ユーディーン・アラン・バートレット(後)
「この子が嘘をついているようには見えませんわ。それに彼女のことは、私もよく知っています、古株の客室清掃担当です!」
「………。」
「し、仕事に誇りをもっていますし、誰かに干渉されたということも考えにくいし、だから、そのっ…」
王妃は顔を真っ赤にして、思いつくままに言葉を並べて、少女を擁護する。
必死だ。ものすごく必死だ。…もしかしたら、召使の少女と同じくらい。
何故、彼女がここまで赤の他人、しかも使用人をかばうのか…ユインには理解できない。本当に、この妃は『普通』とかけ離れた存在であることを再確認した。
ざわざわと喧騒が大きくなる。気付けば、なんだなんだと見物客のように人が集まってきているのが遠目で見えた。
ことを荒立てるのはユインとしても本意ではない。
ーーまあ、この女にはしばらく監視でもつけておけばいい。
そう思った彼は、はあ、とため息とともに言葉を吐きだした。
「…まあ、王妃様がそうおっしゃるのでしたら。」
「本当ですか!」
「あ、ありがとうございます!」
途端にぱっと顔を輝かせた少女たち。
しかし、よかったよかったと共に手を取り喜びあっている…のはなんだか納得いかない。
こちらは職務を全うしただけであって、意地悪を言った訳ではないのだが。
「本当に、すみませんでしたっ!」
内心むっとした男を余所に、明らかに安堵した様子の召使の少女は、半泣きになりながら再度謝罪した。
そしてぺこぺこ腰を折りつつも仕事の続きがある、とそそくさと去って行った。見物人たちもことが納まったのを悟り、早々に散って行った。
その場に残されたのは王妃と王の側近の男のみ。
男はちらりと王妃を盗み見た。
彼女は達成感に満ち溢れたような顔で召使を見送っていたが、ふとこちらの視線に気付いたのか、『まずいことをしてしまったかも』と、うっすら顔を青ざめさせた。
――お人よし、単純、行きあたりばったり、考えが浅い。
本当に、何故彼女が正妃になれたのかという疑問がまたユインの中で湧いてくる。
技量、振る舞い、容姿その他。
大成したヴィルフリート王の隣に並ぶにはあまりにも足りない部分が多すぎる。
「……マルグリット様、お聞きしたいことがございます。」
しばらく両者は無言を貫いていたが、男性の方がおもむろに口を開いた。
「は、はい…すみません、勝手に口をだして…」
「別に今のことを怒っているわけではありません。」
「え?」
怯えるように男を見上げていた顔から一変、マルグリットはきょとんとした表情を作った。
まるでなにがなんだか分からない、と言っている風だ。
揶揄するようにふっと短く息を吐きだした後、『そうではなく、以前からお聞きしたかったことです。』と続ける。
先程まで、考えていたこと。
もし、貴女が。
「もし、エイミィがいなかったら…『なりかわり』ができなかったとしたら、貴女はどうしていました?」
「え?」
もし貴女が『エイミィ』でなかったら――貴女は、正妃には、立っていなかったのでは?
ユインは鋭い眼差しでマルグリットを見つめた。
―マルグリットはすでに式も終え、名実ともに正式な妃となった。
過去は変えることができない、こんな問いは愚問もいいところだ。
しかし、どうしても聞いてみたかった。
奇妙な事件の連鎖で国王と結婚することになった、マルグリット。彼女は、それをどう思っているのか、もし『なりかわり』がなかったとしたら、彼女はどうしていたのか――その答えを。
一方、彼の質問を聞いたマルグリットは、口を結んで不可解そうな顔をしていた。
勝手に召使の罪を許してしまったことのお咎めかと思いきや――なんで、『なりかわり』の話になったのかしら?
