南部旧交易都市の閉ざされた記録
南へ向かう街道は、昼を過ぎる頃には緩やかな下り坂へと変わっていた。
遠くに見える山々の向こうから、湿った風が吹いてくる。街道沿いには古い石柱が並び、かつてこの道を行き交った商隊の名残を感じさせた。
シラスは歩きながら、懐にしまった荷札の存在を確かめた。
北部集落。
旧倉庫。
南部旧交易都市――第三保管区。
あの紙片に記された文字は、まだ彼の頭から離れない。
「シラス」
隣を歩く鈴が、彼の顔を覗き込んだ。
「さっきからずっと難しい顔をしてる」
「元からだ」
「それはそうだけど」
「おい」
鈴は小さく笑った。
その笑顔を見て、シラスは視線を前へ戻す。
彼女が笑っている間だけは、過去の炎も、血の匂いも、ほんの少し遠ざかる気がした。
「……都市に着いたら、まず記録を調べる」
「第三保管区?」
「ああ。ローヴェンの話が正しければ、荷物が引き継がれた場所だ。そこに何か残っている可能性がある」
「私の記憶に関係するものも?」
「分からない。だが、あの印が飾りでないことは確かだ」
鈴は自分の銀飾りに触れた。
「もし、私があの記録に関係していたら……」
「その時は調べる」
シラスは迷いなく答えた。
「ただし、お前が嫌なら止める」
鈴は一瞬、驚いたように彼を見た。
「……嫌じゃないよ」
彼女は銀飾りを握り締める。
「私も、自分が何者なのか知りたいから」
「そうか」
「でも、あなたのことも調べる。これは決定事項」
「勝手に決めるな」
「もう決めたもの」
シラスは反論を諦めた。
◇
夕刻。
南部旧交易都市の城壁が、二人の視界に現れた。
かつて大陸南部の交易を支えた都市。その外壁は幾度もの修復を経て複雑な形状になっていた。古い石造りの塔の隣に、新しい監視台が建てられている。
城門の前には、荷馬車の列ができていた。
「随分と大きな街だね」
鈴は目を輝かせた。
門の向こうには、石畳の道と高い建物が見える。商人たちの声、馬の嘶き、荷物を運ぶ人々の足音が入り混じっていた。
「交易都市だからな。人も物も多い」
「おいしいものも多そう」
「そっちが目的か?」
「違うよ。……少しだけ」
シラスは呆れたように息を吐いた。
二人は入門手続きを済ませ、都市へ入った。
その際、シラスは賞金首の手配書を警備兵が持っていないか注意していたが、幸いにも彼の顔を知る者はいなかった。
少なくとも、今は。
都市の中心部から少し離れた通りに、古い保管区の案内板があった。
『第三保管区――旧記録管理施設』
文字は擦れていたが、行き先は明確だった。
「ここだ」
シラスが指差す。
鈴は案内板を見上げた。
「なんだか、昔の建物みたい」
「実際、かなり古いはずだ」
二人は案内板に従って歩き始めた。
◇
第三保管区は、都市の北東側に位置していた。
そこは華やかな商業地区とは違い、静かな一角だった。
石造りの建物が並び、窓は小さい。道を歩く人も少なく、荷物を運ぶ商人より、書類を抱えた役人らしき人間の姿が目立っていた。
その奥に、目的の施設があった。
低い石壁に囲まれた、灰色の建物。
正面の扉には、古びた金属板が取り付けられている。
『旧交易記録管理所』
シラスは扉を押した。
中には受付があり、奥に長い廊下が続いていた。
「ご用件は?」
受付に座っていた女性が顔を上げた。
年齢は二十代後半ほど。茶色の髪を後ろでまとめ、濃紺の制服を着ている。机の上には書類が整然と積まれていた。
「旧交易記録を閲覧したい」
「閲覧目的と、対象となる記録の年代をお聞かせください」
シラスは懐から荷札を取り出した。
