記録室を守る者と魔女の決意
北東中継所に滞在して四日目。
朝の食堂で、シラスは地図を広げていた。
北東中継所の建物配置。旧保管区の入口。地下通路の位置。そして、管理棟の裏側にある古い記録室。
鈴は向かい側でパンを食べながら、地図を覗き込んでいる。
「……そこに入るの?」
「可能ならな」
「昨日、職員さんが言っていた旧管理者の承認が必要な記録。あの記録室にあるかもしれないんだよね」
「確証はない。だが、調べる価値はある」
シラスは地図の一点を指で叩いた。
「ここは管理棟から離れている。警備も少ない。ただし、少ないから安全とは限らない」
鈴は少し考えた後、頷いた。
「私も行く」
「無理はするな」
「無理はしない。でも、私のことに関係しているなら、私も知りたい」
シラスは彼女を見つめた。
以前なら、危険だからと一人で行こうとしたかもしれない。
だが、今は違う。
「分かった。ただし、危険を感じたらすぐに撤退する」
「うん」
鈴は笑顔で答えた。
「約束ね」
◇
昼過ぎ。
二人は管理棟の裏側へ回った。
古い記録室は、倉庫と整備施設の間に建っていた。石造りの建物で、窓には鉄格子が取り付けられている。
入口には鍵がかかっていた。
シラスは扉の周囲を調べる。
「……最近、開けられた形跡がある」
「誰かが使っているの?」
「少なくとも、完全に放置されているわけじゃない」
彼は鍵穴を確認したが、無理に開けることはしなかった。
その時、背後から声が響いた。
「そこから先へは入れない」
二人が振り向く。
灰色の制服を着た男が立っていた。年齢は四十代半ばほど。腰には短い警備用の剣を下げている。
「ここは旧記録室だ。閲覧許可のない者は立ち入り禁止となっている」
シラスは男を観察した。
「管理棟で閲覧を申請したが、許可されなかった」
「ならば、諦めろ」
「旧管理者の承認が必要な記録について、確認したいだけだ」
男の表情が変わった。
「……その名称を、どこで知った?」
シラスは答えなかった。
男は一歩近づく。
「お前たちは、旧保管区にも入ったな」
鈴の肩がわずかに揺れる。
シラスは彼女の前に立った。
「質問に答える必要はない」
「ここは中継所の管理区域だ。必要があれば、身柄を拘束する」
男が剣の柄に手をかけた。
シラスも腰の剣へ手を伸ばす。
しかし、抜かなかった。
「……戦うつもりはない。記録を確認したいだけだ」
「それを許可する権限は私にはない」
男の目が鈴の銀飾りへ向いた。
「だが、その少女をここへ連れてきたことは問題だ」
鈴は一歩前に出た。
「私が来たいと思ったの」
「……何?」
「シラスに無理やり連れてこられたわけじゃない。私自身が、知りたいと思ったから」
男は彼女をじっと見つめた。
「お前は、自分が何者なのか分かっているのか?」
鈴は唇を噛んだ。
「……分からない」
一瞬、声が震える。
「でも、分からないままでいるのは嫌なの」
彼女は銀飾りを握り締めた。
「だから、調べたい。私が何を選ぶべきなのか、自分で決めるために」
男は沈黙した。
その時、記録室の扉の向こうから、金属音が響いた。
カチリ。
男が振り向く。
扉の鍵が、内側から動いたような音だった。
「……今のは?」
シラスが扉へ視線を向ける。
その直後、建物の奥で青い光が瞬いた。
鈴の銀飾りが共鳴する。
チリン。
彼女は胸元を押さえた。
「……また」
「鈴、下がれ」
シラスが警戒を強めた瞬間、記録室の窓から小さな金属片が飛び出した。
男が反射的に身を引く。
金属片は地面に落ち、青い光を放った。
その表面には、円と交差する二本の線。そして三つの刻み。
「……これは」
シラスが目を細める。
金属片の表面に文字が浮かび上がった。
『記録室への接近を確認』
『候補者反応――微弱』
『警備手順を再確認せよ』
男の顔が険しくなった。
「……誰が、こんなものを」
その時、建物の屋根から複数の影が降りてきた。
黒い装備を身につけた三人。
一人は短剣。もう一人は弩。最後の一人は細身の剣を持っている。
彼らは中継所の制服を着ていなかった。
「対象を確認した」
短剣の男が呟く。
「候補者を確保する」
シラスは即座に剣を抜いた。
「鈴、後ろへ!」
◇
弩を持つ男が矢を放った。
シラスは身体を横へずらし、矢を避ける。
同時に短剣の男が踏み込んできた。
金属音が響く。
シラスは相手の攻撃を受け流し、剣の柄で顎を打った。
男がよろめく。
だが、細身の剣を持つ敵が背後から迫っていた。
「シラス!」
鈴の声。
シラスは身を低くし、相手の剣を避ける。
刃が彼の黒い外套を切り裂いた。
「……ちっ」