「何故、そのようなことを?」
「いえ…気になったもので。答えて頂けますか?」
「はあ…」
マルグリットは未だに「?」を頭の上に浮かべていたが、男の真剣な表情を見、『そうですね』と口に手を当てて考え込んだ。そしてしばらくして、口を開く。
「うーん、それは困りますね。『なりかわり』も結構苦労して立てた計画だったので…。」
「では…後宮で側室として生活していたと。」
「いいえ。」
マルグリットはきっぱりと答えた。
「それはありえませんわ。」
「は…?」
ふん、と胸をそらして言いきるマルグリットに、ユインは目を丸くした。
「もしも、『なりかわり』ができなかったとしても―」
王妃の緑の瞳がきらりと光る。
好奇心に充ち溢れた目。その輝きに不覚にも男は目を奪われた。
「この私のことです、きっと、懲りずにまた別の方法を探していたでしょうね。」
「……。」
「ふふ、私は変わりものなのです、ユイン様。実はずっと下女の仕事に憧れていて…せっかく王宮に来たのだもの、色々なものを見たかったし、元々働きたいという意思もあって。」
「っしかし、王と知り合ったのは、」
「まあ、それは…偶然ですが。正直に申しますと、私も何故このようになったのか分からな…」
「マルグリット!!」
驚きの表情を隠せないユインに、苦笑するマルグリット。
すると、その両者の会話に、突然割り込んできた人物がいた。
「大丈夫か!?」
「陛下…」
その人物とは――まさにリートルード国現国王、ヴィルフリート・マーヴィン・フレアベルであった。ここまで走って来たのか、彼は肩で息をしていた。
そしてマルグリットの傍に近付くなり、両肩をがしっとつかみ、『怪我は、どこにも傷はついていないか!?』とまくしたてる。どうやら、先程のことをすでに聞き及んでいるようだ。
「何をしているユイン!早く医者を呼べ!」
「へ、陛下!大丈夫です、なんともありませんから…」
「いいや、お前の『大丈夫』は信用できない。今すぐ私つきの侍医を…」
「いやいや、だからぁ!」
嫌がる妃をその腕でぎゅうと抱きしめ、側近に声高に命令する王。
眉を上げ顔を歪め、普段の冷徹な態度が嘘のように非常に表情豊かである。
彼がここまで取り乱すのも珍しいと思う――いや、違う。
そうだ、いつもマルグリット妃が関わった時だけ、彼はまるで王と言う立場を忘れたかのようにうろたえ、恐れを全面に出す。
―彼女が、関わった時だけ。
なんだか妙に納得がいったユインは、ふっと口元に笑みを浮かべた。
「マルグリット様。やはり、念のために医師の診査は受けられた方がいいかと。それと、陛下。軍部との会談はいかがなさったのですか?」
「…休憩中だ。そういえば、何故お前がマルグリットと一緒にいる?」
「偶然ですよ。」
渋い顔をした王に、しれっと言い返すユイン。
下手な嘘をつくようになったのも結婚してからだな、とぼんやり思った。
―しかし、本当にヴィルフリートには早く戻ってもらわなければなるまい。
何しろ今回の会談には、他国の漁船占有者や、わざわざ南の港から呼んだ海軍司令官も出席しているのだ。
彼らを待たせるわけにはいかないでしょう、とユインは彼の背中を押した。
「待て、マルグリットを運んでから戻る。医者は私たちの寝室に呼べ。」
「陛下!?そんな大事な会議があるなら早く戻って下さいよ!…やだ、ちょっと歩けますって…わっ!?」
「うるさい。」
ヴィルフリートは会話もそこそこに、マルグリットを軽い物を持つように抱きあげた。
意外と頑固なところがある王は、こうなってしまったら何者の意見も聞きはしない。
腕の中の王妃は、はあ、と息を吐きだした。
そして背後のユインに視線を向け、
「ほら、陛下は私に甘過ぎますもの。ダンスを踊ったって、褒めるばかりでちっとも練習になりませんわ。」
と、言って苦笑した。
身を翻し、寝室へと歩みを進める彼らの背を眺める。
賑やかに言い合っている夫妻の姿を見ながら、ユインは確信した。
――彼らは、出会うべくして出会い、結ばれるべくして結ばれた。
例え、マルグリットが『なりかわって』下女になっていなかったとしても、ヴィルフリートがおかしな下女を見つけていなかったとしても。
きっと、王は変わりものの令嬢であったマルグリットをどこまでも追いかけ、結婚を迫っただろう。
故に、自分が邪推する必要など露ほどもなかったのだ。
ユーディーン・アラン・バートレットは、国王夫妻を見送った後、医師を手配すべく足早に回廊を駆けて行った。
心なしか、憑きものが落ちたような、すっきりとした顔をして。




