教えを守ると言う事も、大事だ。
それが良いと思われていたからこそ、伝えられているのだから。
だが、教えを盲目的に信じてはならない。
教えが、全て『正しい』とは限らない。
『正しくない』事もある。
それは、時代や考え方によって変わるものだ。
教えを知り、教えを学び、教えを考え、教えを伝え、教えを正す。
全ての教えが、世間で言われている事が、信じている事が、本当に『正しい』かどうか、人は考えなければならない。
『正しい』のならば、それで良い。
しかし『間違い』ならば、それを正す努力をしなければならない。
真実や意味を、知る努力をしなければならない」
小山様の言葉を聞き、私は思った。
私は今まで、教えは全て『正しい』と思っていた。
『間違い』があるなんて、思った事はなかった。
それは私が、教えが絶対だと思い込んでいたからなのかもしれない。
そして、教えに疑問を持つ知識や経験が無かったせいなのかもしれない。
私が、無知で無理解なせいだったからなのかもしれない。
私は自分の不甲斐なさを悔しく思いながら、小山様に言った。
「私は・・・。
私は・・・何も考えていなかったのかもしれません・・・。
『四つ足の獣は、汚らわしい』と、ずっと思っていました。
だから、『食べてはいけない』・・・と。
その事に、何の疑問も抱きませんでした。
でもそれは牛馬に対する侮辱でもあり、冒涜でもあったのかもしれません。
私達は牛馬以外にも、本当に何が『正しい』のかを、これから考えなければならないのかもしれませんね・・・」
小山様は私の顔を優しく見つめ、そしてゆっくり口を開いた。
「『殺生をしてはならない』
それは、勿論『正しい』。
『生きているもの』を殺す事が、『正しい』訳がない。
だが我々が生きる為には、食べる為の生き物を犠牲にしなければならない。
それは我々が生きる為に、今までずっと続けられてきた事だ。
食べなければ、皆死ぬ。
人も獣も虫も、そして魚も。
皆、お互いを犠牲にしながら生きている。
そうやって、今までも、これからも、この地上に生きるもの達は何かを犠牲にして生き続けるのだ。
それを変える事は、決して出来ない。
だから我々人間は、我々の為に犠牲になった者達に、せめて感謝を表す事にした。
それは犠牲になった者達に手を合わせ、食べる時に
『頂きます』
そして食べ終わった時に
『御馳走様』
と言う言葉を発する事だ。
感謝を、言葉と態度で表すのだ。
だから米も野菜も肉も、『全て残してはならぬ』と幼い頃から教えられている。
犠牲になった者達の死を、無駄にしてはならない。
犠牲になった者達の分まで、我々はしっかりと生きなければならない。
全てに、感謝しなければならない。
それは、どんなものにでもだ・・・」
私はこの時、作助さんと母上の言葉を思い出した。
『私たちはその『犠牲』を忘れないために、自分たちを戒めるために、『神さま』に感謝し、『神さま』を敬い、『神さま』を守り、『神さま』にお祈りするのです』
『『自然』に『神さま』が宿っていらっしゃるように、『もの』にも『神さま』や『人間の魂や思い』が宿っているのです。
ですから、私達はそれら全てを大切にし続けなければならないのです』
同じ事を、小山様はおっしゃっているのだと思った。
「ああ・・・。
済まない。
話が、脇道に逸れてしまった」
小山様は、少しはにかんだ顔をして言った。
そして、続けた。
「本当に良いものは、取り入れるべきだ。
松本良順は人にとって良いものを、医師の立場から取り入れたのだ。
松本良順は、『神農』の教えをしっかりと守っている。
人々を病に罹らせない、人々の病を治すと言う医師の『役割』を、松本良順はしっかりと果たしている。
それに引き換え、今の医師は金儲けに走っている者達が多い!!
しかも『本道の医師』と『蘭方医』が対立しているなど、本来の医師の『役割』を忘れている!!」
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『本道の医師』とは、『漢方医』の事である。
『漢方医』とは、清から伝わった東洋医学を以て人を治療する医師の事である。
『問診(患者に病状等を聞いて診断)』
『望診(患者の目や舌などを見て診断)』
『触診(患者の身体に直接触れて診断)』
『聞診(患者の体臭などを嗅いで診断)』
そして、『漢方薬(生薬で作られた薬)』を処方して患者に治療を施した。
『蘭方医』とは、長崎出島のオランダ医師などから伝えられた西洋医学を以て、人を治療する医師の事である。
外科的手術を施すなどして、患者を治療した。
当時の日本人は、西洋人の事を紅毛人と呼んでいた。
その為、蘭方学は『紅毛流医学』『紅毛流外科』とも言われていた。
将軍付の『奥医師』として、『漢方医』と『蘭方医』は対立していた。
その対立が表面化したのは、日本で『天然痘』が大流行した時だった。
『蘭方医』は神田お玉ヶ池に『種痘所』を構え、『天然痘』の予防接種を行った。
それにより、『蘭方医』の名声は高まった。
『漢方医』達の『医学館』に対し、その『種痘所』は後に『医学所』と言う名になった。
今までぬるま湯に浸かっていた『漢方医』達は自分達の地位を揺るがし兼ねない蘭方医学排斥を、また『蘭方医』達も自分達の地位を上げるよう目論むようになり、対立が益々激化していった。
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そう言うと、小山様は少し憤りながら自分の部屋へと足早に向かい始めた。
私は、そんな小山様の後を焦りながら追った。
私達は小山様の部屋に入って座ったが、小山様はまだ少し不機嫌そうだった。
私は、小山様の機嫌を何とか直そうと思って言った。
「あの・・・。
それにしても、あの『神農』の絵は、とても上手でしたね・・・。
まるで生きているような・・・。
現実感があると言うか・・・」
私がそう言うと、小山様は少し嬉しそうな顔で言った。
「あの絵は、息子の正太郎が書いた絵だ」
「え!?
正太郎ちゃんが!?」
「ああ。
私の影響のせいか、正太郎は西洋画に興味があるようだ」
「へえ・・・。
だから、何だか日本画と少し違ったのですね・・・。
とても現実味があって、綺麗な絵でした」
「そうか・・・」
小山様は、少し照れながら言った。
私は小山様の機嫌が少し直り、安堵した。
そして私は
『継兄さんから頼まれた手紙を渡すのは、今だ!!』
と思い、小山様に手紙を差し出しながら早口で言った。
「あ!
小山様!!
この手紙を、継兄さんが小山様にお渡しするようにと!!」
「継さから・・・?」
小山様はその手紙を受け取ると、一読した。
そして、険しい顔をした。
私は、心配になって聞いた。
「小山様・・・?
どう・・・されたのですか・・・?」
小山様は私の方を向き、にっこりと笑って言った。
「何でもない」
そして、小山様は再び手紙に目を落として苦しそうに呟いた。
「ただ・・・」
「・・・」
「ただ・・・継さは・・・これから大変になるだろう・・・」
私は、この時の小山様の苦しそうな顔をしばらく忘れられなかった。
私は、不安になった。
『何かが、これから起ころうとしているのかもしれない・・・』
私の手は、小刻みに震えていた。




