封鎖された第三保管区
南部旧交易都市の朝は、北の街とは違っていた。
街の中心を流れる運河には、大小さまざまな船が浮かび、石造りの橋の上を商人たちが行き交っている。街路には香辛料や乾燥果実の匂いが漂い、荷車の軋む音と呼び込みの声が絶えなかった。
その賑わいの中で、シラスは地図を広げていた。
「第三保管区は、この辺りか」
「うん。運河を越えた先みたい」
鈴が地図の端を指差す。
白い髪を二つの低い位置で結んだ少女は、旅の疲れを感じさせないほど周囲を興味深そうに見ていた。街の屋台に並ぶ珍しい果物へ視線を向けるたび、シラスに袖を引かれている。
「鈴」
「……分かってる。先に調査だよね」
「分かっているなら、なぜ三度も振り返る」
「だって、あの果物、すごく綺麗だったから」
「食べ物を見ている場合じゃない」
「あなた、昨日の夜は食事を抜こうとしてたのに」
「それとこれは関係ない」
鈴は小さく笑った。
その笑い声を聞きながら、シラスは地図を畳む。
この街に入ってから、彼は何度か視線を感じていた。
賞金首の情報が南部まで届いている可能性はある。だが、街の人間が一斉に彼を警戒しているわけではない。
問題は、視線の種類だった。
通行人の好奇心とは違う。
誰かが、彼らの進路を確認している。
「……鈴。少し離れるな」
「何かあった?」
「まだ分からない」
シラスは歩き出した。
◇
第三保管区は、運河沿いの古い倉庫街にあった。
かつて南北の交易を支えた巨大な施設群。しかし、現在は一部の倉庫が閉鎖され、石壁には苔が生えている。
目的の建物は、錆びた鉄門の向こうにあった。
門の上には、色褪せた文字で『第三保管区』と刻まれている。
「ここが……」
鈴が建物を見上げた。
「荷札に書かれていた場所だ」
シラスは門へ近づく。
入口には、年老いた警備員が椅子に座っていた。灰色の髭を短く整え、厚い外套を着た男だ。
「何の用だ?」
「古い移送記録を調べたい」
「記録閲覧は許可制だ。管理局へ行け」
「北部集落から運ばれた荷物についてだ。旧倉庫への引き継ぎ記録が残っているはずだ」
その言葉を聞いた警備員の目が、僅かに変わった。
「……北部集落?」
「そうだ」
「その件は、もう記録にない」
「確認したのか?」
「記録にないと言っている」
男は立ち上がり、門の前に立った。
シラスはその反応を見逃さなかった。
単に閲覧を拒否しているだけではない。
北部集落という言葉に、何かを恐れている。
「第三保管区はいつ閉鎖された?」
「関係ない」
「閉鎖理由は?」
「帰れ」
警備員の声が硬くなる。
鈴はシラスの隣で、銀飾りに触れていた。
「……シラス」
彼女の青い瞳が、建物の奥へ向けられている。
「何か感じるのか?」
「分からない。でも、あそこから……」
鈴は倉庫の奥を見つめた。
「少しだけ、冷たい感じがする」
シラスは門の向こうへ視線を移した。
建物の二階。
閉じられた窓の隙間。
そこに、一瞬だけ人影が見えた。
黒い服。
影はすぐに消えた。
「……なるほど」
シラスは警備員へ向き直る。
「今日は帰る」
男は答えなかった。
二人が門から離れると、鈴が小声で尋ねた。
「本当に帰るの?」
「今はな」
「でも、記録があるかもしれない」
「だからこそ、正面から入るのは危険だ」
シラスは建物を振り返る。
「拒絶の仕方が不自然だった。誰かが記録を隠している可能性がある」
「じゃあ、どうするの?」
「管理局で閉鎖記録を調べる。それから別の入口を探す」
鈴は頷いた。
「……あなた、こういう時は本当に頼りになるね」
「普段はどうなんだ」
「普段は、少し意地悪」
「それはお前の感想だ」
「そうだよ」
鈴は笑った。
シラスはそれ以上、何も言わなかった。
◇
管理局は、旧交易都市の中央広場に面した石造りの建物だった。
閲覧窓口で第三保管区の閉鎖記録を求めると、若い職員が困ったように眉を寄せた。
「第三保管区の資料ですか……。通常の閲覧申請では、かなり古い記録になりますね」
「閉鎖された理由だけでも知りたい」
「少々お待ちください」
職員は奥へ引っ込んだ。
数分後、戻ってきた彼は一枚の書類を差し出した。
「こちらが閉鎖時の概要です」
シラスは書類を受け取る。
そこには、施設の老朽化と管理体制の変更が理由として記載されていた。
しかし、閉鎖日付の下に、奇妙な追記がある。
『保管資料の一部を別管理へ移行。詳細は原記録参照』
シラスの指が止まった。
「原記録はどこにある?」
「申し訳ありません。閲覧対象外となっております」
「管理者は?」
職員は言葉を濁した。
「現在の担当者は……不明です」
「不明?」
「引き継ぎが行われた記録はありますが、受領者の署名が欠落しているのです」
シラスは書類を見つめた。
また、同じだ。
移送先不明。
引き継ぎ先変更。
原記録参照。
鈴が、彼の袖をそっと掴んだ。
「シラス……」
彼は書類を返す。
「ありがとう。十分だ」
管理局を出た後、二人は広場の端で立ち止まった。
「記録が隠されているのかな」
鈴が尋ねる。
「隠されたのか、最初から記録されなかったのか。それも分からない」
「でも、北部集落のことと関係があるかもしれない」
「可能性はある」
シラスは、運河の向こうに見える第三保管区を見つめた。
「明日の夜、もう一度あの倉庫へ行く」
鈴は少し驚いた。
「夜に?」
「警備員がいるなら、昼間は正面から入れない。建物の構造を確認してからだ」
「私も行く」
「危険だ」
「あなたの左腕も、まだ治ってない」
シラスは言い返せなかった。
鈴は真剣な表情で彼を見上げていた。
「私は、あなたの過去を知りたいだけじゃない。あなたが一人で傷つくのを、もう見たくないの」
その言葉に、シラスはしばらく黙った。
やがて、彼は小さく頷いた。
「……無茶はするな」
「あなたもね」
鈴は微笑んだ。
二人の視線の先で、第三保管区の古い窓が夕陽を反射していた。
封鎖された倉庫。
消えた移送記録。
そして、誰かが今も守ろうとしている秘密。
その奥には、北部集落の炎へと続く、まだ見えない道がある。
シラスはコートの内側にしまった古い荷札へ、そっと手を触れた。
今度こそ、過去の扉を開く。




