開かれた中継所と閉ざされた記録室
翌日の昼過ぎ。
シラスとスズは、ようやく北東中継所へ続く街道の終点にたどり着いた。
そこにあったのは、想像していたよりも大きな施設だった。
周囲を石造りの壁で囲まれ、正面には荷車が二台並んで通れるほどの門がある。敷地の奥には複数の倉庫と管理棟らしき建物が並び、さらにその向こうには、昨日遠くから見えた石造りの塔がそびえていた。
「ここが北東中継所……?」
スズが門を見上げた。
「そうらしいな」
「もっと古くて、誰もいない場所だと思ってた」
「外から見ただけでは分からないものだ」
シラスは門の周囲を観察した。
壁の一部には苔が生えているが、門の蝶番には新しい油が塗られている。地面には荷車の轍が残り、門の近くには最近踏まれた靴跡もあった。
完全に放棄された施設ではない。
それどころか、今も誰かが管理しているようだった。
「人がいるのかな?」
「いるだろう。問題は、どんな人間がいるかだ」
二人が門へ近づくと、上部の小さな見張り窓が開いた。
「止まれ。何の用だ?」
男の声が聞こえる。
「旅の途中だ。古い輸送路について調べたいことがある」
「輸送路?」
「ああ。北東管理路に関する記録を探している」
少しの沈黙があった。
「待っていろ」
見張り窓が閉じる。
スズがシラスの袖を軽く引いた。
「今の人、何か知っているのかな」
「さあな。だが、北東管理路という言葉に反応した」
「怪しい?」
「警戒しておくに越したことはない」
やがて、門の内側から鍵を外す音が聞こえた。
重い門が、ゆっくりと開いていく。
◇
二人を迎えたのは、灰色の制服を着た中年の男だった。
短く整えた茶色の髪に、少し疲れた顔。腰には鍵束を下げている。
「私はここの受付を担当している。用件を聞こう」
「北東管理路について調べている。古い輸送記録を確認したい」
「何のために?」
「以前の輸送経路に関する手掛かりを探している」
シラスは詳しい事情を話さなかった。
男は彼の顔と、隣に立つスズを交互に見た。
「商人か?」
「違う」
「冒険者?」
「今はそう呼べる立場でもない」
「曖昧な答えだな」
「質問に答える義務があるとは聞いていない」
男の眉がわずかに動いた。
だが、すぐに表情を戻す。
「まあいい。古い記録なら管理棟にある。ただし、閲覧できるものは限られている」
「確認できるだけで構わない」
「身分を確認できるものは?」
「持っていない」
「なら、名前を記録する」
シラスは一瞬だけ考えた。
賞金首として手配されている以上、ここで本名を記録に残すのは避けたい。
「シラスだ」
「姓は?」
「必要か?」
「規則だ」
「なら、シラス・ナハト」
男は帳簿に名前を書き込んだ。
続いてスズを見る。
「君は?」
「スズよ」
「姓は?」
「ないわ」
「……そうか」
男はそれ以上尋ねず、二人を管理棟へ案内した。
シラスは歩きながら、周囲の様子を観察していた。
倉庫の扉には番号が振られ、荷物の出入りを記録するための札が掛けられている。
しかし、その番号は古い資料に記されていたものとは違っていた。
新しい管理方式に変わったのだろうか。
それとも、古い記録を隠すために変更されたのか。
まだ判断できない。
◇
管理棟の中は、外から見た印象よりも整っていた。
受付の奥には事務室があり、数人の職員が書類を整理している。壁には現在の輸送経路を示す地図が掲げられていた。
男は二人を小さな待合室へ案内した。
「ここで待っていろ。閲覧できる資料を確認してくる」
「記録室には直接入れないのか?」
「一般の訪問者は入れない。必要な資料はこちらで用意する」
「分かった」
男が部屋を出ていく。
扉が閉まると、スズは小声で話しかけてきた。
「思ったより普通の場所ね」
