三つの花 『十二.志』
慶応二年(1866年) 師走(12月)
新たな将軍が、誕生した。
『十五代将軍』徳川慶喜公である。
徳川慶喜公は『御三卿』の一つ『一橋徳川家第九代当主』であり、『水戸徳川家第九代藩主』徳川斉昭公の七男でもあった。
英邁の誉高く、『将軍後見職』『禁裏御守衛総督』などを歴任した後、徳川宗家を継ぎ、この度『将軍職』に就任された。
慶喜公は父・徳川斉昭公の影響を強く受け、『尊王思想』を色濃く受け継いでいた。
その思想が、後の幕府に大きな影響を与える事になる。
慶喜公将軍職就任の数日後、天子様(孝明天皇)が三十六歳の若さで御隠れになった。
ただ、天子様の死には不可解なところがあり、
『殺されたのではないか』
と言う噂が真しやかに囁かれていた。
何故、そのような噂が立ったのか?
一つは、突然過ぎる死。
天子様は、『痘瘡(天然痘)』に罹っておられた。
しかし症状は軽くなり、回復の兆しが表れていた。
それが突然
『御九穴より御脱血、実以恐入候御容体の由』
と言う状態になられ、天子様は崩御された。
もう一つは、『尊王攘夷派』にとって、天子様は邪魔な存在であったから。
天子様は『攘夷』を唱えられていた点では、幕府とは意見を異にしておられた。
しかし天子様は幕府を、特に『京都守護職』である『会津藩主』松平容保公を殊の外信頼されていた(容保公は文久三年(1863)に、天子様から『御宸翰(天子様直筆のお手紙)』と『御製(天子様の和歌)』を下賜された)。
そして暴力的で過激な長州藩に対しては、嫌悪感を感じておられた。
その為、幕府を倒そうと考える『公家』の岩倉具視や長州藩等の『尊王攘夷派』にとって、天子様は邪魔な存在であった。
幕府びいきであらせられた天子様の死によって、時代の流れが大きく変わっていった。
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この日、私は割れた湯呑みを持って『焼継屋』を探していた。
『焼継屋』とは、割れたりヒビの入った陶磁器等に白玉粉(鉛ガラスの釉薬)や粘土を接着剤として使って付け、再び焼き直して修理する人の事である。
何故、私が『焼継屋』を探していたのかと言うと・・・。
それは、朝、私が自室でお茶を飲んでいる時、うっかり手を滑らせて湯呑みを割ってしまったからである。
私専用の『粉引唐津(素地に白泥で化粧したもの)』の湯呑みは単なる『白』ではなく、『温かみのある白』で、私のお気に入りの湯呑みだ。
湯呑みは綺麗に真っ二つに割れたので、腕の良い『焼継屋』に頼めば元通りになると期待して、私は『焼継屋』を探し回っていた。
元通りにならなければ、困る。
私は、母上にまた叱られる事になる。
湯呑みを割った事は、今のところ私以外誰も知らない。
だから私は誰にも割った事を悟られずに、湯呑みを元通りにしなければならないのだ。
しかし、そう簡単ではない。
『焼継屋』は店を持たないから、自力で『焼継屋』を探さなければならないのだ。
私には何の伝手もないものだから、取り敢えず色々な人に聞き回った。
四半刻(約30分)後。
私はある長屋に何でも直せる『焼継屋』が住んでいると聞き、その家を訪ねる事にした。
私は少し緊張しながら、教えてもらった長屋の入り口から声を掛けた。
「済みません・・・」
中から、ごそごそする音が聞こえて来た。
そして、小柄な男の人が出て来た。
その人は私を一瞥すると、無愛想な表情で言った。
「・・・何でしょうか?」
私は袱紗から真っ二つになった湯呑みを出して見せ、怖々しながら言った。
「あの・・・。
湯呑みが割れてしまって、『焼継』をお願いしたいのですが・・・」
『焼継屋』さんは私の手から湯呑みを取ると、真剣になって湯呑みを見た。
そして
『粉引の唐津焼きか・・・。
随分古そうだ・・・』
と、ぼつぼつ言った後、
『三日後、とりに来い』
と言った。
私は直る事が嬉しく、大声で返事をした。
「はい!!」
すると、後ろから声を掛けられた。
「ゆきさん」
私は驚いて後ろを振り返り、声の主を見た。
その人は、萩原貞之丞様だった。
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弘化二年(1845年)生まれの萩原貞之丞様は、長岡藩士・萩原要人様のご子息である。
十七歳の時に野村氏を嗣いでいたけれど、未だ姓は『萩原』のままだった。
萩原様は、継兄さんの甥でもある。
継兄さんに似て、かなり肝が太い方でもある。
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「あ。
萩原様。
こんにちは」
私は頭を下げながら、言った。
萩原様はにっこり笑いながら、答えてくれた。
「ああ。
ところで、何故ゆきさんが此処にいる?
