静かに動き始めた第四段階
北東中継所に滞在して三日目。
シラスと鈴は、宿の一室で今後の行動を話し合っていた。
机の上には、旧第七保管区で見つけた保守記録と、管理棟で写し取った輸送帳簿が並んでいる。
「原記録は別管理……旧管理者の承認が必要……」
鈴は紙に書かれた文字を指でなぞった。
「つまり、ここにある記録だけじゃ足りないんだね」
「そういうことだ」
シラスは椅子に背を預ける。
「問題は、その旧管理者がどこにいるかだ。管理棟の職員も詳しくは話さなかった」
「オルヴェンさんなら、何か知っているかな?」
「可能性はある。ただ、今すぐ連絡を取れるわけじゃない」
鈴は少し考え込んだ。
「……私たち、また遠回りすることになるのかな」
「遠回りでも、罠に飛び込むよりはいい」
「シラスって、本当に慎重だよね」
「生き残るためにな」
その言葉に、鈴は小さく笑った。
「じゃあ、私も慎重になる」
「昨日、食堂で熱いスープを一気に飲もうとしていた奴が言う台詞か?」
「そ、それは関係ないでしょ!」
シラスの口元に、かすかな笑みが浮かぶ。
だが、その穏やかな時間は長く続かなかった。
◇
昼前。
二人は中継所の外周を歩いていた。
旧保管区へ続く通路の入口は、昨日よりも警備が厳しくなっている。
新たに設置された鉄柵。
その前に立つ灰色の制服の兵士が、通行人を一人ずつ確認していた。
「……警備が増えたな」
シラスが呟く。
「私たちが地下へ入ったこと、知られたのかな?」
「断定はできない。ただ、少なくとも施設側は何かを警戒している」
鈴は銀飾りに触れた。
その瞬間。
チリン。
小さな音が鳴った。
彼女は驚いて手を引く。
「……今の」
シラスも足を止めた。
銀飾りが、かすかに青く光っている。
だが、昨日までの反応とは違った。
強い共鳴ではない。
まるで、遠くから呼びかけられたものに、ほんの少しだけ応じているような光だった。
「鈴。無理に反応させるな」
「うん。私も何もしてない」
彼女は深呼吸をする。
「……大丈夫。今は、ちゃんと自分で止められる」
青い光はゆっくりと消えていった。
シラスは彼女の様子を確認し、周囲を見回した。
外周の建物の一つ。
古い管理用の塔の窓に、人影が見えた。
一瞬だけこちらを見て、すぐに姿を消す。
「……見られているな」
「また、あの黒い外套の人?」
「分からない。姿を確認できなかった」
シラスは塔から視線を外す。
「ここで反応を追うのは危険だ。戻るぞ」
鈴は頷いた。
◇
その夜。
宿の部屋で、鈴は眠れずにいた。
窓の外には、中継所の塔がぼんやりと浮かんでいる。
彼女はベッドから起き上がり、銀飾りを手のひらに乗せた。
「……呼んでいるの?」
誰に向けた言葉なのか、自分でも分からない。
装置なのか。
記録なのか。
それとも、失われた記憶のどこかにいる誰かなのか。
鈴は銀飾りを握り締める。
「……私は、鈴」
小さく呟いた。
「シラスがそう呼んでくれた。だから……」
その時、机の上に置いていた保守記録が、かすかな青い光を帯びた。
鈴は息を呑む。
光は記録の一ページだけに集まっていた。
そこには、昼間には気づかなかった小さな文字がある。
『第四段階――候補者の自発的反応を観測する』
『反応が確認された場合、接続準備を開始』
『ただし、意思確認が完了するまで接続を行わない』
鈴はその文章を何度も読み返した。
「……自発的反応?」
銀飾りの光が、再び弱く揺れる。
彼女は慌てて記録から手を離した。
光はすぐに消えた。
「……私が触れたから?」
鈴の心臓が早くなる。
その時、背後から声がした。
「鈴?」
振り向くと、シラスが扉のところに立っていた。
「何をしている」
「……記録が光ったの」
鈴は見つけた文章を説明した。
シラスは机に近づき、該当箇所を確認する。
「候補者の自発的反応……」
彼の目が細くなる。
「第四段階は、無理やりお前を接続する手順じゃないらしい」
「でも、私が反応したら準備が始まるんでしょ?」
「そう書いてある」
「……私、どうすればいいのかな」
シラスはすぐには答えなかった。
しばらく記録を見つめた後、彼は静かに言った。
「何もしなくていい」
鈴が顔を上げる。
「反応するかどうかも、接続するかどうかも、お前が決めることだ」
「……でも、私の記憶が戻るかもしれない」
「それでもだ」
シラスは机から手を離した。
「記憶を取り戻すために、お前が自分を危険にさらす必要はない」
鈴は彼の言葉を聞き、胸の奥が少しだけ温かくなった。
「……シラスは、私の記憶が戻らなくてもいいの?」
「お前が望むなら、探す」
「そうじゃなくて……」
彼女は言葉に詰まる。
「……私が、今のままでも?」
シラスは鈴を見た。
「今のお前を、過去の記録より優先する」
鈴の目が揺れた。
彼女は慌てて顔を背ける。
「……ずるいよ、シラス」
「何がだ」
「そういうこと、普通に言うんだもん……」
シラスは首を傾げた。
鈴は枕を抱き締め、顔を隠した。
「……もう寝る!」
「そうしろ」
シラスが部屋を出ようとした時、鈴が小さく呼び止めた。
「……シラス」
「何だ」
「明日も、一緒に調べてくれる?」
「当然だ」
その返事を聞いて、鈴はようやく安心したように微笑んだ。
◇
同じ夜。
北東中継所の地下管理室。
青い光を放つ装置の前で、灰色の制服の職員が報告を行っていた。
「第四段階の観測記録に反応がありました。候補者の銀飾りと保守記録が共鳴しています」
黒い外套の男は、装置の光を見つめた。
「接続は?」
「発生していません。候補者は自発的に反応を停止したようです」
男はしばらく沈黙した。
「……そうか」
「手順を進めますか?」
「まだだ」
男は装置に刻まれた記号へ目を向ける。
「彼女が選ぶまでは、待て」
「しかし、記録の照合が遅れれば――」
「それでもだ」
黒い外套の男の声が、地下室に響いた。
「今度こそ、彼女の意思を無視してはならない」
装置の青い光が、静かに明滅する。
その光の奥で、第四段階は確かに動き始めていた。
だが、それが彼女にとって救いとなるのか。
あるいは、再び失われた過去へと繋がるのか。
まだ誰にも分からなかった。