「そうだな」
「もっと怪しい人たちが大勢いるのかと思ってた」
「怪しい人間ほど、普通に見えることもある」
「それ、シラスのこと?」
「俺は怪しくない」
「本当に?」
「少なくとも、ここにいる連中よりはな」
スズは小さく笑った。
しかし、すぐに表情を引き締める。
「ねえ。さっき、私たちの名前を聞かれたでしょう?」
「ああ」
「大丈夫なの?」
「偽名を使うより、余計な疑いを招かない程度に答えた。だが、警戒は必要だ」
「私の名前も記録されたわ」
「問題が起きたら、すぐにここを出る」
シラスは扉の位置を確認した。
窓は小さく、外へ出るには少し時間がかかりそうだ。
逃げ道は一つではないが、決して多くもない。
そのとき、廊下の向こうから職員の声が聞こえた。
「例の二人は?」
「受付で対応しています」
「少女も一緒か?」
「はい。二人とも管理棟へ入りました」
足音が遠ざかる。
スズが不安そうにシラスを見た。
「今の……」
「ああ。聞こえた」
「私のことを知っているのかな」
「まだ分からない。だが、ここに来たことを誰かが待っていた可能性はある」
シラスは腰の剣に手を添えた。
少なくとも、無防備に資料を受け取るわけにはいかなくなった。
◇
しばらくして、先ほどの受付係が戻ってきた。
手には薄い木箱と数冊の帳簿がある。
「閲覧できる資料を持ってきた」
机の上に置かれた帳簿には、古い輸送記録と管理路の地図が含まれていた。
「北東管理路に関するものは、これだけか?」
「現在確認できるのはそれだけだ。古い資料の一部は保管室に移されている」
「その保管室を見せてもらいたい」
「許可できない」
男は即答した。
「なぜだ?」
「現在、整理中だからだ」
「いつから?」
「しばらく前からだ」
「具体的には?」
男は答えなかった。
シラスは帳簿を一冊手に取った。
表紙には『北東管理路・輸送記録』と書かれている。
ページをめくると、古い日付と荷物の番号が並んでいた。
しかし、ある時期から記録が不自然に途切れている。
「この年から記録がなくなっているな」
「管理方式が変わったからだ」
「その後の資料は?」
「別の場所に保管されている」
「保管室か」
「そうだ」
シラスは帳簿を閉じた。
「なら、そこにある資料を確認させてくれ」
「先ほども言ったが、許可できない」
「ずいぶん厳重だな。普通の輸送記録だろう?」
「すべての記録を一般に公開するわけにはいかない」
男の声が少し硬くなる。
スズは黙って二人のやり取りを見守っていた。
そのとき、彼女の胸元にある銀の飾りが、小さく揺れた。
チリン。
いつもの音だった。
だが、次の瞬間。
木箱の中から、かすかな振動が伝わってきた。
「……え?」
スズが箱を見つめる。
シラスも気づいた。
「どうした?」
「今、何か……」
木箱の蓋が、ほんのわずかに動いた。
受付係の顔色が変わる。
「触るな!」
男が箱へ手を伸ばした。
だが、その前にシラスが彼の腕を掴んだ。
「待て。何が入っている?」
「古い備品だ。君たちには関係ない」
「なら、どうしてそんなに慌てる?」
「手を離せ!」
男が腕を振り払う。
シラスはすぐに距離を取った。
スズは木箱から目を離せないでいた。
箱の中から、もう一度だけ小さな振動が伝わる。
彼女の銀の飾りも、呼応するように揺れた。
チリン……。
その音を聞いた瞬間、スズの胸の奥に、知らない景色が一瞬だけ浮かんだ。
白い光。
冷たい床。
遠くで誰かが自分を呼ぶ声。
そして、目の前に伸ばされた手。
「……っ」
スズは額を押さえた。
「スズ!」
シラスがすぐに彼女のそばへ寄る。
「大丈夫か?」
「今……何か見えたの」
「何が?」
「分からない。でも、ここに来たことがあるような気がして……」
