8母が遺した商権
オリディアはルノス商会の客室に通された。
そこにはルトニア帝国とアルノール公国の地図と現ルトニア帝国の皇帝の肖像画が掛けられていた。
「さあ、どうぞ。あっ、申し遅れました。俺はこの商会で会計を担当しているルーライと言います。エドワード様のお知り合いと伺っております。どうか遠慮なさらずゆっくりして行って下さい」
案内してくれた人が名乗って挨拶をすると出て行った。
すぐにエドワード様が入って来た。
「今、お茶が来る」
エドワード様は向かいのソファにどさりと座った。
「あの、あなたはこの商会の何なんですか?」
「ああ、まあ、会頭の知り合いとでも言えばいいかな。まあ、そんなのどうでもいいだろう。それよりオリディア、さっきの商権を見せてくれないか」
オリディアは言われるまま商権証書を取り出す。
「失礼します」
女性がお茶を持って来た。
「彼女はアメリア、もうここで働いて十年以上になるんだ」
「エドワード様余計な事ですよ」
アメリアさんが笑いながらお茶を置く。彼女は茶色い髪で竜族ではないようだ。
それにしても雰囲気のいい商会だなとオリディアは思った。
アメリアさんが退室すると入れ替わりに別の男の人が入って来た。彼は恰幅のいい中年男性で髪はエドワード様と同じ銀色で瞳は青色だった。
彼はエドワード様にさっとお辞儀をする。
「私はこの商会の会頭をしているシュバイン・ブラッドと言います。エドワード様から伺いましたがうちの商権をお持ちだそうで」
「はい、私はボルター・ロードナート侯爵の元妻のオリディアです。この商権は母が残してくれたものだと聞いています」
「見せていただいても?」
オリディアは商権を会頭に差し出した。
会頭はそれを見て顔色を変えた。
「この証券は確かに我が商会の商権に間違いありません。おまけにこれは特別優遇商権と言いましてアルノール公国でもかなり有力な方にしか持てない商権でして、失礼ですがオリディア様のお母様はどちらのご出身でしょうか?」
オリディアは素性を隠すわけにも行かないと母から貰ったブローチを取り出してテーブルの上に置いた。
エドワードもシュバインも一瞬顔つきが変わった。
オリディア自身はあまりこんな物を見せる気はなかったが身分を証明するためには仕方がなかった。
「私の母はアルノール公国前大公の妹だったと聞いております。父が番と分かり母はこの国に来て父と結婚したのですが既に亡くなっております。この商権は私が結婚した後でルノス商会から母から預かっていた物だと私に譲られたものです」
「はい、確かに大公が妹であるイリーネ様に為に所有されていた商権で前大公からお嬢様が結婚される時に譲るように指示されていた物に間違いありません。あなたの素性がはっきりせずオリディア様を試すような事をした事をお詫びします。ですが、いきなりなぜここに?」
「ああ、それは俺が説明する。オリディアはあいつと離縁したんだ。いや、離縁させられたと言った方がいい。ロードナート侯爵は新しい妻を迎えるためオリディアを追い出した。だからこの商権はオリディアが持ち出した。当然の権利だな。シュバイン、オリディアに今年の商権主としての配当金を支払ってくれ。それからロードナートとは新たな契約は結ぶな。来年の契約は今月末だったな」
「はい、後十日後に開かれるブラトア国との魔石の商談でその後の出荷量と金額が決まりますので、新たな契約はその後と言うことになってます」
「そうだったな。オリディア、お前いい時に家を出たな。そう言えばあいつ財務副局長だろう?浮気してルノアールの公族と離縁して…くっ。どうなるかわってるんだろうな」
エドワードは堪らないと言うふうなニヤついた顔をしている。
「あの、それより母がこの商権を残してくれたのではないのでしょうか?先ほどのお話ですと前大公殿下がお持ちだったような言い回しに聞こえたのですが」
「オリディア、ったく。余計な事に気づくな。まあ、どうせわかる事だ。俺が話す」
エドワード様が面倒くさそうに頭をボリボリかきながらオリディアを見た。
「最初、イリーネ様が番を見つけたと言われて結婚したいと言われたところまでは良かった。だが、ドラクナール伯爵は魔石の取引を一手に引き受けたいと言って来た。前大公は強欲な伯爵に怒ってドラクナール家との結婚に反対した。だが、イリーネ様も番を諦めれるわけがなかった。イリーネ様は勘当同然でドラクナール家にやって来た。苦労していると話には聞いていたが一度反対した事もあって表立って援助は出来なくてルノス商会が魔石取引をする事で助けていたんだが、イリーネ様が亡くなった事を知って取引から手を引くように言ったがオリディアの事もあって完全に手を引く事はしなかったんだ。でも、いつかオリディアが結婚してあの家を出たら援助したいと思われていたらしい。それがこの商権。だからオリディアが結婚した後で商権が届けられた。母が残した財産としてな」
