俺たちには関係ないはずだった
翌日の昼過ぎ、シラスと少女は小さな集落へたどり着いた。
街道沿いに建てられた木造の家々は、どれも古びていた。屋根には補修の跡があり、道端には薪や農具が積まれている。遠くでは家畜の鳴き声が響き、畑から戻ってきた人々が荷物を抱えて歩いていた。
大きな町ではない。
だが、食料を買い足し、今後の道を確かめるには十分な場所だった。
「……まずは食料だな」
シラスが呟くと、隣を歩く少女が顔を上げた。
「今日は干し肉?」
「パンと水も買う」
「やった!」
「お前のために言ったわけじゃない」
「分かってるよ。でも、食べ物が増えるのは嬉しいもん」
少女は満足そうに笑った。
シラスは小さく息を吐き、集落の中心へ向かった。
ところが、広場に近づくにつれて、妙な雰囲気に気づいた。
人々が道の端に集まり、何かを遠巻きに見つめている。話し声は聞こえるものの、誰も積極的に近づこうとはしない。
広場の中央には、三人の男がいた。
一人は粗末な服を着た年配の農夫。もう一人は、彼より少し若い女性。そして、その二人を見下ろしているのは、革鎧を着た大柄な男だった。
男の腰には剣がある。背後には、同じような装備の仲間が二人立っていた。
「だから、今月分はもう払ったと言っているだろう!」
農夫が震える声で訴えた。
大柄な男は鼻で笑った。
「先月までの話だ。今月分は今日が期限だろうが」
「そんな話は聞いていない!」
「聞いていようがいまいが、決まりは決まりだ」
男は農夫の胸元を乱暴に押した。
女性が慌てて間に入る。
「お願いです。あと数日だけ待ってください。収穫した作物を売れば、必ず――」
「待てるわけねえだろ」
男は女性の手を振り払った。
彼女はよろめき、地面に膝をついた。
周囲の人々が息を呑む。
それでも、誰も動かなかった。
シラスは足を止め、わずかに眉を寄せた。
「……何だ、あれは」
「困ってるみたい」
少女が小声で答えた。
「見れば分かる」
「じゃあ、助けないの?」
「俺たちには関係ない」
シラスは即座に言った。
指名手配犯である自分が、見知らぬ土地の揉め事に首を突っ込む理由はない。ましてや、相手は武装した男たちだ。余計な争いを起こせば、追跡者に居場所を知らせることにもなりかねない。
「食料を買ったら出るぞ」
「でも……」
「駄目だ」
少女は唇を結んだ。
納得していないことは、その表情を見れば明らかだった。
しかし、彼女はそれ以上何も言わず、シラスの後をついて歩いた。
広場を抜けようとした、そのときだった。
「やめてください!」
若い声が響いた。
人垣の向こうから、小さな少年が飛び出してきた。十歳にも満たないような子供だった。少年は地面に膝をついた女性の前に立ち、両手を広げて男を睨みつけている。
「母さんに触るな!」
大柄な男は、面白がるように口元を歪めた。
「何だ、ガキ。お前も払うのか?」
「お金なんてない! でも、母さんは悪くない!」
「なら、代わりに働け。借金がなくなるまでな」
男が少年の腕を掴んだ。
「やめろ!」
農夫が男にしがみつこうとしたが、別の男に突き飛ばされた。
老人の身体が地面に倒れる。
その瞬間、少女が走り出した。
「待って!」
シラスは目を見開いた。
「おい、馬鹿!」
彼は舌打ちし、少女の後を追った。
少女は少年の前に立ち、男の手を両手で押さえた。
「嫌がってるでしょ! 離してあげて!」
男は彼女を見下ろし、怪訝そうに眉を上げた。
「何だ、お前は?」
「そんなこと、今は関係ないよ!」
「関係ないなら、引っ込んでろ」
男が腕を振るう。
少女の身体が傾いた。
シラスはすぐに彼女の肩を支え、男との間に割って入った。
「……悪いが、ここで騒ぎを起こすつもりはない」
男はシラスの顔を見て、鼻を鳴らした。
「だったら、その女を連れて失せろ」
「そうするつもりだ」
シラスは少女の腕を引こうとした。
しかし、少女は動かなかった。
彼女は地面に倒れた老人と、少年を抱き寄せる女性を見つめていた。
「……シラス。あの人たち、何も悪いことをしてないよ」
「事情も知らないくせに決めつけるな」
「じゃあ、事情を聞こうよ」
「そんな暇はない」
「でも――」
「お前」
シラスの声が低くなった。
少女は驚いたように彼を見上げた。
「俺たちが助けたところで、何も解決しない。あいつらを追い払えば終わりだと思っているのか? 明日になれば、別の人間が来るかもしれない。俺たちがいなくなったあと、あの人たちはどうする?」
少女は言葉を失った。
シラスは続けた。
「自分にできることと、できないことを見極めろ。全部を救おうとすれば、いずれ自分まで潰れる」
その言葉は、彼自身に言い聞かせているようでもあった。
少女はしばらく黙っていた。
やがて、彼女は視線を落とした。
「……それでも、目の前で困っている人を見て、何もしないのは嫌だよ」
シラスは返事をしなかった。
少女の声には恐怖もあった。自分の魔法を使えば何が起きるか分からない。それでも、彼女は助けたいと思っている。
その姿に、燃える集落の記憶が一瞬だけ重なった。
シラスは奥歯を噛みしめた。
「……くそっ」
彼は男たちへ向き直った。
「話を聞かせてもらおうか」
大柄な男が笑った。
「お前も痛い目を見たいらしいな」
「できれば避けたいんだがな」
シラスは腰の剣に手をかけた。
「子供に手を出すのは、やめておけ」
広場の空気が張り詰める。
もう、簡単に立ち去ることはできなかった。
そしてシラスは、気づき始めていた。
自分が本当に恐れているのは、他人の問題に関わることではない。
目の前で誰かが傷つくのを見て、何もできなかった自分に戻ることなのかもしれない、と。




