夜の倉庫と隠された通路
北東中継所の夜は、昼間とはまるで違っていた。
日中は荷車の出入りや職員たちの声で賑わっていた敷地も、今ではほとんど物音がない。
管理棟の窓にはいくつか明かりが残っているものの、倉庫の並ぶ一角は暗闇に包まれていた。
シラスは建物の陰に身を潜め、周囲を確認した。
「見張りは二人。正面の門と管理棟の裏側に一人ずついる」
「倉庫のほうは?」
「今のところ、人影はない」
隣にいるスズが、小さく頷いた。
二人は夕方、中継所から少し離れた場所にある廃屋を見つけ、そこで時間を潰していた。
シラスの左腕はまだ完全には回復していない。包帯の下には傷が残り、強く動かせば痛みが走る。
それでも、昨夜よりは幾分ましだった。
「本当に調べるだけなのよね?」
「そうだ。危険を感じたらすぐに戻る」
「無理に中へ入ったりしない?」
「しない」
「約束よ」
「ああ」
スズは彼の顔を見つめ、それから少しだけ表情を緩めた。
「なら、行きましょう」
◇
二人は建物の裏手に沿って進んだ。
目指すのは、昼間に見つけた『第七』の番号が刻まれた倉庫だった。
倉庫の扉には古い錠前が掛かっている。
だが、シラスはすぐに違和感に気づいた。
「……新しい」
「何が?」
「錠前だ。扉は古いのに、鍵だけ最近交換されている」
彼は錠前に触れず、扉の周囲を確認した。
蝶番には錆が浮いている。木材も乾燥してひび割れていた。
しかし、扉の下には新しい擦り傷がある。
「最近、何度も開け閉めされているな」
「使われていない倉庫じゃないの?」
「少なくとも、そう見せているだけかもしれない」
シラスは倉庫の側面へ回った。
壁の下部には、小さな通気口が設けられている。格子の隙間から、かすかな空気が流れていた。
「中に何かあるの?」
「確認してみる」
シラスは片膝をつき、通気口の隙間から内部を覗いた。
暗闇の中に、いくつもの木箱が積み重なっている。
その奥には、壁に沿って金属製の棚が並んでいた。
そして、棚の一番下に見覚えのある記号が刻まれている。
円と交差する二本の線。
「……やはり関係があるな」
「見えたの?」
「ああ。中に同じ印がある」
スズも隙間から覗こうとしたが、シラスの肩に頭がぶつかった。
「痛っ」
「近い」
「だって、見えないんだもの」
「少し待て」
シラスは場所を譲った。
スズが通気口に顔を近づける。
「本当だ……あの印がある」
彼女はしばらく内部を見つめていたが、やがて眉を寄せた。
「ねえ、あの奥にあるもの……何かしら?」
「どれだ?」
「棚の横。青く光っているもの」
シラスは目を凝らした。
確かに、暗闇の奥に小さな青い光が見える。
それは一定の間隔で明滅していた。
スズの胸元にある銀の飾りが、わずかに揺れた。
チリン。
「また反応したのか?」
「ううん。今は何も感じない」
スズは飾りを手で押さえた。
「でも、少しだけ気になる」
「無理に近づく必要はない」
「分かってる」
そのときだった。
倉庫の内部で、金属が擦れるような音がした。
ガタン。
二人は同時に身を引いた。
「誰かいる」
シラスが小声で告げる。
倉庫の奥で明かりが灯った。
誰かが棚の前に立っている。
灰色の制服を着た男だった。
男は木箱を一つ開け、中から小さな金属製の部品を取り出した。
その部品の表面にも、同じ記号が刻まれている。
「……記録室の職員かしら」
「分からない。だが、ここが現在も使われていることは確かだ」
シラスは通気口から離れた。
「これ以上は危険だ。移動するぞ」
二人は倉庫の裏側から離れようとした。
しかし、数歩進んだところで、スズが足を止めた。
「待って」
「どうした?」
「あそこ……」
彼女の視線の先には、倉庫の壁に沿って置かれた古い荷車があった。
荷車の後ろには、草に覆われた石造りの小さな扉が見える。
扉の表面には、細い金属板が取り付けられていた。
その中央には、円と交差する二本の線。
そして、その下に刻まれた文字。
『旧保管区連絡通路』
「連絡通路……?」
シラスは扉へ近づき、周囲を確認した。
扉には鍵が掛かっていない。
ただし、取っ手の部分には新しい傷が残っている。
「ここから中へ入れるの?」
「その可能性はある」
「倉庫と繋がっているのかな」
「あるいは、別の建物へ続いているのかもしれない」
シラスは扉の隙間を調べた。
内側から、冷たい空気が流れてくる。
地下へ続く通路があるのだろう。
「入ってみる?」
「いや。今はやめておく」
「どうして?」
「中の構造が分からない。逃げ道がない場所へ入るのは危険だ」
スズは少し残念そうにしたが、すぐに頷いた。
「分かった。今は調べるだけね」
「ああ」
シラスは扉の表面に刻まれた文字を紙に写した。
それから、二人は倉庫から離れた。
◇
廃屋へ戻る途中、スズがふと口を開いた。
「ねえ、シラス」
「何だ?」
「私、あの倉庫を見たとき、少しだけ変な感じがしたの」
「変な感じ?」
「うん。怖いというより……懐かしいような、嫌なような」
彼女は胸元の銀の飾りを握った。
「前にも、ああいう場所にいた気がする」
「今日見た倉庫か?」
「分からない。もっと広くて、壁が白くて……それから、冷たい音がしていたような気がする」