「じゃ。母様が残してくれたんじゃなくて、太公様。いえ、叔父様が私に?」
「ああ、そうだ。でも、知られたいと思っていた訳じゃない。こんな事が無ければオリディアはずっと知る事もなかったはずだ」
「ええ、私は知りませんでした。母の親戚は冷たい人ばかりだと。それにブラトアは竜族を嫌ってるから向こうもこの国の血を引く私を嫌っているとばかり」
「竜族は人間でも竜族でも差別なんかしない。現にアルノール公国は貴族はいない。いるのは大公で平民も貴族もない。仕事は実力があれば出世も出来るし力も持てる。職種も自由に選べる国なんだ」
「そんな国の人を嫌うなんてこの国の人はどうかしてる」
オリディアはそこで言葉を失った。
ボルターもそうだった。父もそうだった。
それなのに顔も知らない叔父が自分の為にと商権を届けてくれた。
三年間これは私の命綱だった。
エドワード様が言った事実がじわじわと皮膚を侵食して行く。
母が残した商権だと聞かされていた。
ボルターは結婚当初からオリディアに酷い言葉を投げかけた。それでも夫婦としていつかは心が通い合えばと思って来た。
借金の工面にどうしていいか分からず夫に相談した時、お前の仕事だろうとその為に妻にしたんだと何とかしろ!と冷たくあしらわれた。
領地の苦情にどうすればいいか悩んで失敗して領民からはやっぱり竜族だからと嘲笑われた。
初めての結婚記念日にお祝いをしようと料理を作りアップルパイを焼いた時、夫は竜族が作る料理を口に出来るかと皿をひっくり返した。夫が好きだと聞いた作ったアップルパイも、こんな物とテーブルから落とされた。
(まあ、最近は少しは口にするようになってはいたけど)
そんな嫌な事があってもこの商権の事を思うと母が自分を愛してくれた記憶が蘇ってまた立ち上がれた。
それにこの商権があったからルノス商会との取引もうまく行った。配当金のおかげで何度も助けられた。
でも、そんな母の愛の証だと思っていた商権が母からの贈り物ではなかったと思うとすぐにはその事実を受け入れられない気がした。
でも、私はすぐにそうでは無いと思った。
母は私を精一杯愛してくれた。その事は何があっても変わる事のない事実だ。父が母に仕事を押し付けて家に帰って来なくても、母がいてくれればそれで良かった。
誕生日に父が祝ってくれなくても母が大好きなアップルパイを焼いてくれた。
いつだって母は私のそばに居てくれた。その思い出までは無くなる事は絶対にないはずだ。
それでも、会った事もない母の兄、自分の叔父に当たる人が自分を気に掛けてくれていた。それを思うと母以外にも自分を気遣ってくれる人がいるうれしさを感じた。
結婚は失敗した。
でも、原因は自分のせいではない。
オリディアは自分は精一杯の努力をしたと胸を張れる気がした。
「オリディア様、この商権をお持ちならお金はいつでもご用立て出来ます」
会頭がそう言った。
「オリディア、なっ、言っただろう。金の事は心配ないって。シュバイン、取り敢えずオリディアが休める場所を用意しろ!」
「いえ、今のお話でこれからのことも何とかなりそうですので、自分で宿を取ります。だってこれ以上ご迷惑はかけれません」
「そんな事気にするなって」
「いえ、そう言うわけにはいきません」
「まあまあ、お二人とも、そうだ!うちには従業員が住んでいる住宅があるんですが、宿を取るにしても公証所で話をするとなると暫くかかるでしょう?どうです、部屋は空いてますし料理人もいて食事に不自由はしません。オリディアさんさえ良ければいかがです?」
「それいいじゃないか。うん、オリディアそれがいい。一人で宿に泊まるよりずっと安全だ。うちに奴らはみんなオリディアを歓迎するだろうし、だから遠慮はいらない!」
シュバインの肩をバシバシ叩きながらエドワードが話の先を横取りする。
「でも…」
「オリディア様あなたはこの商会の商権主ですので、それに同じ竜族が困っているのを見過ごすわけには行きませんから遠慮なんかいりません」
「なっ、オリディア、いいから遠慮するなって」
二人とも全く迷惑そうな顔はしていない。むしろ頼って欲しいとばかりににっこり微笑んだ目尻にはくしゃりとしわまで寄っている。
オリディアの心の尖がすっと解けた。
いつも人と距離を置いて来た。
人の目を気にして言いたい事を飲み込んで来た。
でも、ここはそんな遠慮や気遣いはしなくていいんだって言われている気がした。
彼らの全てを信じるわけではない。でも、今日はもうこれ以上虚勢を張っている事に疲れた。
オリディアは肩の力を抜くと言った。
「ありがとうございます。なんとお礼を言っていいか」
オリディアは思った。
夫の酷い裏切りにあった日に自分を気遣い心配していた人の事を知るなんて、この商権はいつも私を助けてくれるお守りみたいだ。