傷のある左腕に負担がかかる。
シラスの動きが一瞬だけ鈍った。
その隙を弩の男が狙う。
矢が鈴へ向かって放たれた。
「危ない!」
鈴は反射的に手を伸ばす。
青い魔力が地面を走った。
土が盛り上がり、矢の軌道をわずかに逸らす。
矢は鈴の肩をかすめ、背後の石壁に突き刺さった。
彼女は息を呑む。
「……できた」
以前のように、魔力が暴走していない。
自分の意思で、必要な分だけ動かせた。
しかし、敵は待ってくれなかった。
短剣の男が鈴へ向かって走る。
「対象を確保する!」
シラスが間に入ろうとするが、細身の剣の男が彼の進路を塞いだ。
鈴は恐怖に身体を震わせながらも、両手を前へ向けた。
「……来ないで!」
青い光が広がる。
地面の石片が浮き上がり、短剣の男の足元へ飛んだ。
男は体勢を崩す。
鈴はその隙に後退した。
「鈴、十分だ!」
シラスの声が響く。
彼は敵の剣を弾き、相手の腕を斬りつけた。
細身の剣の男が呻き、後退する。
そこへ、記録室を守っていた灰色の制服の男が剣を抜いた。
「ここは中継所の管理区域だ! 勝手な行動は許さん!」
彼は弩の男へ斬りかかる。
敵は舌打ちし、弩を捨てた。
「撤退する!」
三人は煙幕を投げ、建物の屋根へ逃げていった。
シラスは追おうとしたが、左腕の痛みで足を止めた。
「……逃がしたか」
鈴が駆け寄る。
「シラス! 腕、大丈夫?」
「問題ない」
「問題あるよ! 血が出てる!」
彼女は慌てて布を取り出し、傷口を押さえた。
シラスは苦笑した。
「……さっきは助かった」
鈴は顔を上げた。
「私、ちゃんと魔法を使えた?」
「ああ。十分だった」
その言葉に、鈴の表情が少しだけ明るくなる。
だが、彼女はすぐに真剣な顔へ戻った。
「……あの人たち、私を確保しようとしていた」
「そうだな」
「中継所の職員じゃなかった。どうして、ここに?」
シラスは煙が消えた屋根を見つめる。
「分からない。だが、記録室を調べようとした直後に現れた。偶然とは考えにくい」
◇
戦闘が終わった後。
記録室の警備員は、二人を管理棟へ案内した。
「先ほどの連中は、施設の正式な警備員ではない」
男は低い声で告げた。
「だが、旧記録室に関係する者たちだ。誰の命令で動いているかは分からない」
「あなたは、彼らを知っているのか?」
シラスが尋ねる。
「見たことはある。だが、所属は知らされていない」
男は鈴を見た。
「……少女を狙っていた理由も、分からない」
鈴は俯いた。
「私のせいで、シラスがまた傷ついた……」
「違う」
シラスは即座に否定した。
「お前のせいじゃない」
「でも……」
「俺たちが調べているものに、敵がいる。それだけだ」
鈴は唇を噛んだ。
警備員は少し考えた後、懐から一枚の古い紙片を取り出した。
「これを持っていけ」
紙片には、手書きの文字が記されていた。
『旧管理者引き継ぎ記録――保管先、南部旧交易都市』
シラスは目を細める。
「南部旧交易都市……?」
「詳しい場所は分からない。だが、記録室に残されていた資料の一部だ」
「なぜ、これを俺たちに?」
警備員は鈴を見つめた。
「……あの少女が、自分の意思で調べようとしているからだ」
彼は静かに続けた。
「旧保管区の記録は、誰かに強制されて回収するものではない。そう記されていた」
鈴は紙片を受け取った。
「……ありがとうございます」
警備員は頷いた。
「ただし、今後は注意しろ。今日の連中が再び現れる可能性はある」
シラスは紙片を折り畳み、懐へしまった。
「分かった」
二人は管理棟を後にした。
◇
宿へ戻る道。
鈴はシラスの隣を歩いていた。
彼の左腕には、新しい包帯が巻かれている。
「……ねえ、シラス」
「何だ」
「今日、私……怖かった」
彼女は正直に言った。
「魔法を使うのも、誰かに捕まるのも。でも、シラスが傷つくのはもっと怖かった」
シラスは足を止めた。
鈴は俯いたまま続ける。
「私、もっと強くなりたい。自分の魔法を制御できるようになりたい」
「……焦るな」
「分かってる。でも、今度は私も、シラスの隣で戦いたい」
シラスは彼女を見つめた。
そして、静かに頷いた。
「分かった。少しずつ訓練しよう」
鈴は顔を上げた。
「本当?」
「ああ。ただし、無茶はさせない」
「……うん!」
彼女は笑顔を浮かべた。
その笑顔を見て、シラスは思った。
記録の中にある過去が、どれほど恐ろしいものであったとしても。
今、彼女が自分の意思で歩こうとしている道を、奪わせるわけにはいかない。
北東中継所の塔は、夕暮れの中に静かに佇んでいた。
そして、南部旧交易都市という新たな手掛かりが、二人の旅の先に現れた。




