6家を出る
オリディアは自室に戻ると荷物を纏め始めた。
結婚前に持って来た着やすい簡素なドレスが数枚と母が残した母の実家である隣国アルノール公国の公女であると言う証明の紋章のブローチ。
それと母が残してくれていたアルノール公国のルノス商会の商権証書と自分名義の通帳を自分の部屋の金庫から取り出した。
思えば商権主だったおかげで年に二度配当金が通帳に振り込まれた。この通帳から幾度も借金の返済や領地にためにお金を出して来た。そのせいで残高がもうほとんど残っていないが名前だけはオリディアのものだ。
この商権証書と通帳は、彼女が結婚するとルノス商会から母から預かったものだと届けられた物だった。ルノス商会の利益の配当金を受け取ることが出来るようになっていて、通帳には母が亡くなってからの配当金が既に入っていた。
そのお陰で結婚の支度金も持たされなかったオリディアは夫に負い目を負う事なく自分に必要な物を揃える事も出来たし、結婚後もこのお金があったからやって来れた。
この三年通帳から出したお金の記録は通帳にきちんと記載がある。それとは別にいつ何に使ったお金かと言う記録も手帳に書いてあった。
ロードナート家の商会の取引もオリディアが商権を持っている事で随分優遇されて来たのだった。
でも、オリディアが夫と離縁すればオリディアの持っていたルノス商会との縁は切れるかもしれない。
そうなればこれまでのようにルノス商会との取引がスムーズに行くかどうかも分からないがそれは自分にせいではない。
だからと言って今までオリディアがロードナート侯爵家を支えて来た事実は変わらない。
だからこそ夫にはそれだけのお金を払う義務があると思う。
お金を貰ったからと言ってオリディアが受けて来た心の傷が癒えるわけでも無いが代償はもらう権利がある。
いや、それより先に離縁届を夫に書いてもらう必要がある。
そんな事を頭の中で考えた。
それでも先日の事もさっきの事も、思い出すだけで怒りや憎しみが胸の中で渦巻く。
母が生きていた頃は幸せだった。
自分の髪色や瞳の色が竜族の色だと言って父は何かにつけて辛く当たった。親戚の集まりや人の前に出す事を嫌っていた父は人が来ると部屋でじっとしていろと言った。
それでも母がそばにいてくれればそれだけで良かった。
母は今の私のようにいつも父に為に必死で働いていた事を思い出した。そして心を病み病気になって亡くなった。
その後は辛い日々ばかりだった。
それでもボルター・ロードナート侯爵から縁談が来た時、ロードナート家に入る事を条件に父の家とは今後付き合いをしないと約束してもらった。どうせ父は侯爵家と言う肩書を利用する事はわかっていたからだ。
父はそれを渋々承諾した。だから結婚後父や異母妹とは会っていない。
ボルターに冷たい態度を取られたが私が頑張ればいつかは彼も自分を認めてくれるのではと思っていた。
でも、そうではなかった。
父といい夫といい、この国の男はみんなクズなんだろうか。
まあ、今となってはそれももうどうでもいい事だった。
いきなり母に貰った腕輪がぎゅっと絞まる気がした。
母が竜族のオリディアにも魔力がある事でこの国で辛い思いをしないようにとこの腕輪を付けてくれた。腕輪には私の魔力を押さえ込む力があると聞いていた。
オリディアは死んでも尚母に愛されていると感じずにはいられなかった。
荷物を纏めていると侍女のマーサが入って来た。
マーサはオリディアが幼い時から実家にいた侍女で結婚と同時にオリディアについて来てくれた。
いつでもマーサはオリディアを庇い寄り添ってくれた。
オリディアに取ってマーサは唯一の心の拠り所的な存在だ。
「奥様、出て行かれるつもりなんですか?」
「ええ、マーサ。あなたには本当に良くしてもらったわ。でも、旦那様から言われたの。離縁したいって。私も、もう疲れたの。旦那様は最初から私を嫌っていたけど、それでもいつかはって思ってたのよ。だけどもう無理」
「ええ、奥様のお気持ちは良くわかります。でも、ここの使用人はみんな知っています。奥様がいつも旦那様に心を配っていた事もあんな借金を一人で切り盛りして来た事も、私だってどれほど奥様が苦労されたか知っています。それなのに旦那様は酷いです」