また、何か割ったのか?」
何故『また』と言われたのか気になったが、私は取り敢えず答えた。
「え・・・。
はい・・・・
その・・・湯呑みを割ってしまって・・・」
「おお!!
そうか!!
では、此処を選んだのは正解だ!
此処の『焼継屋』は、腕が良い!
何でも直る!!」
萩原様は、自信満々に答えた。
私はその言葉に安心して、言った。
「そうですか・・・。
良かった・・・。
もしかして、萩原様も修理に・・・?」
「私は、修理に出していた茶碗を取りに来た」
すると、ずっと黙っていた『焼継屋』さんは『どうぞ』と言って、私達を部屋の中に招いてくれた。
その部屋には、とても沢山の陶磁器があった。
『京焼』
『備前焼』
『九谷焼』
『萩焼』
『信楽焼』
『薩摩焼』
『砥部焼』
『有田焼』
『瀬戸焼』
『美濃焼』
『伊万里』
どれも、素晴らしいものばかりだった。
こんなに凄いものを一度に見たのは初めてだったので、私は遠くからじっくりと一つ一つを見た。
すると、ある事に気付いた。
大半の陶磁器に、独特な絵が描かれていたのだ。
それは以前、兄上が見せてくれた西洋の絵に良く似ていた。
日本の陶磁器に西洋の絵など、今まで描かれていなかったのに・・・。
私は不思議に思いながら、それらの陶磁器を眺めた。
「ゆきさん・・・?」
私の様子に気付いたのか、萩原様が心配そうに私に声を掛けた。
すると、『焼継屋』さんが萩原様のお茶碗を持って来た。
そして、大事そうに差し出しながら言った。
「どうぞ、ご確認下さい」
私は、そのお茶碗を見て驚いた。
それは、とても高価そうな『金襴手』のお茶碗だった。
『金襴手』とは、『色絵』の上に『金彩(金箔等で彩る事)』を施して豪華にしたものである。
萩原様はその『金襴手』のお茶碗を受け取ると、じっくり眺めた。
そして、満足そうに言った
「うん!