「音?」
「金属が動く音。何かが開く音……」
スズは目を閉じた。
だが、それ以上は思い出せなかった。
「無理に思い出そうとしなくていい」
シラスが言った。
「でも、せっかく何か思い出せそうだったのに」
「断片的な記憶を無理に追えば、余計に混乱するかもしれない」
「……そうね」
彼女は少し俯いた。
「私、昔のことを思い出したいのに、思い出すのが怖いの」
「それでいい」
「いいの?」
「怖いなら、無理に進む必要はない。知りたいと思う気持ちと、怖いと思う気持ちは両方あっていい」
スズは彼の横顔を見つめた。
「シラスって、時々変なことを言うわね」
「悪かったな」
「褒めてるのよ」
「そうは聞こえなかったが」
スズは小さく笑った。
「でも、ありがとう」
彼女は今度は、彼のコートの袖を掴まなかった。
代わりに、自然な動きで彼の隣へ並んだ。
◇
翌朝。
シラスは廃屋の窓から中継所を眺めていた。
昨夜見つけた連絡通路のことが頭から離れない。
倉庫の内部には、現在も誰かが出入りしている。
そして、地下へ続く通路まで存在している。
記録室と倉庫が繋がっているのか。
それとも、さらに別の施設へ続いているのか。
確かめる必要があった。
「おはよう、シラス」
スズが目を擦りながら起き上がった。
「よく眠れたか?」
「うん。シラスは?」
「少しだけな」
「また眠ってないでしょう」
「考え事をしていただけだ」
「それを眠ってないって言うのよ」
スズは呆れたように息を吐いた。
それから、荷物の中から食料を取り出す。
「朝ご飯にしましょう」
「そうだな」
二人は簡単な食事を済ませた。
その後、シラスは昨夜写した文字をスズに見せた。
『旧保管区連絡通路』
「これを調べるのね?」
「ああ。だが、昨日と同じ場所から近づくのは避けたほうがいい」
「見張りがいるから?」
「それもある。別の入口がないか、周囲を調べてみる」
「分かった」
シラスは地図を広げた。
北東中継所の敷地は広く、倉庫の裏側には古い水路が通っている。
その水路は施設の外側へ続き、途中で地下へ潜っていた。
「ここだ」
シラスは地図の一点を指した。
「水路が倉庫の裏側を通っている。もしかすると、連絡通路の近くまで繋がっているかもしれない」
「でも、そこから入れるの?」
「分からない。確認する価値はある」
スズは頷いた。
「じゃあ、今日は水路を調べましょう」
「そうしよう」
◇
一方、北東中継所の管理棟。
受付係は、黒い外套の男に昨夜の報告をしていた。
「二人は旧保管区連絡通路を発見しました」
「入ったのか?」
「いいえ。扉の外から確認しただけです」
「そうか」
黒い外套の男は、机の上に置かれた記録板を見つめた。
「予定よりも早く、そこへ気づいたな」
「通路を封鎖しますか?」
「いや。今はそのままにしておけ」
「しかし、侵入される可能性があります」
「侵入しても構わない」
受付係が顔を上げた。
「よろしいのですか?」
「通路の先には、古い保管区がある。だが、記録室へ続く扉は別だ」
男は指先で記録板を叩いた。
「彼らがどこまで進むのかを見ておけ」
「承知しました」
「それから、共鳴器の反応は?」
「昨夜はありませんでした」
「少女が近くにいたにもかかわらず?」
「はい」
男はしばらく黙っていた。
「……そうか。反応には距離だけでなく、条件があるのかもしれない」
彼は一枚の古い書類を取り出した。
そこには、短い記録が残されていた。
『接続には、対象自身の意思を必要とする』
男はその一文を指でなぞった。
「まだ、すべてが失われたわけではない」
彼は書類を引き出しにしまった。
「第四誘導地点の準備を続けろ。剣士たちには、しばらく自由に動かせておけ」
◇
昼前。
シラスとスズは、中継所の外側にある古い水路へ到着した。
水路は半ば崩れ、雑草と泥に覆われていた。
しかし、石壁の一部には新しい足跡が残っている。
「誰かがここを通っているな」
「職員の人?」
「そうかもしれない」
シラスは水路の奥を覗いた。
暗闇の中に、狭い通路が続いている。
その先から、微かな風が吹いてきた。
「奥に空間がある」
「入るの?」
「まずは周囲を確認する」
シラスは小さな石を拾い、通路の奥へ転がした。
石は数回跳ねたあと、何かにぶつかって止まった。
その直後。
カチリ。
通路の奥で、小さな音が鳴った。
「……今の音は?」
スズが尋ねる。
「分からない」
シラスは剣の柄に手を添えた。
すると、暗闇の奥で、薄い青色の光が一瞬だけ灯った。
その光は、昨夜倉庫の中で見たものとよく似ていた。
スズの銀の飾りが、かすかに揺れる。
チリン。
二人は顔を見合わせた。
水路の奥にある何かが、彼女の存在に反応したのかもしれない。
だが、今度はそれだけではなかった。
通路の奥から、低い機械音が聞こえ始めた。
長い間眠っていたものが、ゆっくりと動き出すような音だった。
シラスはスズの前に立った。
「ここから先は慎重に進む。少しでも異常があれば戻るぞ」
「うん」
スズは彼の隣で、小さく頷いた。
二人の視線の先で、暗闇の中に青い光が再び灯る。
その奥には、まだ誰も知らない古い保管区が眠っていた。