「もういいの。あなた達の事忘れないわ。リリア様が奥様になって困る事があったら、この帳簿に屋敷の管理や執務の事は書いてあるから。あと執事のダンカートには支払いや領地の事を引き継いでおくから心配しないで」
「奥様…私も一緒に行きます」
「マーサ気持ちはすごく嬉しい。私だってあなたと一緒に行けたらどんなに良いか。でも、私はこの先の暮らしをどうするかも決めてないの。そんな状況であなたを巻き込むわけにはいかないわ。許して」
「奥様、私は旦那様やリリア様にお仕えしたくないのです。ですから奥様が出て行かれるなら私もお暇を頂いてよろしいですか?」
「でも、マーサ。私この家の事が心配なの。ボルターの事はどうでもいいわ。でも、領民の人達は関係ないから。あなたにこんな事を頼むのは悪いと思う。でも、暫くでいいの。屋敷が落ち着くまでここに残ってもらえないかしら?」
「奥様そこまで、わかりました。どこまでできるかわかりませんが、この先どうなるかしばらく様子を見ます。もし、泥舟なら私もここを辞めてしまうかも知れませんが、旦那様の様子や仕事の事も少しはお知らせ出来るでしょう。奥様、出て行かれたら私にだけは行き先を知らせて下さい。約束ですよ」
「ありがとうマーサ。でも、絶対に無理はしないで。あの人達の事だもの。あなたに何かあったら私どうしていいかわからなくなるもの」
「そんな心配はいりません。奥様はご自分の幸せだけを考えて下さい」
「マーサ、本当にありがとう。もし出て行く事になった時の為に紹介状を書いておくわ」
「奥様…」
マーサと二人、泣きながら別れを惜しんだ。
その夜、オリディアはマーサに紹介状を書いてロードナート侯爵家で最後の夜を過ごした。もちろん食事も部屋で取った。
リリアは帰りボルターは一人でかなり酒を飲んだらしい。
オリディアはこの先の事を考えたら何度も身じろぎして殆ど眠る事は出来なかった。
翌朝、オリディアの部屋にボルターがやって来た。
オリディアは着替えを済ませ朝食後に出て行くつもりだった。
部屋に入って来た夫はトランクを見て驚いた。
「出ていくつもりか?」
「はい、離縁を申し渡されたので」
夫はほんの少し気まずそうに顔を逸らした。
「いや、それはリリアがどうしても結婚して欲しいと言うから。だが、オリディア、君がいないと領地の事はどうなる?領民を困らせる気か?君はそんな人じゃないはずだ。考え直せ、出て行っても生活はどうする?ここにいれば…」
「いいえ、離縁したいと仰ったのはあなたです。その言葉に責任を持って下さい。離縁すると言う事は私は妻としての権限を失うと言う事です。そんな者に領地経営を続けてさせるのはおかしな話です。それにあなたは私を同じ人間として見てはくれなかった。そんな人とこれ以上暮らして行けません!」
(冗談言わないで、誰があなたなんかと!これ以上一緒に居るつもりはないから)
オリディアは大声で夫を拒否した。
ボルターはそんなオリディアにキレた。
「こんなに頼んでも?クッソ!こうなったら力ずくで!!」
ボルターがオリディアをベッドに押し倒した。
「ちょ!やめ…」
いきなり押し倒されて一瞬訳が分からなかった。
「いいから、お前だってこうしたいって思ってたんだろう?ここに居るならこれからはたまににこうして可愛がってやるから、なっ、ほらオリディア…」
ボルターの手がオリディアの髪の毛を滑り降りて頬に触れる。彼の唇が目の前に迫って来る。
バスッ!ドゴォ!
「クッソォ、いてぇぇ、このくそ女!!」
オリディアはボルターの顔をぼこり突き飛ばしていた。
「ボルターいい加減にして!」
湧き上がる魔力がオリディアの身体中を駆け巡っている。オリディア自身もどうしていいのかも分からない。
(えっ?何、これ。私。もしかして、これって魔力が…)
オリディアもどうしていいかわからないままトランクだけは持って部屋を飛び出す。
屋敷の外に飛び出すとオリディアの部屋からボルターが叫んでいる。
「オリディア!お前ぇぇぇぇ、もういい!勝手に出て行け。二度と戻って来るな!!」
ボルターはヒステリックに叫んでいた。
「二度と戻るもんですか!」
オリディアは振り向くと立ち止まって大声でボルターに向かって叫んだ。