シラスは木箱を見た。
受付係は、二人を交互に見ながら、箱を自分の側へ引き寄せていた。
「本日の閲覧は終了だ。これ以上は許可できない」
「まだ何も確認できていない」
「規則だ。退室してもらう」
男の声には、先ほどまでなかった焦りが混じっていた。
シラスはそれ以上、無理に押し通そうとはしなかった。
今ここで騒ぎを起こせば、スズに何が起きるか分からない。
「分かった。今日は帰る」
「協力に感謝する」
男は帳簿を回収し、木箱を抱えて部屋を出ていった。
扉が閉じたあと、シラスはスズの顔を覗き込んだ。
「本当に大丈夫か?」
「うん……少し驚いただけ」
「無理をするな。何か思い出したら、すぐに言え」
「分かった」
彼女は胸元の銀の飾りを握りしめた。
その手は、まだ少し震えていた。
◇
管理棟を出た二人は、中継所の門の外まで戻った。
すぐに立ち去ることもできたが、シラスは施設の外側を調べることにした。
「中に入れないなら、外から調べるしかない」
「でも、また見つかったら追い出されるんじゃない?」
「そのときは、素直に帰るさ」
「本当に?」
「必要ならな」
スズは呆れたように息を吐いた。
二人は建物の裏手へ回った。
そこには古い倉庫が並び、壁の一部には錆びた金属板が取り付けられていた。
シラスはその一枚に目を留めた。
表面には、円と交差する二本の線。
その下には、かすれた文字がある。
『旧記録保管区』
「ここにもあるのね」
「ああ」
金属板の端には、小さな番号が刻まれていた。
『第七』
シラスの表情が変わる。
第七保管区。
以前から何度も記録に現れていた名称だった。
「ここが、第七保管区と関係しているの?」
「少なくとも、旧記録保管区の一つだったらしい」
シラスは金属板の周囲を調べた。
倉庫の扉は閉じられているが、鍵穴の周辺には新しい傷がある。
最近、誰かが開け閉めしたのだろう。
「……まだ使われているのかもしれない」
そのとき、建物の上階から人影が見えた。
灰色の服を着た男が、窓からこちらを見ている。
シラスと目が合う。
男はすぐに窓を閉めた。
「見られたわね」
「ああ」
「どうする?」
「今は離れる。夜になってから、周囲をもう一度調べる」
「危険じゃない?」
「中の様子を確かめるだけだ。無理に侵入するつもりはない」
スズは少し考えたあと、頷いた。
「分かった。私も一緒に行く」
「眠くなったら無理をするな」
「シラスこそ、腕を悪くしないでよ」
「気をつける」
二人は中継所から少し離れた場所へ向かった。
その背中を、管理棟の二階から一人の男が見つめていた。
◇
夜。
中継所の地下にある記録室。
昼間、木箱を運び込んだ受付係が、机の前に立っていた。
その向かいには、黒い外套の男がいる。
「少女が反応しました」
「どの程度だ?」
「短い反応です。記憶の断片が浮かんだ可能性があります」
「装置に触れたのか?」
「いいえ。木箱に収めていた共鳴器が反応しました」
黒い外套の男は、机の上に置かれた木箱を見つめた。
「……予想より早い」
「どうしますか?」
「予定を変更する必要はない。だが、彼らを記録室へ近づけるな」
「承知しました」
「それから、少女が再び反応した場合は、必ず報告しろ」
受付係は頷いた。
男は木箱の蓋を開けた。
中には、小さな銀色の装置が収められていた。
その表面には、円と交差する二本の線。
そして、装置の中央には、薄い青色の光が残っていた。
「接続候補者が、自らここまで来た……」
男は静かに呟いた。
「今度こそ、記録を最後まで確認できるかもしれない」
地下室の奥で、長い間停止していたはずの装置が、ごく小さな音を立てた。
カチリ。
その音は、誰にも聞かれないまま、暗い記録室に消えていった。