完璧だ!!」
それを聞いた『焼継屋』さんは、少しほっとしたようだった。
私は、横からそのお茶碗をまじまじと見た。
そのお茶碗は『焼継』ではなく、『金継ぎ』が施されていた。
『金継ぎ』とは、文字通り金で継ぐ事である。
陶磁器の割れた部分に漆を付けてくっつけ、其処に金粉を撒いて修理する方法である。
修理後の継ぎ目を、『景色』とも言う。
『金継ぎ』によって、割れる前とは違う美しさが、その陶磁器に宿る。
私はその『金継ぎ』が施された『金襴手』のお茶碗を見て、溜息をつきながら言った。
「こんなに素晴らしい『金襴手』のお茶碗を、私は見た事がありません。
随分と、高価だったのでしょうね・・・」
萩原様は、笑いながら答えた。
「ああ・・・。
これは、元々割れていたものを買ったのだ。
そうでなければ、高くて買えない。
割れている部分を『金継ぎ』すれば、また使えるからな。
だから、今回この『焼継屋』に『金継ぎ』を頼んだのだ」
「そうだったのですか・・・」
萩原様は『焼継屋』さんにお礼を言い、私は三日後再び来る事を伝え、『焼継屋』を後にした。
萩原様は、私を家まで送ってくれた。
その帰り道、私は『焼継屋』さんの所にあった西洋風の絵が描かれていた陶磁器について萩原様に話してみた。
「先程の『焼継屋』さんには、西洋風の絵が描かれた陶磁器が多かったように思いました」
「ああ。
『開国』の影響だろうな・・・。
外国へ輸出する為、外国人が好みそうな『もの』を作っているのだよ」
「外国人が好みそうな『もの』・・・」
私はそれを聞き、少し不安になった。
そんな私の様子を察した萩原様は、私の顔を覗き込みながら言った。
「・・・どうした?」
「いえ・・・。
あんな西洋風の絵が日本の陶磁器に施されるなんて、考えた事もなかったので・・・。
何だか、日本が、日本でなくなっていくような気がして・・・」
「・・・」
「以前、ある職人さんが言っていたのです。
『銃器が、刀剣に取って代わろうとしている』
と。
その職人さんは刀剣が無くなる事よりも、刀剣を作る技術が消えてしまう事を恐れていました。
技術を守る為に、職人さん達は出来るだけ残すと言っていました。
でも、今日、私は先程の『焼継屋』さんの所で沢山の陶磁器を見て思ったのです。
『知らない間に、日本の文化が外国の文化に侵されてしまうのではないか』
と。
一日でも早く外国に追いつく為に外国の文化を取り入れる事は必要な事かもしれませんが、それが何だか少し『怖い』と思って・・・。
『職人さん達が代々受け継いできた、残してきた技術が、いつの間にか無くなってしまうのではないか』
と」
すると、私の言葉を静かに聞いていた萩原様がゆっくりと口を開いた。
「確かに・・・『開国』してから、次々と外国文化が入って来ている。
しかしそれは、ゆきさんの言っていた通り、日本の発展の為に必要な事なのだ」
「・・・」
「『第二次長州征伐』失敗以来、幕府は軍事力の洋式化を進めている。
洋式銃や洋式砲は、これから益々日本に入って来るだろう」
「・・・」
「外国文化が入る事によって、京都に蔓延っている殺人剣さえもいずれ無くなるだろう・・・。
最早、刀剣の時代ではない・・・」
「・・・」
「我々はこれからも、日本文化の洋式化を進めなければならないのだ」
「・・・」
すると萩原様は突然立ち止まり、一呼吸置いてからはっきりと言った。
「私は、海軍に入りたいと思っている」
「海軍・・・。
何故・・・ですか?」
「もし戦が始まった場合、海軍が重要だからだ。
諸外国が長州藩や薩摩藩を攻めて来た時、その圧倒的な軍事力の差に日本は愕然とした。
特に海軍力の差は、歴然だった。
日本を外国の侵略から守る為に海軍力を高める事が、急務となった。
日本は、周りを海に囲まれている。
『一つの大きな城』である日本は、海からの攻撃を四方から受ける。
もし日本が海から攻撃を受ければ、日本は『籠城戦』を強いられる。
『籠城戦』に必要なものは、『援軍』『兵糧(軍隊の食糧)』『武器』である。
今の日本には、援軍は期待出来ない。
『兵糧』は日本国内のものが尽きれば、飢餓に陥る。
『武器』が無ければ、反撃出来ない。
それを全て賄う為にも、海軍力が必要なのだ。
海軍があれば、他国から『兵糧』を調達する事が可能だ。
海軍があれば『武器』を輸入出来、海へも攻撃出来る。
もしかしたら、他国へ『援軍』も要請しに行けるかもしれない。
