南へ続く街道と、忘れられない炎
北東中継所を出発してから、二日が経過した。
シラスと鈴は、南部旧交易都市へと続く街道を歩いていた。
北東の山々は徐々に遠ざかり、代わりに広大な平原と低い丘陵が広がっている。街道沿いには古い石造りの道標が点在し、かつてこの道を行き交った商人たちの名残を感じさせた。
「……思ったより、南の道って賑やかなんだね」
鈴は道の先を眺めながら言った。
前方では、荷馬車が三台連なって進んでいる。旅商人らしき人々や、武器を携えた冒険者の姿も見えた。
「南部旧交易都市は、昔から複数の街道が交わる場所だったらしい」
シラスは地図を確認する。
「今でも物流の拠点として使われている。人が集まる分、情報も集まる」
「じゃあ、私たちが探している記録も?」
「見つかる可能性はある」
鈴は嬉しそうに笑った。
「少し楽しみになってきた」
「油断はするな。人が多い場所ほど、厄介な連中もいる」
「……シラスって、いつもそういうこと言うよね」
「経験則だ」
「もう少し楽しいことも言ってほしいな」
シラスは少し考えた。
「昼飯は、昨日よりマシなものが食べられるかもしれない」
「それ、楽しいことなの?」
「俺にとっては重要だ」
鈴は思わず吹き出した。
「もう! シラスって本当に変なところで真面目なんだから!」
彼女の笑い声が、街道に響いた。
シラスはその声を聞きながら、わずかに口元を緩める。
こうした時間が、いつの間にか当たり前になっていた。
◇
昼頃。
二人は街道沿いの小さな休憩所に立ち寄った。
木造の建物には簡素な屋根があり、旅人が水を飲んだり、荷物を整理したりするための長椅子が置かれている。
シラスは壁際に腰を下ろし、左腕の包帯を確認した。
「……まだ痛む?」
鈴が隣に座る。
「少しな」
「少しって、どのくらい?」
「剣を振るうと痛む程度だ」
「それって、少しじゃないよ!」
鈴は不満そうに彼の腕を見た。
「今日は私が荷物を持つ」
「必要ない」
「必要ある!」
彼女はシラスの荷物へ手を伸ばした。
「……鈴」
「何?」
「お前の荷物まで持つことになるぞ」
「それは……」
鈴は一瞬考えた。
「……じゃあ、軽いものだけ!」
シラスは小さく息を吐いた。
「好きにしろ」
鈴は満足そうに、彼の荷物から水袋を取り出した。
その時だった。
休憩所の向こう側から、二人の旅人が話す声が聞こえてきた。
「……あの賞金首、まだ捕まっていないらしいな」
「シラス・ナハトか?」
その名前が耳に入った瞬間。
シラスの指が止まった。
「北部の集落を丸ごと焼き払ったって話だ。相当な人数が死んだらしい」
「だが、証拠が不自然だという噂もあるぞ」
「噂だろ。賞金首になった以上、何かやったんだろうさ」
旅人たちはそのまま会話を続けていた。
鈴はシラスを見た。
彼の表情は変わっていない。
だが、握られた手がわずかに強張っている。
「……シラス」
「気にするな」
彼は立ち上がった。
「行くぞ」
鈴はすぐに彼の後を追った。
◇
休憩所を離れ、二人は再び街道を歩き始めた。
しばらくの間、鈴は何も話さなかった。
シラスも口を開かない。
やがて、彼女は小さな声で尋ねた。
「……あの集落のこと、覚えているの?」
シラスの足が止まる。
「……覚えている」
短い答えだった。
鈴は彼の顔を見つめた。
「どんな場所だった?」
シラスは遠くの丘を見た。
「小さな集落だった。街道から少し離れた場所にあった」
「……うん」
「俺が立ち寄った時、そこには普通の生活があった」
彼の声は淡々としていた。
だが、その言葉の奥には、何かが沈んでいる。
「年寄りも、子供もいた。商人もいた。俺に水をくれた婆さんもいた」
鈴は静かに聞いていた。
「……子供も?」
「ああ」
シラスは視線を落とした。
「俺の剣に興味を持っていた。柄の装飾を見て、何度も質問してきた」
「……その子は、どうなったの?」
シラスは答えなかった。
風が吹き、街道沿いの草が揺れる。
「……分からない」
やがて、彼はそう言った。
「俺が去った後、何が起きたのか。誰が火を放ったのか。誰が殺されたのか……」
彼は一度、目を閉じる。
「報告書には、俺の剣が残骸の中から見つかったと書かれていた」
鈴は息を呑んだ。
「でも、シラスは……」
「俺は、その剣を持っていなかった」
シラスの声が低くなる。
「集落を離れる前に、誰かへ渡したはずだ」
「……誰に?」
「覚えていない」
その答えに、鈴は言葉を失った。
シラスは歩き始める。
「だから、調べる必要がある」
鈴は彼の隣に並んだ。
「……私も手伝う」
シラスは彼女を見た。
「お前の記憶のこともある。無理をするな」
「無理じゃないよ」
鈴は真っ直ぐに彼を見つめた。
「シラスが私の過去を一緒に探してくれるなら、私もシラスの過去を一緒に探したい」
彼は少しだけ黙った。
そして、静かに頷く。
「……分かった」
鈴は微笑んだ。
「約束ね」
◇
その日の夕方。
二人は街道沿いの宿場町へ到着した。
町の入口には古い石門があり、商人や旅人が行き交っている。
宿を探している途中、シラスは掲示板の前で足を止めた。
そこには、複数の賞金首の手配書が貼られていた。
そして、一番下。
見慣れた顔があった。
黒い髪。
赤い瞳。
長い黒の外套。
シラス・ナハト。
手配書には、彼の罪状が記されている。
『北部集落大量殺人』
『逃亡中』
『生死を問わず、捕縛に報奨金』
鈴は隣に立ち、手配書を見つめた。
「……こんなに大きな賞金が」
「俺を捕まえたい連中が多いらしい」
シラスは手配書を見上げる。
その時、掲示板の前にいた男が、彼らへ視線を向けた。
灰色の髪。
古びた革の上着。
腰には短剣。
男はシラスの顔を見て、目を細めた。
「……おい」
シラスは振り向く。
男は数秒間、彼の顔を凝視した。
「お前……まさか、シラス・ナハトか?」
鈴が緊張する。
シラスは男を見つめた。
「……誰だ」
男はゆっくりと近づいてきた。
「俺は、北部の集落でお前を見たことがある」
シラスの表情が変わった。
「……何?」
男は周囲を見回す。
「ここで話すことじゃない。宿を取っているなら、夜に来い」
「なぜ、俺に話す?」
男は一瞬、口を閉ざした。
そして、低い声で言った。
「……お前が、あの集落を焼いたとは思っていない」
シラスの瞳が、わずかに揺れた。
男はそれ以上何も言わず、人混みの中へ消えていった。
鈴は彼の背中を見送る。
「……シラス」
「……ああ」
彼は掲示板の手配書を見つめた。
これまで、誰も彼の言葉を信じようとはしなかった。
だが、今。
初めて、あの集落で何が起きたのかを知る人物が現れた。
シラスは手配書から視線を外した。
「……宿を取るぞ」
「うん」
鈴は彼の隣を歩き始めた。
南部旧交易都市へ向かう旅は、まだ始まったばかりだった。
そして、忘れられた過去が、静かに二人の前へ姿を現し始めていた。




