2言いたい事を言えました
翌朝、支度を終えて階段を降りて行くとほんのりとハーブを混ぜて煮込んだ優しい匂いがした。
きっと昨日気落ちした様子を見た料理長のハンスが心配してくれたのだろう。夫のボルターは嫌な男だったがオリディアは使用人からは好かれていた。このスープもオリディアに為に作ったスープだろう。
昨日は、帰って来る当てのない夫の為ではなく自分の為にアップルパイを焼いた。
昨晩も夫の帰りは遅かった。今までは夫の帰りを待っていた。でも、昨晩は先にアップルパイを一切れ一人で食べ先に休んだ。オリディアの誕生日で夕食に帰るようにたのんでいたがもう期待する事もなかった。
いつものように朝食室に入った。
すでにボルターは席に付いている。テーブルにはすでに湯気を立てたスープが置かれており彼は昨晩のアップルパイを一切れ皿に取り食べかけていた。
テーブルの上には残りのアップルパイがあり無造作に崩れたパイの断面を見た時、オリディアの記憶が蘇った。
母様が生きていた頃は私の誕生日には大好きなアップルパイを焼いてくれた。私はそばでそれを見ながら母様がアップルパイを作るのを見ていた。父が一緒でなくても母が大好きなアップルパイを焼いてお祝いしてくれた。
母様がパイを切ってその断面が崩れても一緒に笑った。
そしてパイを口一杯に頬張った。
サクサクの食感が口の中に広がってバターの香りがした。
トロリとしてクリームが舌に絡み次にはリンゴの何とも言えない感触と絶妙な酸味が口の中で混ざり合い幸せだと心から感じた。
ふと視線が夫が取り分けたアップルパイに向いた。
自分を裏切りリリアに愛を囁き結婚の約束までしていた夫。
幸せを感じるはずのアップルパイのあの美しい断面が母とのかけがえのない思い出が汚されたように思えた。
「何だ?文句があるのか」
ボルターの声でハッと現実に引き戻され慌てて挨拶をした。
「おはようございます。旦那様、アップルパイ食べたんですね」
「ああ、悪いか。それよりお前、昨晩はどうして先に休んだ?」
いきなり咎められる。いつもなら申し訳ありませんと詫びる言葉が出る。でも、今朝はどうしてもそんな気持ちにはなれなかった。
ずっと押し殺していた気持ちの行き場が無くなる。
(リリアの為には時間を作れても私の誕生日なんか気にもならないのよね?おまけに怒ってるの?)
「体調が悪かったので」
もっとはっきり言えばいいのに、出た言葉は体調が悪かっただった。まあ、本当に気分は最悪だった。
「ハハ、お前でもそんな事があるのか」
ボルターは少し驚いたような声でそう言ったが視線がそれ以上オリディアに向くことはなかった。
「旦那様、私だって気分の悪い日があります」
夫は驚いた顔をした。
「お前がか?お前は半分人間じゃないからそんな事思わなかった。以外だな」
馬鹿にしたような顔がすっと逸らされた。
今まではどんなに体調が悪くてもそれを口にした事もなかったし何を言われても従順な妻だった。でも、もう我慢出来ない。
そう思ったら止まらなかった。
「旦那様、半分人間ではない私でも体調くらい悪くなるんです」
「何だ、その言い方は!」
驚いた夫が声を上げた。
でも、それくらいの事で引く気にはならなかった。
「それで今夜は早いんです?」
少し強い口調で尋ねる。
「いや、少し付き合いがあって遅くなる」
夫は少し気まずそうに言った。
「そうですか。まあ、どうせまたリリア様の所にでも行かれるのでしょう?そうそう、旦那様はリリア様に指輪をプレゼントされたんですよね。私も昨日は誕生日でしたが何もありませんでしたね。いえ、いいんです。旦那様はお忙しいんですから」
思いっきり嫌味を言ってやる。
「お、お前…リリアに指輪を買った事をどこで知った?」
夫は少し焦ったように言った。
「昼日中の街中は人目がある物ですから。旦那様気をつけられた方がよろしいですよ。人の噂と言うものは怖いですからね」
オリディアは平然とした顔で言う。
「なっ!…」
夫は一歩足を引いた。
「良いんですよ。どうせ嫌われている妻にはハンカチ一つでもプレゼントしたくないでしょうし、まあ、期待してませんから構いません」
「クソ、もういい。行ってくる!」
ガタッ!
夫は急いで立ち上がるとバタバタと出て行った。
「行ってらっしゃいませ」
玄関にまで見送る気にはならなかった。
ボルターは財務局に勤務し副局長として忙しい日々を送っている。結婚当初からオリディアを毛嫌いしていた夫だった。
忘れもしない結婚初夜の夜だった。
〝いいか、私はお前を愛するつもりはない!お前と結婚したのは父の遺した借金の為だ。誰が気味の悪い竜族の血を引く女なんか。私はお前に触れる気もないからな。お前は侯爵家の妻として領地の立て直しだけすればいい。その為の結婚なんだからな。そこは勘違いするな。いいか、わかったな!!〃
そう言われた事を忘れた訳ではなかった。でも、いつかは自分の努力を分かってくれる。そう信じて昨日まで来た。
それから一年、二年と過ぎ、借金の返済に目処がたち領地経営もまずまず立て直されて行くと嫌々ながらもオリディアと時々は食事をしたり会話をするようにもなっていた。
だからこそオリディアは夫婦としての距離が少しは縮まった気がしていた。だからあまり会話のない関係でも夫を気遣ってきた。
でも、リリア様が未亡人になってから夫は変わった。
昨日はっきりと分かってしまった。夫はそんな気持ちは一欠片もなかったのだと。
だったらもう遠慮はしなくてもいいと思った。
言いたい事を言うとほんの少しだけ気分が晴れた。