その地盤を固める為にも、他国よりも優れた海軍を作る為にも、日本は海軍力を高めなければならない。
国を、人を守る為にも・・・。
その担い手に、私もなりたい!!」
「・・・」
「ゆき」
「・・・はい」
萩原様は、心配そうな顔をしている私の頭を撫でながら続けた。
「私は先程、『日本は益々洋式化する』と言った」
「はい・・・」
「だが武器が洋式に変わっても、戦い方が変わっても、『変わらないもの』がある」
「『変わらないもの』・・・」
「そうだ。
『変わらないもの』・・・それは、『志』だ」
「『志』・・・」
「我々は
『どんな事があろうとも、武士として見苦しい生き方をせず、潔く死ぬ』
と言う『志』は捨てない。
『死ぬ準備を、常にしておく』。
どんなに時代が変わろうとも、『常在戦場』の『志』は変わらない。
それは我々の誇りの為であり、子孫の為でもあるからだ」
「子孫の・・・為?」
「子孫に負い目を負わせない為、誇りを持って生きてもらう為に、我々は絶対に『志』を曲げない。
曲げてはならないのだ。
我々の『生き方』は、我々先人から子孫へ向けた『言伝』でもあるのだから」
「『言伝』・・・」
「そして先程見た陶磁器も、この『金襴手』の磁器もそうだ」
そう言って、萩原様は自分の手の中にあるお茶碗を見つめた。
「この陶磁器も、時代が変わる度に変遷してきた。
『柿右衛門(伊万里焼)』も、『浮世絵』や風俗絵が描かれた『有田焼』も、今のように外国へ輸出する為に誕生したものだ。
外国へ輸出する為に、日本の陶磁器は変わっていった。
外貨を得る為に・・・。
生き残る為に・・・。
また、唐(中国)の『唐三彩(緑色・赤褐色・藍色の陶器)』に影響を受けた『奈良三彩』。
『宋磁』の影響を受けた、『印花(文様を型押しで付けたもの)』や『彫花(へらで文様を彫ったもの)』が施された陶磁器。
『青磁』に近づけようとして誕生した『黄瀬戸』。
様々な外国の文化が日本に入って来て、その度に日本の陶磁器も変わってきた。
そして、その中で日本独自のものを作っていった」
「・・・」
「しかし、それら陶磁器も時代を経て変わりながらも、『変わらなかったもの』がある」
「『変わらなかったもの』・・・。
それが・・・『志』・・・?」
萩原様は、微笑みながら頷き言った。
「そうだ。
『どんな事があっても、伝統は残すと言う『志』』だ」
「『どんな事があっても、伝統は残すと言う『志』』・・・」
「その『志』が変わらなかったからこそ、今の陶磁器があり、伝統も受け継がれている」
「変わりながらも、伝統が受け継がれている・・・」
「そうだ。
『開国』をすれば、日本は変わる。
今のままでは、いられない。
変わらなければ、ならないのだ。
今まで同様、日本は様々な文化を取り入れ発展し、独自のものを作り続ける」
「・・・」
「だが、たとえ外見が変わったとしても、我々の本質は変わらない。
根本は、変わらない。
伝統技術も、『人』も、『志』も変わらない。
この国を愛しているから、守りたいから、我々は決して変わらない!!
変わる事は、決してないのだ!!!」
力強くそう言いきる萩原様に、私は少し力を得たような気がしてきた。
そして、思った。
先人達がやってきたように自分も変わりながらも、
『変わってはいけない』
と。
『日本人として誇りを持って生き、子孫達に残し続けなければならない』
と。
私達の『言伝』を子孫達に、そして、その『言伝』を子孫達の、その次の世代へ伝えてもらう為に・・・。
私達は『変わらない』し、『変わってはいけない』のだ。
私は、空を見上げた。
その先に、自分の『役割』が少し見えてきたような気がした。
私は、じっと空を眺め続けた。
変わりゆく雲の先にある青い空を・・・。
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数週間後、私は母上にこっぴどく叱られた。
湯呑みを割った事に、母上がとうとう気付いてしまったからだ。
やはり、悪い事は出来ないものだ・・・。
ただ『焼継屋』さんの腕が良かったので、母上も湯呑みが割れていた事にしばらく気付かなかったようだった。
母上は一通り私を叱った後、
『この湯呑みを直した『焼継屋』さんは、何処にあるの?』
と私に聞いてきた。
それを聞き、私は
『職人さんは、やっぱり凄いな・・・』
と再び感心した。