「北部集落から、ここへ運ばれた荷物の記録だ。第三保管区に引き継がれたものを調べたい」
女性の視線が荷札へ落ちた。
その瞬間、彼女の手が止まった。
ほんの僅かな反応だった。
しかし、シラスは見逃さなかった。
「……その荷札は、どこで?」
「昔の荷運びから譲り受けた」
「そうですか」
女性は荷札をじっと見つめた後、慎重に口を開いた。
「申し訳ありませんが、該当する記録は一般閲覧の対象外です」
「理由は?」
「旧保管区の一部記録は、管理権限が別になっています」
「誰の権限だ?」
「旧管理責任者、あるいは現在の記録監査官です」
シラスは黙った。
中継所でも、同じような言葉を聞いた。
古い記録。
管理責任者。
原記録参照。
「記録監査官に会えるか?」
「現在、監査官は不在です。戻る時期も確定しておりません」
鈴が一歩前に出た。
「でも、何か手掛かりだけでも教えてもらえませんか?」
女性は鈴を見た。
その視線が、彼女の銀飾りへ移る。
一瞬。
女性の表情が変わった。
「……その装飾品」
鈴は思わず銀飾りを押さえた。
「これが、何か?」
「いえ。失礼しました」
女性はすぐに視線を戻した。
だが、声の調子が先ほどよりも硬くなっていた。
「旧記録の閲覧については、監査官の許可が必要です。これ以上の案内はできません」
シラスは女性の顔を見つめた。
彼女は何かを知っている。
しかし、問い詰めても答えないだろう。
「分かった」
シラスは荷札をしまった。
「監査官が戻ったら、ここに来たことを伝えてくれ」
「お名前をお伺いしても?」
「シラス」
女性はペンを持つ手を止めた。
「……シラス・ナハト、ですか?」
鈴の表情が強張る。
シラスは無言で女性を見た。
彼女は慌てて言葉を続けた。
「いえ、失礼しました。以前、別の方から同じ名前を聞いたことがありまして」
「誰からだ?」
「それは……」
女性は口を閉じた。
受付の奥で、誰かが書類を落とす音がした。
彼女はそちらへ視線を向け、再び二人を見る。
「申し訳ありません。お答えできません」
シラスはそれ以上追及しなかった。
「行くぞ、鈴」
「うん……」
二人は建物を出た。
◇
外へ出ると、空は夕暮れに染まっていた。
鈴は歩きながら、何度も振り返った。
「シラス」
「何だ」
「受付の人……あなたの名前を知っていた」
「ああ」
「それに、私の銀飾りを見た時も」
シラスは足を止めた。
「気づいていた」
「何か、知っているのかな」
「可能性はある」
彼は建物の窓を見上げた。
だが、そこに受付の女性の姿はなかった。
「ただ、今は追い詰めるべきじゃない」
「どうして?」
「彼女は記録を管理する人間だ。何かを隠しているとしても、理由がある。無理に聞き出せば、記録そのものが消えるかもしれない」
鈴は少し考えた。
「……じゃあ、別の方法で調べる?」
「そうだ」
シラスは懐から荷札を取り出した。
その裏に書かれた文字。
『引き継ぎ先変更。原記録参照』
彼は紙片を夕日の下で見つめた。
北部集落で何が起きたのか。
誰が彼の剣を受け取ったのか。
そして、鈴の銀飾りは何を示しているのか。
答えは、まだ遠い。
「明日は、旧管理責任者の記録を探す」
「うん」
鈴は彼の隣に並んだ。
「それと……」
「何だ?」
「今日は、ちゃんとご飯を食べようね」
シラスは彼女を見た。
「調査の話じゃないのか?」
「調査も大事。でも、あなたは傷が治っていないのに、ずっと考え込んでる」
鈴は少しだけ頬を膨らませた。
「倒れられたら、私が困るもの」
「……分かった」
彼は短く




