17マーサが来る
オリディアは今朝の食事の事を思い出していた。
侯爵家での食事はいつも慌ただしかった。ハンスもリネットも急かしている訳ではなかった。
ただ、みんなの仕事の事を考えるとつい食事もゆっくりする気になれなかった。
でも、ここの食事は違った。
確かに住んでいるのは使用人で皆それぞれ仕事の時間が決まっている。
でも、朝食だけは決まっていてみんなで一緒に食事を取る。
アルノールではそれが当たり前だそうだ。
どんなに忙しくても朝の食事は揃って食べるらしい。
それも急がず時間をかけてゆっくり食事を楽しむ。
スープは前日から仕込まれおかわり自由。パンは焼きたてでチーズやソーセージ、卵に果物などがテーブルに並ぶ。コーヒーや紅茶もそれぞれが好みで茶葉を使えるように何種類も揃っている。
その代わり料理はそれぞれが自分で好きなだけ取り皿に取る。そしてわいわいと食事が始まるのだ。
ただ食事を楽しむだけの時間。
そして食事が終わると当番が皿を片付ける事になっている。
これなら気を使わなくて済むし、当番はその分を仕事として扱われる。
オリディアは最初は驚いたが数日もすると毎朝起きるのが楽しみになった。
それから数日後。
朝早くマーサが訪ねて来た。
「オリディア様、朝早くにすみません。ですが、お知らせしておきたい事があるんです」
「マーサ、いいから中に入って」
オリディアはマーサにだけは居所を手紙で知らせておいたのだ。
オリディアはルノス商会ではなく今住んでいる従業員寮の方にマーサを連れて行った。
オリディアがいる部屋は二階だったが外階段があるので人目も避けられた。
部屋は一人が住むだけに必要な物しかなくマーサを椅子に座らせるとオリディアはベッドに腰掛けた。
「マーサあなたに迷惑かけてごめんなさい。何か困ってるのね」
「いいえ、仕事のことではオリディア様がいらした頃のやり方でみんな助かっております」
「そう?でも、ダンカートさんは困っているんじゃない?私、引き継ぎもきちんと出来てないし…」
「いえ、ダンカートさんもオリディア様が残された帳簿はきちんと整理されていて商会への支払いや取引の事も詳しく書いてあるので支障は無いと言ってましたから安心して下さい」
「そう良かった。こんな事をになるなんて予想してた訳じゃ無かったけど、きちんと帳簿を整理していて良かったわ。そうそう、マーサ。それで知らせたい事って?」
オリディアは気になっていた不安が一つ片付いてほっとしたが、マーサの来た目的を思い出した。
マーサは一度背筋を伸ばすと話を始めた。
「実はダンカートさんから聞いたんです。旦那様はオリディア様と復縁を考えているらしいんです」
「うそでしょう?だって、あの人にはリリア様がいるじゃない」
「いえ、リリア様が屋敷に来られてから旦那様に家政の事をするようおっしゃったんです。でも、リリア様はドレスや宝石を買ってくれないなら何もしないと言われて」
「まあ、それであなた達はどうしているの?」
「さっきもお話しした様に、オリディア様がされていたやり方で日々の仕事をしています。それでもリリア様がいきなり予定を入れられたり勝手な事をされて困っています。それでみんなで旦那様に苦情を申し立てました。最近では旦那様はリリア様を避けられているみたいなんです。昨日はダンカートさんがリリア様が勝手に侯爵家のつけで宝石を買っていた事を報告して驚いたみたいです。旦那様もリリア様には手を焼いているみたいで、それで旦那様はオリディア様と復縁すれば問題は解決すると思われたようです。今度の話し合いの時、復縁を頼むつもりだと聞きました。それで私…オリディア様もう離縁届は出されましたか?私はそれが気になってお知らせに参ったのです」
「まあ、何を考えてるの。まったく!それにリリア様の事はどうするつもりなのかしら…」
「それよりオリディア様、離縁状は出されたんですよね?」
「いえ、賠償金の事も話し合わなきゃと思って離縁状はまだ届けていないの」
それを聞いたマーサの肩が落ちた。
「オリディア様、私がこんな事を言うのは失礼だと存じております。ですが、自分勝手な旦那様の事です。離縁が整ってないとわかれば何をされるかわかりません。お金の事はこの際後にして離縁状を出した方がいいのでは?」
マーサの目はオリディアの顔を心配そうに見つめている。
オリディアの脳裏に暴力的なボルターが浮かんだ。
オリディアは今までずっと人に逆らえずに生きて来た。もし強引に話を持って行かれたら跳ね返せる勇気があるのかと考えると手が震えた。
ここにいれば安心かも知れない。
でも、ずっとここに隠れ続けるつもり?
そんな事は出来ないだろう。
それにルノス商会に迷惑をかける事になるかも知れない。
夫と離縁すると決意してあの家を出た。
自分は竜族の人たちに助けられるばかりで自分では何も出来ていない。
実際、夫と二人きりになるのが恐くて離縁状を書いてもらうのも職場に行ったくらいだ。
こんな調子で今までずっとねじ伏せられて来た自分にはそこまで強い態度を押し通せるかも自信がなかった。
またあの生活に戻るのかと思うと二度と関わりたくないと思った。
「ええ、マーサの言う通りだわ。私、今日離縁状を出しに行く。そうすれば離縁は出来ている事になるわ。もしボルターがしつこく復縁を迫っても離縁さえしていればアルノール公国に移り住む事だって出来るわよね?」
「ええ、その通りです。オリディア様が離縁届けを出しておけばこの国を出る事だって出来ます。アルノールはお母様の故郷。新たな人生をアルノールで始める事だって出来ます」
「ええ、マーサの言う通りね。最初からあんな男から賠償金を取ろうなんて考えた私がいけなかったわ。今はあいつと離縁をする事を一番に考えなきゃね」
「それがいいと思います。オリディア様と一緒に行って差し上げたいのですが、私も仕事を抜け出して来たので」
「ううん、いいのよマーサ。知らせてくれただけで。ありがとう。気をつけて帰ってね。そうだ、もし仕事を続けるのが嫌だったら辞めていいのよ」
「ええ、ありがとうございます。でも、皆さんがいい人なのでもう少し頑張ろうかと思ってるんです」
「そう、無理しないで身体に気を付けてね」
「はい、オリディア様もどうか気を付けて幸せになって下さい。お母様もきっと見守っておられます」
「ありがとうマーサ。ずっとそばにいてくれてありがとう。忘れないで、あなたはいつまでも私の大切な人だから、どこに行ってもあなたには必ず連絡するわ」
「はい、マーサの一番大切なオリディア様。あなたを決して忘れません」
オリディアはマーサの手をしっかりと握った。
二人の目には涙が溢れていた。




