古い荷札と南部交易都市への手掛かり
朝の光が、宿の窓から差し込んでいた。
シラスは目を覚ますと、しばらく天井を見つめていた。
昨夜の夢が、まだ頭の奥に残っている。
燃え盛る家々。
誰かの叫び。
そして、顔の見えない人物に向かって、自分が放った言葉。
『持っていけ!』
何を渡したのか。
誰に渡したのか。
記憶は、そこから先へ進まなかった。
「……また、あの夢?」
隣の寝台から、鈴の声がした。
白い髪を二つの低い位置で結んだ少女が、毛布から顔を覗かせている。青い瞳には、まだ眠気が残っていた。
「夢の話をした覚えはないが」
「寝言。少しだけ聞こえたの」
シラスは眉を寄せた。
「何を言っていた?」
「『持っていけ』って」
その言葉を聞いた瞬間、シラスの表情が僅かに固まった。
鈴はそれを見逃さなかった。
「……何か、思い出した?」
「いや。断片だけだ」
彼はベッドから起き上がり、左腕の包帯を確認した。傷はまだ痛む。無理に剣を振るえば、再び開く可能性があった。
「ローヴェンの話を聞く必要がある」
「うん。私も一緒に行く」
「お前を連れて行く理由はない」
「昨日、私も聞いたもの。それに、あなたの過去を調べるのに私だけ置いていかれるのは嫌」
鈴は頬を少し膨らませた。
シラスは短く息を吐く。
「……勝手にしろ」
「勝手にする」
彼女は即答した。
その返事に、シラスはほんの僅かに口元を緩めた。
◇
ローヴェン・ハルトは、宿の食堂で二人を待っていた。
灰色の髪をした男は、昨日と同じ古びた革の上着を着ている。腰には短い刃物。テーブルの上には、薄い布に包まれた何かが置かれていた。
「来たか。朝飯は食ったか?」
「まだだ」
「なら、先に食え。話は逃げない」
ローヴェンはそう言って、二人にパンと温かいスープを勧めた。
鈴は礼を言って椅子に座る。シラスは食事に手をつける前に、テーブルの布へ視線を向けた。
「それは何だ?」
「昔の荷札だ。北の集落へ荷物を運んでいた時のものだよ」
ローヴェンが布を開く。
中には、黄ばんだ紙片が数枚あった。角は擦り切れ、文字の一部は滲んでいる。
「俺は当時、いくつかの商隊の荷運びを請け負っていた。あの集落にも、定期的に物資を運んでいたんだ」
「黒い服の男たちが来たのも、その頃か」
「そうだ。あいつらは荷物を運ぶ商人には見えなかった。けど、何をしていたのかまでは分からない」
ローヴェンは一枚の荷札を指で押さえた。
「これを見てくれ」
紙には、簡素な記号と行き先が記されている。
北部集落。
旧倉庫。
南部旧交易都市――第三保管区。
シラスの目が細くなった。
「第三保管区……」
「荷物の最終目的地として書かれていた。だが、俺が運んだのはここまでだ。倉庫に入れた後、別の人間が引き継いだ」
「荷物の中身は?」
「知らない。封がされていた。普通の商隊なら、荷札に品目くらい書く。だが、これは違った」
鈴が紙片を覗き込む。
「この記号……」
荷札の端には、円の中に交差する二本の線。そして小さな刻みが描かれていた。
これまで何度も見てきた印に似ている。
鈴の銀飾りが、微かに揺れた。
シラスはすぐに彼女の様子を確認した。
「鈴?」
「大丈夫。少しだけ、反応したの」
彼女は銀飾りに触れる。
「でも、何かを思い出したわけじゃない」
「無理に思い出す必要はない」
シラスの言葉に、鈴は小さく頷いた。
ローヴェンは二人を見比べた。
「その印を知っているのか?」
「いくつかの場所で見た。だが、意味はまだ分からない」
「そうか……」
男は荷札をもう一度見つめた。
「俺も、これが何を意味するのか知りたい。あの集落の人間たちが、何に巻き込まれたのかを」
シラスは荷札を手に取った。
紙の裏側には、薄い文字が残っている。
『引き継ぎ先変更。原記録参照』
その文言を見た瞬間、彼の脳裏に別の記録が浮かんだ。
中継所で見た、転送先不明の荷物。
番号のない箱。
そして、記録に残らない移送。
偶然だと片づけるには、似すぎている。
だが、まだ結論を出すべきではない。
「この荷札は、南部旧交易都市へ行けば確認できるのか?」
「第三保管区は今も残っているはずだ。ただし、昔の倉庫は一部閉鎖されている。記録が残っているかどうかは分からない」
「十分だ」
シラスは荷札をローヴェンへ返した。
「これを貸してくれ」
「いいのか? 古い紙だぞ」
「必要なのは紙そのものじゃない。そこに書かれた行き先だ」
ローヴェンはしばらく黙っていたが、やがて荷札を差し出した。
「持っていけ。俺は別の道から南へ向かう。もし何か分かったら、南部旧交易都市の東門近くにある『灰色の帆』という酒場を訪ねてくれ。昔の仲間が、まだそこにいるかもしれない」
「分かった」
「それと、シラス」
男の声が少し低くなる。
「昨日話した、剣を持った人物のことだ。北へ向かっていたのは確かだが、顔は見ていない。お前の剣だったかどうかも、断言できない」
「……ああ」
「期待させるようなことを言って悪い」
「気にするな。曖昧な証言でも、ないよりはましだ」
シラスは荷札をコートの内側にしまった。
鈴は、彼の横顔を見つめていた。
昨日よりも、ほんの少しだけ。
彼の過去へ近づいた気がする。
しかし、それは同時に、彼が抱えてきた傷の深さを知ることでもあった。
◇
宿を出ると、南へ続く街道には朝の商人たちが集まり始めていた。
荷馬車の車輪が石畳を鳴らし、遠くでは旅人たちが道順を確認している。
シラスは地図を広げた。
「南部旧交易都市までは、ここから二日ほどだ」
「第三保管区と、灰色の帆……」
鈴が地図を覗き込む。
「どっちから調べるの?」
「まずは保管区だ。古い記録を確認する。その後、酒場でローヴェンの仲間を探す」
「あなたの剣についても?」
「……ああ」
シラスの指が、地図の北側をなぞった。
燃えた集落。
消えた記録。
誰かに渡したはずの剣。
それらが同じ線上にあるのかは、まだ分からない。
だが、少なくとも一つだけ確かなことがあった。
今度は、記憶から目を逸らさない。
「行くぞ、鈴」
「うん」
少女は彼の隣に並んだ。
南へ向かう風が、二人の外套を揺らす。
街道の先には、古い交易都市が待っていた。
そして、その都市の記録の奥には、まだ誰にも語られていない過去が眠っている。




